※vol.68は新たなブログに移行しました → 新ブログはココをクリック!
※新たなブログに移行しました → 新ブログはココをクリック!
というわけで、多摩湖巡りの途中だったので、以前vol.63からの続き。今回で一応最後、玉湖神社の行き止まりの道を真反対へと回りこむ。
vol.53 多摩湖自転車道を行く・その1
vol.54 多摩湖の取水塔・その2
vol.55 多摩湖もう一つの取水塔・その3
vol.56 多摩湖おとぎ列車終着駅跡・その4
vol.57 多摩湖、そして狭山湖へ・その5
vol.63 多摩湖トロッコ軌道跡・その6
ここまでの自転車道沿道は公園としても整備された景観で、サイクリングにはもってこいのロケーションだったが、多摩湖西側半分は自転車道こそ整備されているものの、周囲は木々で覆われた雑木林、または藪といった風情で、観光開発として意識されていないようだ。
暗くなるとかなり不安になりそうな光景で、道は完全に移動のために通り抜けるしか目的がなさそうで、通り過ぎる車も心なしか速度が早く感じられる。
ほぼ多摩湖の西端、少し開けたところに出ると、右手に西へと伸びる遊歩道のような整備された道が続いている。正式名称は野山北公園自転車道。ここから真っ直ぐ米軍横田基地まで続いている。
そして反対、多摩湖へ向かってはトロッコ軌道跡の横田トンネルがパックリ口を開いている。
1号隧道(トンネル)横田・2号隧道赤堀・3号隧道御岳・4号隧道赤坂・5号隧道と続く。
最初のトンネルに名づけられた横田という名称だが、一番横田基地側だからではなく(歴史的に考えれば米軍基地が後に出来たとすぐにわかりそうなものだが)、この界隈が村山市横田という町名だったらしい。横田基地は福生に位置するが、フッサというのがどうもアメリカ人には発声しづらく、地図上で近くに大きく書かれていた横田という町名をとった、というのは有名な話だ。
その元祖横田からトンネルに入ると、流石に暗いというか、つくりはしっかりしているものの、歳月を重ねた重みのある質感と空気感でトンネル内は満たされている。
水が滴り落ち非常に涼しいのだが、どこか背筋が寒い。子供が通ったら泣き出しそうな空間だが、近所の方は慣れたもので、何事もないようにまさに涼しい顔で通り過ぎてゆく。犬の散歩とかならわかるが、それ以外の人は何処へ行くのだろう?
余所者にはなんとも治安が悪そうに映るが、トンネルにはシャッターがついており、季節に応じて開閉時間が異なっている。
それぞれのトンネルは一見どれも同じように映るが、だんだんと山深くなるからかそれぞれに何処となく趣を異にしている。
2号隧道赤堀を過ぎたところで赤錆だらけのタンクを発見した。
隣りの小屋もどうも使われていない模様。廃養鶏場だろうか。
トンネルと相まって相当気合の入った廃墟に感じられる。
その後、御岳を過ぎると一気に山深い雰囲気に包まれる。
緑の鬱蒼とした空気が支配している。一応舗装された自転車道なのだが、小さく淀んだ番田池を迂回するように道が折れ、この先は…と心配になるところで4号赤堀が待っている。
ここを越えるともう既に山間の風情。鬱蒼というかジメジメしている。ここで自転車道の舗装が終わり、ぬかるみが始まる。ここまで来たのだからと意を決してぬかるみに足を踏み入れる。
暫くすると封鎖されている5号隧道が現れた。
まさに出現といった面持ちで粗野に打ち付けられた板っ切れが物々しさを演出している。この封鎖はかなり安普請で開けられた形跡がある。
ホームレスが寝泊りしていてもおかしくない雰囲気だ。
トンネル内は暗かったが入口付近に人気がないことを確認し、その安普請な板っ切れの間からトンネルの向こうを覗く。
すると微かな光の円が確認できた。
