夜明け編(1970)の最近のブログ記事

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高田渡、岡林信康、遠藤賢司たち自由な思想のフォークシンガー、はっぴいえんど、頭脳警察といった日本語ロックの雄、カルメン・マキ、浅川マキら独特の世界観を魅せる歌姫たち・・・。
伝説だらけの、この時代。
1970年に、もうひとつ新しく始まる伝説があった。
「はちみつぱい」というバンドの物語だ。
それは鈴木慶一あがた森魚の出会いから始まる。
鈴木慶一は、東京都立羽田高校の3年生。
3学期に入ってからは、家に引きこもりがちになり、音楽ばかり聴く日々を過ごしていた。
一方、函館から上京し、前年の1969年に音楽舎を訪れ、早川義夫に自分の歌を聴いてもらい、音楽活動をスタートさせていた、あがた森魚。
あがたさんは、蒲田の野村証券で黒板書きのアルバイトをしていました。
偶然、鈴木慶一さんのお母さんが、その野村証券の社員で、あがたさんと自分の息子を会わせようとします。
たぶん、家にこもってロックばかり聴いてる息子と友達になってくれるかも、と思ったのかもしれません。
2月28日、あがたさんが出演した「るねっさんす・冬祭り」というコンサートに、迷ったあげく、慶一さんは足を運ぶ。
どの歌い手が、あがたさんだったか、わからなかったけど、とにかく鈴木慶一少年は、自分の聖域である部屋から、外界に出た。
「好きな音楽を聴いている僕」と、「自分の言葉で人前で歌っている彼」。
あがた森魚は、鈴木慶一にとって、新しいほんとうの自分の人生の入り口を示してくれたのではないでしょうか。
慶一さんのほうから連絡を取り、3月、あがたさんは慶一さんに会いに行きます。

「『マザーズ・オブ・インヴェンション』の『フリーク・アウト』をフルヴォリュームでかけてますから、その家へお入り下さい」

フランク・ザッパの声が鳴り響く家のチャイムを押すと、ドノヴァンの真似をして自分でつくった魔法使いみたいなパジャマを着た鈴木慶一が現れました。
その彼の突拍子のなさに対して、あがたさんも負けません。彼は、いきなりギターを弾いて自作の歌を歌い始めた。
そうして「友達」になった2人は、街へ出て行く。
すでに音楽舎ならびにURCに顔が利くあがたさんに連れられ、4月18日、新宿の御苑スタジオで、慶一さんは、岡林信康とはっぴいえんどと早川義夫のレコーディング風景を見て感動するのです。
そうして、あがた森魚と鈴木慶一の物語、そして、はちみつぱいの伝説が始まった。
人は、一人では何もできない。
人と人が出会うことで、何かが、そしてすべてが始まる。
ひとりで生きてる奴なんか、誰もいない。
歌は、もしかして人と人を繋ぐものなのかもしれない。
それはたとえば、フランク・ザッパのマザーズ・オブ・インベンションだったり、岡林信康だったり、はっぴいえんどだったり、早川義夫だったり。
そして、家まで来てくれた、初めて出会う親友の弾き語りだったり、ね。


(※参考ウェブサイト・・・http://homepage2.nifty.com/out-site/spanishcastlemagic/hachimitsupie1970.htm)



 Mr. America, walk on by your schools that do not teach
 Mr. America, walk on by the minds that won't be reached
 Mr. America try to hide the emptiness that's you inside
 But once you find that the way you lied
 And all the corny tricks you tried
 Will not forestall the rising tide of HUNGRY FREAKS DADDY!
 They won't go on four no more
 Great mid-western hardware store
 Philosophy that turns away
 From those who aren't afraid to say what's on their minds
 The left behinds of the great society
 HUNGRY FREAKS, DADDY!
 Mr. America, walk on by your supermarket dream
 Mr. America, walk on by the liquor store supreme
 Mr. America try to hide the product of your savage pride
 The useful minds that it denied
 The day you shrugged and stepped aside
 You saw their clothes, and then you cried,
 Those HUNGRY FREAKS, DADDY!
 They won't go on four no more
 Great mid-western hardware store
 Philosophy that turns away
 From those who aren't afraid to say what's on their minds
 The left behinds of the great society


