2011年12月アーカイブ

遥かアメリカの「ウッドストック・フェスティバル」の熱気は、映画スクリーンを通して、大学生・福岡風太の魂を動かせた。
大阪万博で英語の通訳の仕事について資金をつくり、つくりあげた野外コンサートは、5月24日、大阪の天王寺の野外音楽堂での「BE IN LOVE ROCK」。
愚の最後のステージともなったこのライブに、友部正人がいた。
50年代アメリカのレッドベリやウディ・ガスリーよろしく、しかし広大な北米大陸ではなく想念上の線路をガタガタガラガラと滑走する夜汽車に乗って、その人は現れた。
名古屋という独自の文化纏う世界から、誇り高き饒舌の都市・大阪へやって来た路上詩人は、夜に野良犬の遠吠えが聞こえてくるあたりで飲み干された珈琲と古書店に積まれた詩集の匂いを漂わせながら、歌の銀河に立ち、ギターを鳴らす。
持っているギターが、鏡に見える。鏡でつくられたナイフ。
その甘ったるくも厳しくも感じられる不思議な声が、わかりやすい言葉のカタチとなって、さらに聴く者に自己を見つめさせる。
何かを与えるのでも、教えるのでもなく。薦めるでも奪うでもなく。
まるでその眼に射抜かれるようで、でも友部正人だってステージから一点を見つめている。
人々は、歌っている友部正人を見つめているけれど、それは自分自身なんだ。
優しさとは怖さだ。事実、ほんとうに優しい人は怖い。
でもほんとうのことしか言わないから、だからやっぱり怖くないし悲しくないし、友部正人の歌は優しい。でもその優しさは、そのへんには転がってはいない。
ギターの演奏も、歌い方も、凝らなくていい。できるだけ、何もしない。それが友部正人のいちばん好きな歌のカタチだ。
何を信じるか。何を信じないのか。それだけ。
ボブ・ディランがギター鳴らしながらニューヨークを語ったように、友部正人も大阪を語った。
そのトーキングブルーズの始まりの言葉は、「南へ下る道路には避難民が溢れ」。
21世紀、こんどは「人類の進歩と調和」の万博へ吸い寄せられるのではなく、放射能から多くの人が西へ南へと避難している。
どんな時代だって、人は旅に出る。
言葉が生まれて、淋しさと愛を知る。たったひとつきりの歴史が始まる。
「僕は誰が素敵な奴かを知っている」
福岡風太は「BE IN LOVE ROCK」のあとも、大阪城公園の太陽の広場で「ロック合同葬儀」、京都の円山音楽堂で「感電祭」と、次々と野外ライブを開催していく。
1970年、いろんなところから詩人たちが集まっていった。
そしていまこの瞬間もまさに、歌は、地球上で新しく生まれ、明滅している。
友部正人みたいに、まっすぐに。あったかく、でもキビシク。


 南へ下る道路には避難民が溢れ ぼくは10トントラックで
 大阪へやって来た
 インターチェンジはいつも雨の匂いでいっぱい
 だからぼくは痩せながら濡れてた

 それはほんのささいなことで
 ぼくは酔っぱらっていたのかもしれないんだけど
 ぼくがやって来た夜
 御堂筋はレース場で 心斎橋はこの世の人だまり
 その中を真夜中にうろつくぼくには今
 何の地位も将来も約束されてはいない

 南へ下る道路には避難民が溢れ ぼくは10トントラックで
 大阪へやって来た
 インターチェンジはいつも雨の匂いでいっぱいだから
 痩せながら濡れてた
 
 スポーツ新聞はいつも阪神のことばかり書き立てている
 大げさな競馬の報道は貧乏人を食い物にするし
 歌いたかったけどそんな場所もなくて
 ぼくはいつも求人広告を持ち歩いたんだ
 でも行ってみるといつもだまされてしまう
 尼ガ崎の鉄工所へ行ったときなんか
 たった千円しかくれないし
 そのうえ命の保障もないんだ