そこは現在立入が許可されていない多摩湖の土手ッ腹。吸い込まれるように覗いてしまうが、おいッ!なんて今、背中を叩かれたら心臓が飛び出しそうなくらいヤバイな、なんて恐怖心に駆られ、足早に帰路に着いた。
【多摩湖自転車道篇・了】※この周辺の散策は期を改めて…
]]>多摩湖建設に際し、多摩川から堤体を築くための砂利を運ぶトロッコ軌道が敷設された。羽村山口軽便鉄道といい、羽村の多摩川から横田の米軍基地を抜け、その4で紹介したおとぎ列車の終着・ユネスコ村駅跡まで伸びていたという。ちなみに、ちなみに、このトロッコ軌道が役目を終えたことで、武蔵村山市は東京都の市で唯一鉄道がない市となっている。
この線区は現在、殆どが遊歩道として整備されいるが、多摩湖周辺はそもそも山野だったこともあり、湖周辺ではトンネルが掘られ、湖とぶつかる地点は立ち入ることが出来ない。
その4の廃駅をみるために、多摩湖自転車道から狭山湖へと逸れた地点に再び戻る。自転車道を西へと進むとスグ、玉湖神社(たまのうみじんじゃ)がみえてくる。
先の震災で社殿に亀裂が入ったとのことで現在は解体されている模様(参照サイト)。
神社の鳥居の脇、陸橋のような状態になっているのだが、見下ろすと廃駅へと続くような道の名残がアンダーパスしている。
写真上部分が都道で通常車が通る道路。
奥にはトロッコ軌道跡と思しきトンネルが見える。
トンネルそのものには近づけないので、都道の歩道から目一杯身体を乗り出して、トンネルの上部分から覗いてみる。
ゴミが多量に散乱しており、誰かが寝泊まりしたような形跡がある。
トンネルの反対側に続く道があるはずと、玉湖神社をグルっと迂回してみる。
するとビンゴ。
立入禁止でフェンスが張り巡らされているが、落ち葉が敷き詰められた廃道が湖へと続いていた。
ならば、この道の対角線上、多摩湖の反対側まで行ってみるとしよう。
【続く】
※vol.62は新たなブログに移行しました → 新ブログはココをクリック!
この先はもう狭山湖こと山口貯水池だ。
ここは狭山自然公園となっていて、広場脇には城跡のような石積みの物体が見え、なんだか妙にだだっ広く感じる。多摩湖に比べ自転車道が繋がっていないなどといった立地的な不利もあってか閑散としている。
湖側に目を転じると、ベンチと日除けが設けられた箇所になにやら柱のようなモニュメントが見える。
案内板によると、第二次大戦中に爆撃から堤体を守るためにコンクリートでブロックした対弾層というものを設けたようだ。
平成に入り改装工事をした際、不要となった対弾層を破壊したところ、中から昭和8年完成当時の堤体の高欄(手すり)と親柱が現れたという。この親柱は照明と避雷針の役目をしていたようで、ここに保存されている姿は当時と殆ど変わらないという。
それでも金属製の頭頂部の飾りや灯具は損傷が激しくリニューアルされており、戦時中に塗られたコールタールは剥がされているそうだ。
実はこの親柱の脇に石碑もあったのだが、堤体の耐震強化工事の完了を記念して平成14年に石原慎太郎の書を彫ったものというから、ここでは取り上げない(笑)
さて肝心の山口貯水池第一取水塔だが、水道局の施設のバカフェンスに阻まれ、近くで見れない。
外径約9m高さ約40m昭和9年に完成とある。村山下貯水池の第一取水塔の凡そ10年後の完成となるが、頭頂部がなんだか遊園地に合わせたかのようにメルヘンチックで恐らく後から作り変えたものだと思われる。
そこがチト萎えるが、入口周りの意匠や塔自体の煉瓦の質感は多摩湖と並び一連の取水塔の形式を踏襲しており壮観である。間近で見られないのがつくづく悔やまれる。
(一旦終り:期を改めて多摩湖周辺の別スポットを連載します)
