はじめまして、『まぼろしチャンネル』さんの方に参加させていただくことになりました、アタクシ戌嶋イヌヲと申します。以後、適当にお見知り置いたり置かなかったりしておいてください。
とりあえず、なんとなく先週行ってきたという理由のみで神田は神保町のお話など。
アタクシが神保町の書店街に通いだしてかれこれ20年以上経ちますかね。実家の最寄り駅が東西線の木場だったりで、まぁ、学校サボっては東西線の竹橋で降りて、歩いて書泉ブックマートまで歩いたもんです。竹橋から神保町へ至る道すがらにロシヤ料理のバラライカという重厚な店がございまして、10代の頃いつも気になっておりました。大人になって、ふと行ってみようと思った時には、折しもの再開発で店は潰れていて、跡形もなく......。何でしょうこの再開発という名の都市アイロン掛け計画は。
学校をサボタージュして、神保町に通ってた頃は、年代でいうと平成2年とか? いや、どうだろ。まあ、平成ちょい過ぎですね。書泉ブックマートには2階に用がありまして来ておりました。2階が、TRPG。いわゆるテーブルトークロールプレイングゲームというブツを専門に扱うフロアになっとりまして、そこで輸入のゲーム買ったり、ダイス買ったり、小説買ったりと気持ち悪い感じで暮らしていたんですね。ちなみにこないだ行ったら、同書店の2階はBL(ボーイズ・ラブ)と少女漫画専門のフロアになっとりました。時代って変わりますな。直筆色紙とかいっぱいあったしよろしい。3階は昔通り、青年・少年漫画。けれど、ガロ関係の棚が狭くなってて寂しかった。昔は山野一が平積みだったのに。
再開発自体の勢いは書店街自体には直接は波及してないように見えるものの、、ひとつ裏道に入るとビルがガンガン建て替わったりと結構きています。裏通りの紙問屋とか細かい商店はほぼ生き残っていません。メインの書店や古書店が並ぶすずらん通りがなんとか体をなしてはいるものの、ここも、何気に老舗の店がちょこちょこ潰れて資本系の居酒屋とかに入れ替わっていたりしますな。マンガやアニメみたいに絵がカワイイとかクールだから言葉なんかなくてもOK!ってなノリとちがい、書籍はなにせ基本的に日本語が読めてなんぼという制約があるもんで、文化として世界に発信するために残しましょうというのもウンニャラマンニャラというか......Amazonが神保町を焦土にする日は近いというかもう手の打ちようがないのかにゃぁ。でも電子書籍は認めん。いあ、モノによっては認めるが、紙じゃなきゃダメな本も世の中にはあるのだよ、君!
そうだ、そんなことではなく、いちおう昭和から平成へ至る流れのネタというか、まあお話ということで神保町話でひとつ。
書泉ブックマートの斜め前、というか神保町の象徴のような書店である三省堂という大きな書店がございます。アタクシも昔からお世話になっております。アタクシがよく通うようになった頃が平成元年の頃かな? まあ、その前後だと思うのですわね。その頃、とにかく神保町というのは、秋葉原と水道橋と御茶ノ水とのマニアな人々が渾然一体となったカオスなエリアとなっておりました。皆さんが各分野の専門書を探しに来るわけですよ。それぞれ、楽器なりプロレスなり基板なりの人々が歩いてこれる距離に神保町はありましたからね。大学なんかもいっぱいありますし。
各分野のマニアの先輩方はこだわりや知識をひけらかしたり、しゃべり散らかしたりしたくて仕方ないものの、今とちがってTwitterも2ちゃんもございません。「おら、こんな村やだぁ~♪」状態ですな。ではどうするかといえば、三省堂の2階の男性用トイレの個室の壁。そこに思いの丈を書き込むのです。要するに便所の落書きです。自分の吐き出したい何かを落書きという違法手段でもって便所の壁に書きなぐるのです。そして、その落書きをしばらく時間を置いて見に行くと、まれに誰かが返事を付けてくれていることがあったりするのです。今でいうレスですな。これは、当時かなり浸透しており、どの個室も落書きまみれになっておりました。事実、ここの落書きから記事のネタを書くタブロイドもあった始末。いわゆる、これぞツリー型掲示板の元祖でござい。2ちゃんとかあめぞうを、それなりに知ってる人なら分かる話だと思います。ちなみに、当時、というか平成3年位の書泉ブックマートの1階はサブカルミニコミ誌売り場になっていて狂っていると思いました。南原企画(『月刊OUT』の元編集長の編プロ)の頭のおかしい本とかよく買いました。
グーグル・マップもAmazonも否定しないし活用するけども、足と目と頭と会話を駆使して、好みの本を探すというのはかなり楽しいほんのひと時の旅になる。あなたも、もし気が向いたら神保町になどぶらり立ち寄ってみては。秋葉原からも歩いていけるよん。
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