 南へ下る道路には避難民が溢れ ぼくは10トントラックで
 大阪へやって来た
 インターチェンジはいつも雨の匂いでいっぱいだから
 痩せながら濡れてた
 
 友だちもいつか名前だけになってしまうことを知っている  
 いつのまにか手を取り合うだけのエゴイズムと
 すり変わってしまうんだ
 長髪を風になびかせる自称ヒッピーたちでさえ
 新しいコートがなかなか肌になじまないことを知っている
 ものすごくたくさんの広告がいろんなスタイルを要求するけど
 でも家を出ることだけが自由じゃないんだと思うんだ
 あれはいけない これがいいのさ でももう結構
 僕は誰が素敵な奴かを知っている

 南へ下る道路には避難民が溢れ ぼくは10トントラックで
 大阪へやって来た
 インターチェンジはいつも雨の匂いでいっぱいだから
 痩せながら濡れてた
 
 何もかも関係なくなればいいと思うことがある
 とても眠たい朝 僕は大阪駅に佇んでいたんだ
 そうさ 誰もがあせりすぎているんだ
 走っていく人 ころぶ人 くつを忘れた人
 かかとがかけてしまって歩けない人
 朝から晩までラッシュアワーだ
 まるで恋をする勇気もないまま

 僕もあんたもうらみ合いをくり返している
 夜にはひま人が金と麻薬を持ち歩く
 もし君が宿なしなら夜中にうろつかないほうがいいよ
 ましてやポケットに百円ももってないなら
 へたするとやくざとおまわりの思いのままになってしまうよ

 誰かが言ってたっけ? お前は気楽に暮らしてていいって
 じょうだんじゃないや 何が気楽なもんか
 いつまでたったって落ち着くあてもなく
 まるでいくじがないまま まだフラフラしている
 一年中わびしくてやりきれない町 それが大阪
 でもそれがいいのかもしれないなと思うときがある

 クリスマスにあの娘に赤ちゃんが生まれるんだって
 とても小さな女の子でみんなでかけたんだ
 顔のぞきこんで男か女か
 いまじゃその娘タバコもラリルこともやめたんだ
 みんなでおいわいしてあげたいんだけど
 その娘大阪の女の子なんだよ

 南へ下る道路には避難民が溢れ ぼくは10トントラックで
 大阪へやって来た
 インターチェンジはいつも雨の匂いでいっぱい
 だからぼくは痩せながら濡れてた


 「大阪へやって来た」詩・曲:友部正人


大阪へやってきた にんじん ベスト・セレクション はじめぼくはひとりだった なんでもない日には 少年とライオン ライオンのいる場所 奇跡の果実 遠い国の日時計 夕日は昇る Speak Japanese,American 何かを思いつくのを待っている あれからどのくらい 6月の雨の夜、チルチルミチルは ぼくの展覧会 読みかけの本 けらいのひとりもいない王様 夢がかなう10月 LIVE! no media 2006 [DVD] 音楽のちから ~吉野金次の復帰を願う緊急コンサート [DVD] 休みの日 友部正人プロデュース・ポエトリー・リーディング・アルバム no media 2 雲のタクシー 伝説のフォークライブシリーズ VOL.3<ディレクターズカット版> [DVD] ロックンロール、やってます クレーン 歯車とスモークドサーモン 友部正人 (現代詩文庫) 退屈は素敵 ジュークボックスに住む詩人―友部正人エッセイ集 ジュークボックスに住む詩人〈2〉 耳をすます旅人