 "Hungry Freaks, Daddy" lyrics&music by Frank Zappa


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Freak Out
The Mothers of Invention "Freak Out"
1. "Hungry Freaks, Daddy" 2. I Ain't Got No Heart 3. Who Are The Brain Police? 4. Go Cry On Somebody Else's Shoulder 5. Motherly Love 6. How Could I Be Such A Fool 7. Wowie Zowie 8. You Didn't Try To Call Me 9. Any Way The Wind Blows 10. I'm Not Satisfied 11. You're Probably Wondering Why I'm Here 12. Trouble Every Day 13. "Help, I'm A Rock" 14. It Can't Happen Here 15. The Return Of The Son Of Monster Magnet
Released on June 27, 1966


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岡林信康のバックバンドとなってフォーク・ファンの前に姿を現したはっぴいえんどが、ついにアルバムを発表した。
林静一の描いたジャケットから、通称「ゆでめん」と呼ばれた。
いまでは考えられないことだけど、当時は、ロックを日本語で歌うべきか歌わざるべきかという、「日本語ロック論争」があった。
それまでのグループサウンズの歌謡曲ロックとはあまりにも違う、日本語の詩的表現とロック音楽の融合は、波紋を呼んだ。
当時はURCから端を発すフォークソングのつくり出した「自分の言葉で歌うことが当然」という考えが定着しつつあった中で、芸能界のアイドルであるGSバンドは次第に人気を押されていった。
そこで出てきたのが、はっぴいえんどだ。
いまだから普通にみんなが聴けるけど、1970年当時は、あまりに前衛的なものだったはずだ。
はっぴいえんどに噛み付いたのは、ロック界のドン、内田裕也
彼は基本的にロックは英語で歌えばいい、欧米のカバーでいいという考えだった。
日劇ウェスタンカーニバルの時代からロックンロールをやってきた内田裕也にとっては、突如現れたフォークの連中、そしてついにロックを名乗る者まで出てきて、音楽ファンの人気をかっさらっていったのは堪え難いことだっただろう。
「またURCかよ! まったく!」
内田裕也は、GSとも違う、日本人によるロックンロールを模索していた。
はっぴいえんどの表現は、彼が求める答えとは違った。全然違う。
そこで、ちゃんと喧嘩をふっかける内田裕也は、やっぱりかっこいい。喧嘩ができる面白さ。
ちゃんと正々堂々と対談に応じた、はっぴいえんどもすごいと思う。
「歌詞と曲が合ってない」と言う内田裕也に対して、はっぴいえんどは緊張しながら対峙する。
ミッキー・カーチスは内田裕也よりも彼らを好意的に見ていたし、それぞれの思惑が交差しながら、時代は少しずつつくられていく。
日本語の歌詞にすることを提案したのは松本隆で、大瀧詠一細野晴臣は反対した。鈴木茂は、どっちでもよかった。
結果、最後まで粘った細野晴臣が折れて、大いなる実験が始まった。
だが、そこで松本隆が持ってきた歌詞がまた、普通の歌詞じゃない。
「詞」というよりも「詩」だ。アングラの匂い漂わす、現代詩の数々だ。
しかも1曲目から、「炬燵」「お雑煮」「歌留多」と、思いっきり日本的な情景。
そして漢字の多用、「〜です」というような言い回し、従来のロックンロールが示してきた「かっこよさ」とはまるで違う。
そうした言葉たちが、バッファロー・スプリングフィールドに触発されたメロディーに乗っていく。
はっぴいえんどが音楽舎の所属になったのは、小倉エージと知り合いだったからだ。
もしも、彼らが音楽舎じゃなかったら、URCじゃなかったら、歴史は大きく変わっていただろう。
「J-POP」なんてものは、生まれ得なかったに違いない。
岡林信康をはじめ、数々のフォークシンガーたちと共演し、一緒にツアーを廻ることで、はっぴいえんどの4人も影響を受け、実験は色づき、日本語ロックは育っていった。
でも、はっぴいえんどの存在を煙たがるシンガーも少なからずいた。
そんな人たちに高田渡は、「いいじゃない、こういうのがいても」と言った。
「ロック嫌い」をしばしば口にしてみせながら、実際には高田渡はロックに理解があったし、のちにシーナ&ロケッツとも友達になるのだ!
「この人たち、詩人だよ」
高田渡がそう言うのだから、間違いない。
はっぴいえんどは、日本語ロックバンドの先駆けであり、そして「詩人」だったのだ。
ある日、はっぴいえんどのメンバーが、高田渡がバッファロー・スプリングフィールドのレコードを持っているのを目撃したという。
渡さん、どんなもんか聴いてみようとしたんだな、きっと・・・。