だいだら法師の丘の周辺には寺社が多く点在する。小高い丘は案外と面積が広く、狭山湖こと山口貯水池へ抜けるにはこの丘を大きく迂回しなければならない。山口千手観音と書かれた駐車場に出るが、ここだけ妙に広い空き地のようになっている。
廃墟も窺え、なにやら置き去りにされた土地の様相を呈している。
実はこの駐車場こそ、消えた西武山口線の終着駅跡で、道路から駐車場へ入る線形が引込線のような形になっている。
現在もレオライナーで知られる西武山口線は遊園地前駅と西武球場前駅を結ぶ私鉄が保有する唯一の新交通システム(案内軌条式鉄道)だ。西武ドームへの足として用いられているが、本数の少なさで所沢から西武狭山線の利用客が多く、あまり馴染がないかもしれない。
新交通システムというとモノレールを連想するが、レオライナーは地上を走行する。ほぼ車幅の溝のようなところをタイヤの着いた車両が行き来している。
昭和25年に多摩湖ホテル前駅とユネスコ村駅を結ぶおとぎ線を走る軽便鉄道、おとぎ列車からスタート。その2年後に西武山口線として地方鉄道に転換された。しかし、おとぎ列車の愛称は引き継がれ、昭和47年には蓄電池機関車と併用して冬場以外の土休日限定で蒸気機関車が運行されたりもした。
昭和59年の大改修に伴い新交通システムへと切り替わると共に、遊園地駅(旧多摩湖ホテル前)から西武球場前駅までの区間に変更、それによって遊園地前~ユネスコ村間が廃止された、というわけ。
で、この駐車場の辺りがユネスコ村駅だったという。
車止め代わりにはなってないと思うが、駐車場の縁に沿って廃レールが放置されている。
駐車場の裏手が崖になっているからこういうものも必要と思ったのだろか、意味ないと思うがお陰で20年以上経った今でも名残を感じることが出来ている。
それに加え、廃駅の名残ではないかもしれないが、木の電柱のようなものにライトが取り付けられていた。
駐車場の常夜灯なのだろう。
(続く)
中堤上からは上貯水池が見られないので、貯水池管理事務所越しに眺めると・・・おおっ、なんとかかんとかだが、上池取水塔が確認できた。
塔自体は大正12年の完成ながら上の操作室は平成3年に改築されている。
だから下部は欄干と同様にいい感じに歴史を重ねた風合いを漂わせている。
横の丸い取水塔は内側が花崗岩でできているそうで、外側はレンガ覆われてている。
下貯水池側の広場に降りるとしよう。
階段脇になにやら城跡に見られるような四角く囲われた石造りの物体が目を引く。
これは中堤のたわみを測るためにつくられた基準点で、中堤の両岸に4ヶ所づつあるという。
現在の工事で他は窺い知ることが出来なかったが、この南4番基準点には基準点となる印がハッキリとみることができた。
中堤の北端に来ると、中島鋭治博士というオッサンの頌徳碑がデンと立っているのが見える。
(写真がどうしても見つからなかったので、リンク先を参照して下され【前掲サイト:多摩湖のページ|多摩湖の歴史1-5 真ん中辺り】スンマセン^^;)
このオッサンこそが、山口・村山貯水池をつくるための調査設計した人なのだ。明治42年に招聘され、最初は大久野貯水池案(現日の出町)という第1計画があったが頓挫し、第2計画である村山貯水池案が通過、大正元年に工事顧問として具体的に着手することになった。
ここでとられた方法は、近くの丘や高台を切り崩し、その土で堤を作るやり方で「アースフィル式ダム」と呼ばれるそうだ。
当時は当然すべて人力で工事が行われたが、資材運搬には軽便鉄道が用いられた。村山貯水池の上流にあたる多摩川の羽村取水堰からの導水路を掘るためにトロッコ軌道が敷設された。導水道の完成に伴い軌道は撤去されたが、軌道跡は現在も残っているらしい!?
そりゃ当然ソソられるわけで、この築堤北端から狭山湖にかけての間にトロッコ軌道の終着駅があったという。いざ参らん!