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9枚目のアルバム「ナッシュヴィル・スカイライン」で、ボブ・ディランはプロテストソングもロックンロールも傍らに置き、全編、カントリーを歌った。
それも、あのしゃがれ声ではなく、きれいに透き通った声で。
それがほんとうのディランの声だった。いや、ロバート・アレン・ジンママンの声と言ったほうがいいかもしれない。
でも、1970年6月8日にリリースされた10枚目になる「セルフ・ポートレイト」では、サイモン&ガーファンクルの「ボクサー」という歌を、しゃがれ声と澄んだ声を多重録音、2人のディランがデュエットしてしまう。
いろんなディランがいる。驚くことじゃない。
事実、ボブ・ディランは世界中に何人も存在した。
アメリカ国内でフォークソングを大衆化させたのがウディ・ガスリーとピート・シーガーなら、それをさらに世界的に大衆化させたのがボブ・ディランだった。
たとえば激動の音楽史のただ中に、新宿御苑のエレックレコードにいたのは、広島からやって来たよしだたくろうである。
エレックはURCに続くインディーズレーベルで、1969年、音楽通信講座の会員のレコードや、文化放送のアナウンサー・土居まさるのレコードを出すために設立された。発足の動機がURCとはまったく違う。
そのエレックに、よしだたくろうが社員契約という形で所属することになったのは、1970年4月。
それまで一度上京したり、また広島に戻ったりする中で、ずっと活動を続け、数々の研鑽を積んできたよしだたくろうは、なぜ、この新しく小さな港に停泊したのか。
前年の1969年3月に広島フォーク村の仲間たちがつくった自主制作アルバム「古い船をいま動かすのは古い水夫じゃないだろう」から、エレックはたくろうの歌だけをカットし無断でレコードを発売した。
それに抗議したはずだったが、ひょんなことから、組んでいたバンド「ダウンタウンズ」を解散し、彼はプロになった。
そして改めて正式に発売される歌たち。
デビュー前からすでにカリスマだったよしだたくろうは、この小さな港から船を出し、フォークやロックのコンサートに出演、幾多のアーティストたちとまみれていく。
R&Bの匂い籠らせる、がなり声のフォークソング像は、広島というまったく新しい磁場から出現した。
もし彼が高石音楽事務所に行っていたらどうなっていたか、或いは東京でバンドを組んでいたらどうだったのか。
いや、そんなことは有り得ないのだ。歴史は、ひとつきりだ。
よしだたくろうの打ち出したフォークは、結果、アンチ歌謡曲ではなく、歌謡曲さえ呑み込んでしまうフォークだったのだと思う。
そのポップさは、他者や自己を見つめるのとは少し違って、その中間にある共有される何かを見つめ、批評した。
そこにある種の固有性がないとしても、歌は歌われるその空間に絶対的な演出をほどこされ、聴く者歌う者の心に一気に浸透し爆発する。
場というものが、言葉や音と同等の意味を持った。
だから初期のよしだたくろうは、テレビに出演しなかったのかもしれない。テレビは、レコードともコンサートとも違い、極めてバーチャルな空間だから。
(逆に、高田渡らは、60年代後半から「ヤング720」などのテレビに出ていた。テレビに出ていた人たちがテレビに映らなくなり、テレビに出なかった人たちがテレビに映るようになっていく)
よしだたくろうは、「My Back Pages」を歌うボブ・ディランとは違うんだけど、でも確かに「イメージの詩」は、URCなどのいわゆる関西フォークのファンではない若者たちの心を突き刺したフォークだった。
ずっとプロになりたかったよしだたくろうと、アマチュアであろうとした人たちと。
よしだたくろうという新しい水夫が漕ぐ船が、エレックレコードという港に降り立ったとき、それは、この国においてフォークソングがメジャーシーンとマイナーシーンに分かれてしまう歴史の始まりだった。
岡林信康が「私たちの望むものは」と祈ったのに対し、よしだたくろうは「イメージの詩」で「私」を歌った。
それも「私」ではない、「僕」でもない、「俺」だ。
そこにいるのは、答えなんて求めない一人の「俺」だった。
たくろうは、たったひとりで、フォークソングの社会的認識を変えてしまったのだ。


 これこそはと 信じられるものが
 この世にあるだろうか
 信じるものがあったとしても
 信じないそぶり
 悲しい涙を流している人は
 きれいなものでしょうね
 涙をこらえて 笑っている人は
 きれいなものでしょうね 

