昭和23年9月23日 |
上野動物園に全線35m、客車3両18人乗りの「おサル電車」設置される。
運転手はカニクイザルの「チイちゃん」1周5円。 |
昭和24年3月頃 |
チイちゃんがシモヤケに罹り、長期の運転休止。 |
昭和24年4月1日 |
新型車両導入。全線100m、機関車はEC型2馬力で客車4両60人乗り。
スピードは1周3分。運転手は3匹に増員。 |
昭和43年4月 |
累計乗客者数1000万人を突破。 |
昭和47年 |
機関車が新幹線型に。客車4両、乗客40人。
1周150mの8の字コースを2、3周した。 |
昭和48年10月 |
東京で開催された国際動物園長連盟会議で
「おサルの電車は日本だけで、残酷だ」と指摘を受ける。
同月「動物保護法」成立。 |
昭和48年12月 |
昭和48年の年間乗客者数118万人。 |
昭和49年4月 |
動物保護法施行。 |
昭和49年5月18日 |
動物園の改築工事終了で4ヶ月ぶりに運行再開されるも、
「動物をみだりに傷つけ、または苦しめることのないようにし、
習性を考慮せよ」という「保護法」の下、7月から運行が全面ストップに。 |
昭和49年6月30日 |
午後3時半から「おサル電車」のお別れ式が開かれる。
ファン4000人が集まり、運転手のメリー、ナナ(共にブタオザル)、
マリ(アカゲザル)の メス3匹にねぎらいのバナナがプレゼントされた。 |
昭和49年7月 |
マリ、アカゲザル舎で集団生活開始。サル社会に復帰する。
メリーとナナは、9月末現在未復帰。 |
昭和57年6月 |
おサル電車の考案者相沢次郎氏
(ロボット技術研究所所長、日本児童文化研究所理事長。78歳)、
上野動物園の入場者低迷を打開するため、
鈴木都知事におサル電車の復活を直訴へ。 |
昭和57年12月 |
相沢次郎氏、死去。 |