 お正月と云えば
 炬燵を囲んで
 お雑煮を食べながら
 歌留多を していたものです

 今年は一人ぼっちで
 年を迎えたんです
 除夜の鐘が寂しすぎ
 耳を押えてました

  家さえ飛び出なければ
  今頃 皆 揃って
  お芽出度うが云えたのに
  何処で間違えたのか

 だけど全てを賭けた
 今は唯やってみよう
 春が訪れるまで
 今は遠くないはず

  家さえ飛び出なければ
  今頃 皆 揃って
  お芽出度うが云えたのに
  何処で間違えたのか

 だけど全てを賭けた
 今は唯やってみよう
 春が訪れるまで
 今は遠くないはず

  春よ来い 春よ来い
  春よ来い 春よ来い
  春よ来い 春よ来い


 「春よ来い」詩:松本隆 曲:大瀧詠一



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はっぴいえんど
はっぴいえんど「はっぴいえんど」
1. 春よ来い 2. かくれんぼ 3. しんしんしん 4. 飛べない空 5. 敵タナトスを想起せよ! 6. あやか市の動物園 7. 12月の雨の日 8. いらいら 9. 朝 10. はっぴいえんど 11. 続はっぴーいいえーんど
Released on August 5, 1970


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「あしたのジョー」の力石徹が死んだ。
東京キッドブラザーズ主宰の東由多加の呼びかけによって、天井桟敷の仲間である寺山修司らも加わり、3月24日、講談社の講堂にて、力石の告別式が開かれた。
800人ほどのファンが詰めかけ、本来、漫画雑誌やテレビ画面の中の「非実在青少年」であるはずだった、ひとりのボクサーの死を悼んだ。
寺山は、弔辞にてこう語った。
「力石はスーパーマンでも同時代の英雄でもなく、要するにスラムのゲリラだった矢吹丈の描いた仮想敵、幻想の体制権力だったのである」
「力石は死んだのではなく、見失われたのであり、それは七〇年の時代感情の憎々しいまでの的確な反映であるというほかはないだろう」
「耳をすましてもきこえてくるのはシュプレヒコールでもなければ時計台放送でもない。矢吹丈のシュッ、シュッというシャドウの息の音でもない。ただの二月の空っ風だけである」
アングラ演劇の旗手たちによる、現実と非現実がないまぜになる瞬間、いやそうした有り様こそが人生の本質だ。
かつてのクレージーキャッツのブームを、寺山修司は「サラリーマンではない植木等が、『サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだ』と歌い・・・」と評した。
いつの時代も、芸術と芸能は、嘘とほんとうの橋渡し、そしてその境目さえあやふやにする、人間たちの生きるための知恵であり、才能である。
ほかの動物は、ただそのままに生きている。食べ、飲み、繁殖し、眠り、死ぬ。その繰り返しだ。
しかし、人間は複雑な知性を得た分、やはり複雑な社会構造を持ち続けなければならない。
たとえばそれは、芸能芸術である。
サラリーマンではない植木等が、サラリーマンの悲哀を陽気に歌う。
学校に通っていないAKB48が、女子高生の格好をして歌って踊る。
アルバイトをしたことのない上戸彩が、アルバイトのCMに出演する。