 男はどうして 女を求めて
 さまよっているんだろう
 女はどうして 男を求めて
 着飾っているんだろう
 いいかげんな奴らと 口をあわして
 俺は歩いていたい
 いいかげんな奴らも 口をあわして
 俺と歩くだろう 
 たたかい続ける人の心を
 誰もがわかってるなら
 たたかい続ける人の心は
 あんなには 燃えないだろう
 傷つけあうのが 怖かった昔は
 遠い過去のこと
 人には人を傷つける力があったんだろう
 吹き抜ける風のような
 俺の住む世界へ
 一度はおいでよ
 荒れ果てた大地にチッポケな花を一つ
 咲かせておこう
 俺もきっと君のいる太陽のあるところへ
 行ってみるよ
 そして きっと言うだろう
 来てみて良かった 君がいるから

 長い長い坂を登って
 後を見てごらん
 誰もいないだろう
 長い長い坂をおりて
 後を見てごらん
 皆が上で手を振るさ

 きどったしぐさが したかったあんた
 鏡を見てごらん
 きどったあんたが映ってるじゃないか
 あんたは立派な人さ

 激しい激しい恋をしている俺は
 いったい誰のもの
 自分じゃ 言いたいのさ
 君だけの俺だと 君だけのものだと
 裏切りの恋の中で
 俺は一人もがいている
 はじめから だますつもりでいたのかい
 僕の恋人よ

 古い船には新しい水夫が
 乗り込んで行くだろう
 古い船を 今 動かせるのは
 古い水夫じゃないだろう
 なぜなら古い船も 新しい船のように
 新しい海へ出る
 古い水夫は知っているのさ
 新しい海のこわさを

 いったい
 俺たちの魂のふるさとってのは
 どこにあるんだろうか
 自然に帰れって言うことは
 どう言うことなんだろうか
 誰かが言ってたぜ
 俺は人間として自然に生きてるんだと
 自然に生きてるって
 わかるなんて
 何んて不自然なんだろう

 孤独をいつの間にか
 さびしがりやと勘違いして
 キザなセリフをならべたてる
 そんな自分をみた

 悲しい男と悲しい女の
 いつもひとりごと
 それでもいつかは
 いつものように 慰めあっている

 
 「イメージの詩」詩・曲:よしだたくろう



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エベレストのてっぺんから、植村直己はどんな世界を見たのだろう?
彼は、5月11日、いちばん高い場所から世界を見た。
美しかったのだろうか。自然の崇高さの前に、人間の愚かさは意味を持っていただろうか。
それより4日前に開かれた、第41回日劇ウエスタンカーニバル。
出演者は、ザ・タイガース、ザ・スパイダース、ザ・テンプターズ、ザ・ワイルド・ワンズ、フォー・リーブスほか・・・。
交互出演に、フラワー・トラヴェリン・バンド、ザ・ゴールデン・カップスなど・・・。
その中に、頭脳警察の文字がある。
ポスターの中で、唯一の漢字、唯一の日本語である。
頭脳警察は、パンタ、トシ、左右栄一、粟野仁で結成されたバンド。
ボーカルとギターのパンタのつくる歌は、極めて直接的な闘いの歌である。
左翼活動や革命に寄り添う姿勢は、唯一無二の存在だ。
URCともGSとも違う言語。その歌たちは実際的に左翼、反体制の言葉そのもの。
頭脳警察は真正面から、「赤軍兵士の詩」を代弁し、「銃をとれ」と煽動する。観念でも哲学でもない。
赤軍派の書いた「世界革命戦争宣言」を演奏をバックに叫ぶ。
そうして活動家たちの側にいながら、しかし活動家には決してならず、あくまで音楽によって表現する。
そんな、いわば芸能界と正反対に位置する、しごく簡単な言葉で表せば「過激」な彼らが、どうして日劇ウェスタンカーニバルに出演したかはわからない。
スパイダースやタイガース、ワイルドワンズに、さらにはフォーリーブスという歌謡的出演陣の中に、日替わり出演とはいえ、どうして頭脳警察がいたのか。
わかっていることは、そのステージでパンタがマスターベーションをしてみせたことだけ。
そのときのほかの出演者、興行者、そして観客たちは何を思っただろう。
パンタの肉体から発射し、そして舞台に飛び散った白いものは、その時代と自分たちと、そしてロックンロールへのやるせなさとニヒリズムだったのか。
グループサウンズは60年代という汽車から降ろされ、内田裕也は新しい汽車に乗り移り、またべつの線路を岡林信康や高田渡やはっぴいえんどが走り、でも頭脳警察はもしかして、そうした比喩ではない、この地球上を滑走する実在の鉄道に乗り込んでいたのかもしれない。
初期からのレパートリーに、ヘルマン・ヘッセの詩を歌にした「さようなら世界夫人よ」というバラードがある。
聴衆をアジテーションする頭脳警察の、優しくも冷めたニヒルな横顔。
「でも僕等は君の魔法には もう夢など持っちゃいない」と美しいメロディとともに歌いながら、こんどは「銃をとれ!」と歌う頭脳警察は、世界への愛情で溢れている。
世界はほんとうは美しくて、人は優しくて、でも醜い戦争と差別に溢れていて、それは40年経ったいまも変わっていない。