・・・とその前に。
廃駅へと向かおうとする前に小高い丘が立ちはだかった。
なにやら古寺の門のようなものが出迎えてくれたが、慶性院山門といって村山上貯水池の工事により芋窪にあった寺である慶性院の山門が移転されたものだという。
門をくぐって丘を登ると、上野大仏をコメディタッチにしたような顔だけの石仏が現れた。
なんとも間抜けな顔ながら、イキナリ現れるとビビる。
ここはだいだら法師の丘と呼ばれているようで、ならばコヤツはだいだら法師なのだろうが、調べてみると昔話のだいだらぼっちのことらしい。だいだらぼっちとは日本の各地見られる巨人伝説で、地方によってその起源は諸説紛々しているようだ。この巨人が一発で村山貯水池つくってくれたら楽だったろうに。でもこの顔のサイズからするとあまりデカくないね(笑)。
あ、圧倒的じゃマイカ!!?
改めて見なくても圧巻のフォルムとディティール、そして経時変化具合。
花見の時期、桜ともよく映える。
見とれてばかりもいられないので少々蘊蓄を。
隣り合う二基の村山下貯水池取水塔の第一取水塔は大正14年の完成で、貯水池の取水塔第1号となるらしい。塔は水面の上に出ている部分だけでも12m以上あり、二つの取水塔の中間には朝霞・東村山線から水を引き込む導水路口が潜んでいるという。
円柱型のシルエットにネオバロック様式と呼ばれる柱・窓、そこにドーム屋根が被さるという姿は、その後の取水塔の雛形になった。
煉瓦のディテール、半円窓のR、ドーム屋根最上部の針金細工のような意匠、入口上部の紋章、そのどれをとっても間近で見たいと、湖岸と繋がるアーチ橋から潜入したくなるが、残念ながら工事中で間近から拝めない。
水位によって煉瓦部分の経年変化の度合いが違うから独特の退色グラデーションができており、近づきがたいオーラを発している。それにしても昼間からしてこの迫力なのだから、夜中、天体観測なんぞで暗闇の中、傍に取水塔が現れた日にゃ、卒倒してしまうだろう。
カメラを構えながらも、ズームするとどこか後退るような絵になってしまう。ビビリな自分はここで退散。
自転車道へ戻ろうと鉄橋を歩いていたら、石を積んだ段々畑状態の斜面が窺えた。
十二段の滝といって、多摩湖がオーバーフロー、つまり堰堤から溢れないようにここから余り水を放水するのだそうで、水の勢いを抑えるため段々になっているという。
自転車道を西へと進む。
左手に瀟洒な住宅が続くここは湖畔という住所地になっている。
多摩湖と東大和緑地の間は宅地開発され、キレイに区画整理がされていおり、等身大リカちゃんハウスが並ぶ。ここだけ「ウソだろ!?」って程に虚像のおとぎの国のようだ。
今どの辺を走っているのかわからなくなるほど、新緑の落ち着いた風景が延々と続く。次の目的地はまだかよっと思う頃、緑に囲まれた中に真っ赤なラインが覗き見られる。
鹿島橋という結構立派な鉄橋で、二つの丘を橋が繋いでいる。橋の手前が村山下貯水池で向こうが上貯水池になっている。つまり谷間の道が、二つの貯水池を区切る堤体へと繋がっている。
ここでその谷間を南へ下ってみることにする。
橋の脇にはまるで獣道のような緑溢れる旧道が続いている。緑のフィルターを通して直射日光は和らぎ、雨露にぬかるんだ足元からは土のにおいがする。
最初はその涼しさに気持ちをよくしていたが、段々と道幅が狭くなるにつれぬかるみも増し、なんだか普段見かけなさそうな両生類がヒョッコリ顔を出しそうな不穏な空気が満ち満ちる空間になっていた。
単にビビってきただけだが、この先道はなさそうだと自分に言い訳をして来た道を戻る。
途中の分岐点を入ると、そこは舗装された道路になっていた。ホッと胸をなでおろし、改めて湖の向こう岸へと渡ろう。
(続く)