だから、私たちの暮らす日常を、あんまり現実と非現実とで分けようとすると、寂しい気持ちにはなるまいか。だって、私たちは、史上最もわけのわからないイキモノ、「人間」なのだから!
だから、1970年、確かに力石徹は生きていて、そして死んだ。
アニメの「あしたのジョー」のオープニング曲は、尾藤イサオの歌唱だが、エンディング曲は2つある。
40話までが、俳優の小池朝雄の歌で、「ジョーの子守唄」。これだけ作詞を原作者の梶原一騎が担当している。
小池朝雄は、木枯し紋次郎や座頭市物語ほか、様々なテレビドラマや映画で見ることができる。
41話から最終話までが、ヒデタ樹による「力石徹のテーマ」。こちらは再び寺山修司が担当。
すべて作曲は八木正生で、彼は日本におけるジャズ黎明期の立役者のひとりで、多くの映画音楽を担当、そしてのちにサザンオールスターズのアレンジャーとして活躍もする。
そうだ、サザンオールスターズは紛れもなくジャズである。
そして、60年代後半から70年代前半に勃発した日本語フォーク&ロックの流れが生んだ、自由な新しいポップスの海、それが桑田佳祐とサザンオールスターズだ。すべては繋がってゆく。
ヒデタ樹は、50年代後半から活動する歌手で、アニメソングでも多く知られており、「この木なんの木、気になる気になる・・・」というあの有名な日立のCMソングの歌い手のひとりでもある。
ヒデ夕樹もまた、最後は淋しい死を迎えたという。試合に勝ったにも関わらず減量のために命を引き取った力石徹のように。
歌とは、孤独を元気に歌うことではないだろうか。
そして、この世はすべて、演劇なのではないか。
一幕の芝居、一曲の歌。
或いはまた、一瞬の死闘繰り広げるひとつのリング。
ヒデ夕樹のシャウトが、未来世紀に響き渡る。


 行け 荒野を おいらボクサー
 夕日がギラギラ 男の夢は 
 泣け 明日は 今日は狼
 自分の傷は自分でなめろ

 みんなはこの俺を情無用と言う
 月に吠えて一人 Woooo!
 親なし宿なしの 名もないボクサーは
 鎖を噛みきった Yeah Yeah Yeah!!!

 行け 荒野を おいらボクサー
 朝日が昇るよ 男の胸に

 書け 名前を 「徹」 「力石」
 流れる雲においらの指で
 聞け ブルース 一人歌うよ
 涙は誰にも見せてはならぬ

 どこかで燃えている めくらの星一つ
 たたき落とせパンチ Yeah!
 親なし宿なしの 名もないボクサーは
 鎖を噛みきった Woooo!!!

 行け 荒野を おいらボクサー
 朝日が登るよ 男の胸に Yeah!!!!


 「力石徹のテーマ」詞:寺山修司 曲:八木正夫



あしたのジョー ソングファイル

あしたのジョー 全12巻セット (講談社漫画文庫) あしたのジョー 全巻セット ちばてつや全集 (あしたのジョー) (ホーム社書籍扱コミックス) あしたのジョー COMPLETE DVD-BOX


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    藍見澪+フォークソング研究所 -Rei Aimi + Folksong Institute-
    日本のフォークやロックの歴史を紡ぎ、現在のポップス、さらにすべての歌に繋げる実験・・・といいながら、よくわかっていません。

    http://morinokaigi.chu.jp

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