 世界はがらくたの中に横たわり
 かつてはとても愛していたのに
 今 僕等にとって死神はもはや
 それほど恐ろしくはないさ

 さようなら世界夫人よ さあまた
 若くつやつやと身を飾れ
 僕等は君の泣き声と君の笑い声には
 もう飽きた

 世界は僕等に愛と涙を
 絶えまなく与え続けてくれた
 でも僕等は君の魔法には
 もう夢など持っちゃいない

 さようなら世界夫人よ さあまた
 若くつやつやと身を飾れ
 僕等は君の泣き声と君の笑い声には
 もう飽きた


 詩:ヘルマン・ヘッセ 訳:植村敏夫 曲:Pantax's World



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「隕石がぶつかった」
最初、乗組員はそう思った。
4月11日、アメリカ中部時間13時13分に発射されたアポロ13号だったが、2日経って地球から321,860km離れたところで、酸素タンクが爆発した。
月面着陸を諦めて、命からがら、それも宇宙空間において見事にアナログな手作業で、宇宙飛行士たちは地球に帰ってきた。
大阪では「人類の進歩と調和」の万博で、アポロ11号のおみやげの「月の石」が人々の熱視線を浴びていた頃だった。
遠藤賢司のファーストアルバム「niyago」がURCからリリースされたのは、4月8日のこと。
バックを務めたのは、はっぴいえんどの細野晴臣、鈴木茂、松本隆。バンド名をばれんたいんぶるうから、はっぴいえんどに変えて間もなくのことだ。はっぴいえんどは、このあと岡林信康のバックバンドをしばらく務めることになる。
あのときラジオのFENから流れてきたボブ・ディランの「LIKE A ROLLING STONE」が、遠藤賢司をエンケンにさせたのか。いや、人は様々なきっかけに触れながら、自らの魂とココロとカラダで歩き出すのだ。ディランではない、エンケンがエンケンになったのだ。
ギターの音は、静けさと激しさ、優しさと強さを往復し、それらがひとつの人間のカタチであることを示す。
呟くような、しかし轟くその歌声が、人生で大切なことはひとつだけであることを思い出させる。
エンケンは、影響を受けたミュージシャンを問われたときに、三橋美智也や島倉千代子、こまどり姉妹といった名前をまず挙げる。
ボブ・ディランやニール・ヤングの名を出す前に、最初に日本の歌謡界への敬意を払う。
それは、フォークソング黎明期のシンガーの中では、とても珍しいことだと思う。
「ぼくらには先輩がいないので」
そう言う、60年代から活動しているフォーク、ロックのミュージシャンは多い。
それは、URCや関西フォーク、日本語ロックといったものが、自分の言葉で歌う自由な表現行為としての音楽として、それまでの芸能界の商業ビジネス的な歌謡曲と一線を画していたからである。
だから、あの60年代後半に姿を現したフォークやロック、とりわけフォークキャンプやフォークジャンボリー出演者、音楽舎(高石音楽事務所)所属アーティストにとっては、簡単に言ってしまえばアンチ歌謡曲、アンチ芸能界なのだから、当然、「先輩はいない」のである。
しかしエンケンは、最初から違ったんだと思う。
そのスタイルこそ、ボブ・ディランやニール・ヤングのように、ギターを担いで自由な叫びを歌にしているけれど、彼にとってフォークもロックも歌謡曲も、何も隔てなどなく、大切な憧れでありエネルギーなのだ。
だから彼は、のちに純音楽家と名乗るようになる。
遠藤賢司のライブに行けば、彼は必ず言う。
「フォークでもロックでもジャズでもブルースでもソウルでもラップでも演歌でも歌謡曲でも何でも、いい音楽はいいわけで・・・」
そしてエンケンにとって、すべての素晴らしき芸術はライバルであり、愛しながら乗り越えていくべきもの。
で、そうした生き方を聴く者たちにも熱烈に勧める。
がんばろうって思えるのだ。
四畳半の内面世界から、アポロが月を目指す銀河宇宙まで、エンケンは飛ぶ。そして、切ない情感。
ああ、エンケンが紅白歌合戦に出るような、そんな時代になればいい!
にゃーご!!!!


 ああ なんかいい事ないか
 ああ なんかおもしろいことないかと
 夜汽車は 夜汽車は走るのです

 この窓ガラスの向こうの暗やみに
 そう この窓ガラスの向こうの暗やみに
 なんかが ひそんでいると
 僕はいつでも思ってしまうのです

 だから この暗やみを抜ければ
 そう この暗やみを抜ければと
 夜汽車は 夜汽車は急ぐのです

 ああ なんかいい事ないか
 ああ なんかおもしろいことないかと
 夜汽車は 夜汽車は走るのです


 「夜汽車のブルース」詩・曲:遠藤賢司

 


niyago
遠藤賢司「niyago」
1. 夜汽車のブルース 2. ほんとだよ 3. ただそれだけ 4. 君がほしい 5. 雨あがりのビル街(僕は待ちすぎてとても疲れてしまった) 6. 君のことすきだよ 7. 猫が眠っている、niyago


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かまやつひろしが2月に出した「ムッシュー かまやつひろしの世界」。
ソロ多重録音、セルフプロデュース。
その新しい手法は、ポール・マッカートニーが牧場に籠ってつくった「マッカートニー」より、ひと足早かった。
ビートルズは、ポールの発言とともに、4月17日に事実上の解散。
マージー・ビートに影響を受けたスパイダースもまた、メンバーそれぞれの活動が増えていた・・・。
マチャアキが「時間ですよ!」と言ったとき、ムッシュは「どうにかなるさ」と呟いた。
4月5日、アルバムに続き、ムッシュのニューシングルだ。
「どうにかなるさ」。カントリー&ウエスタン調の曲。
もうマージービートは古い・・・。ムッシュは、そう感じていた。
しかし、かまやつひろしは時代と遊ぶ。
何が正しいロックであるかを証明せんとする内田裕也とは正反対に、いま何がいちばん面白いのかを正しいとする。
だからこその、スパイダース解散後、非芸能界であるはずのフォークの世界に足を踏み入れられる、痛快な柔軟さなのだ。
「どうにかなるさ」は、そんなふうにフォークシンガーたちと仲間になる前の、予言的シングルかもしれない。
もともとウエスタン歌手だったかまやつひろしが、マージー・ビート、ブリティッシュ・ビートから、再びアコースティックに立ち戻った、そんなある意味で記念碑的な作品なのかもしれない。
時代と遊ぶ男、ムッシュ。


 今夜の夜汽車で 旅立つ俺だよ
 あてなどないけど どうにかなるさ
 あり金はたいて 切符を買ったよ
 これからどうしよう どうにかなるさ

 見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ
 けれども同じ 暮らしに疲れて
 どこかへ行きたい どうにかなるさ

 仕事もなれたし 街にもなれたよ
 それでも行くのか どうにかなるさ
 一年住んでりゃ 未練も残るよ
 バカだぜおいらは どうにかなるさ

 愛してくれた人も 一人いたよ
 俺など忘れて 幸福つかめよ
 一人で俺なら どうにかなるさ


 「どうにかなるさ」詞:山上路夫 曲:かまやつひろし



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高田渡の父親、高田豊は、元共産党員だった。
1950年、日本共産党が分裂したとき、嫌気がさして離党した。
それからは、ひとりでリヤカーを引いて町中を回り、町をよくするための術を説いた。
1969年に、高田渡は高石友也事務所を"離党"している。ギャラの不正があったからだ。
東京を離れた高田渡は、京都の山科で暮らしていた。
アルバイトでお金が入ると、そのお金がなくなるまで、うだうだ。
お昼に目が覚めるとお出掛け。
六曜社で珈琲、本屋や洋服屋を覗いて、さくら食堂でごはん、イノダコーヒでまた珈琲。
夕暮れ頃に中川五郎と待ち合わせ。マップで珈琲、同志社大学の食堂でごはん、侘助で珈琲、で、最後はまた六曜社で珈琲。
こたつと電気ポットしかないアパートの部屋に、ギターとカップラーメンがあって、中川五郎、岩井宏、松田幸一、中川イサト、加川良と、仲間たちが集まった。
「ばとこいあ」というミニコミ誌を岩井宏と一緒につくり、コンサートも開いたりした。
日本中が、万博だの赤軍派だのと言っているときに、ゆっくりとマイペース。
ほんとだったら、飛行機なんてハイジャックしなくていいんだし、大阪万博に行きたいと嘆かなくてもいい。
何より自分の信念を大事にした無頼の詩人、高田豊の遺伝子を継ぐ高田渡は、よど号飛んでった1970年の青空の下、河原町通りをノコノコ歩く。
そんな年寄りみたいな変な青年も、やっぱり、恋をしていたのです。
でもただのラブソングにはならないのだ。
「あんたもどう? 少しばかりってのを」
先天的オトナ・高田渡の、一級のダンディズム。

 三条へ行かなくちゃ
 三条堺町のイノダってコーヒー屋へね
 あの娘に会いに
 なに 好きなコーヒーを少しばかり

 お早よう かわいい娘ちゃん
 ご機嫌いかが?
 一緒にどう
 少しばかりってのを
 オレの好きなコーヒーを少しばかり

 いい娘だな 本当にいい娘だな
 ねえ あついのをおねがい
 そう あついのをおねがい
 そう 最後の一滴が勝負さ
 オレのコーヒーを少しばかり

 三条へ行かなくちゃ
 三条堺町のイノダってコーヒー屋へね
 あの娘に会いに
 なに 好きなコーヒーを少しばかり

 あんたもどう?
 少しばかりってのを


 「コーヒー・ブルース」詩:高田渡 曲:traditional



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「ぼくのしるし わらべうた24」というアルバムが、URCから発表された。
有馬敲の書いた子供向けの詩を歌にしているものだ。
彼は、60年代後半からフォークソング運動に関わってきている。
曲をつけて歌うのは岩井宏、バラーズ、マヨネーズ。
童謡はフォークソングとなり、フォークソングは童謡となる。
そこには人間臭い情念の濃密さもなければ、強い政治的思想表現もない。
岡林信康の失踪劇もないし、五つの赤い風船の巫OLK脱出計画もないし、高石事務所の不正に見切りを付けて東京を去った高田渡もいない。
主張や抵抗と同じくらい大切なことは、見ること。
小さなものを見つめる。
歌は宿っている。
あらゆるところに。
初期の相棒・高田渡と一緒に、風刺に溢れたコミックソングを歌うことも多かった岩井宏だが、ここでは、ほのぼのした岩井宏的世界。
のちの彼のソロの曲タイトルを並べれば、よくわかる。
「かみしばい」「赤ん坊さんよ負けるなよ」・・・。
尖ったアタマに童謡。ロックやプロテストからの解放。
いつの時代にも、子供はいる。
列島1億人の子供たち。
フォークだロックだ70年だと言っても、人間みんな、結局は子供だ。
バンジョーの深い音は、生まれてくる前の記憶に通じている。


 ぼくのはなぺちゃ だれににた
 だれにもにない ママににた
 うさぎがにひき いえにいる

 ぼくのべたあし だれににた
 だれにもにない パパににた
 やもりがにひき いえにいる

 ぼくのでべそは だれににた
 だれにもにない ぼくのもの
 ぼくがぼくである しるし


 「ぼくのしるし」詩:有馬敲 曲:岩井宏


ぼくのしるし わらべうた24

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大阪万博花盛りのその眩しさの影で、たとえば五つの赤い風船は、3枚目のアルバム「巫OLK脱出計画」をリリース。
「巫」は「フ」という読みもあるので、つまり「巫OLK」は「フォーク」である。
すでに「フォーク」という言葉には大きな意味が付随してしまい、聴衆の期待は歌い手を苦悩させた。
フォーク、巫OLK。ふぉーく。
運命背負ったバランス感覚。一級のひねくれ根性。
2枚目のアルバムのときから、メンバーの流動がある。
1969年9月に中川イサトが脱退し、10月に東祥高が加入している。
東祥高はピアノ、フルート、ビブラフォンなど様々な楽器を担当した。
ボーカリスト藤原秀子、ベーシスト長野隆。
そして、マエストロ西岡たかし。
西岡たかしのつくり出す歌は、笑えない。
わかりやすい感動は求めない。
歌詞にはたとえば固有名詞は出てこないし、その視線の行き先も何か特有のものにはいかない。
反戦のメッセージさえも、叙情的な美しい文学となる。
そのくせ歌の合間のトークでは、関西人らしく観客を笑わせる。
しかし、歌では笑わせない。
キザだ。
理論的に叙情的な作品をつくる音楽家。
熱いからこそ、どこまでもクール。
ポップでダークで、それでいてメルヘン。
そんなミュージシャンは、時代が決定し要求してくるイメージから「脱出」せざるを得ない。
「巫OLK脱出計画」収録曲の「殺してしまおう」は、数ヶ月後、放送禁止となる。


 かわいそうだけど 殺してしまおう
 おれのペット達を 君のペット達を
 かわいそうだけど 殺してしまおう
 君のペット達を おれのペット達を
 世界がもうじき暗くなってしまうから
 かわいそうだけど 殺してしまおう
 君のペット達を おれのペット達を

 かわいそうだけど 殺してしまおう
 おれのペット達を 君のペット達を
 かわいそうだけど 殺してしまおう
 君のペット達を おれのペット達を
 世界がこんなに 狂ってしまうから
 かわいそうだけど 殺してしまおう
 君のペット達を おれのペット達を

 今すぐみんながみんな いなくなってしまうから
 かわいそうだけど 殺してしまおう
 君のペット達を おれのペット達を


 「殺してしまおう」詞・曲:西岡たかし


巫OLK脱出計画

五つの赤い風船 / 巫OLK脱出計画
1. #-い ×○△×× 2. てるてる坊主 3. 小さな夢 4. 一度だけでも 5. あるいて歩いて 6. ささ舟 7. どこかの星に伝えて下さい 8. 私の宝もの 9. いやなんです 10. これがボクらの道なのか 11. バカなうた 12. 信者の唄 13. 時は変ってしまった 14. プレゼント 15. 殺してしまおう 16. 巫OLK脱出計画 17. #-ろ ××△○×

Author


    藍見澪+フォークソング研究所 -Rei Aimi + Folksong Institute-
    日本のフォークやロックの歴史を紡ぎ、現在のポップス、さらにすべての歌に繋げる実験・・・といいながら、よくわかっていません。

    http://morinokaigi.chu.jp

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