高田渡の父親、高田豊は、元共産党員だった。
1950年、日本共産党が分裂したとき、嫌気がさして離党した。
それからは、ひとりでリヤカーを引いて町中を回り、町をよくするための術を説いた。
1969年に、高田渡は高石友也事務所を"離党"している。ギャラの不正があったからだ。
東京を離れた高田渡は、京都の山科で暮らしていた。
アルバイトでお金が入ると、そのお金がなくなるまで、うだうだ。
お昼に目が覚めるとお出掛け。
六曜社で珈琲、本屋や洋服屋を覗いて、さくら食堂でごはん、イノダコーヒでまた珈琲。
夕暮れ頃に中川五郎と待ち合わせ。マップで珈琲、同志社大学の食堂でごはん、侘助で珈琲、で、最後はまた六曜社で珈琲。
こたつと電気ポットしかないアパートの部屋に、ギターとカップラーメンがあって、中川五郎、岩井宏、松田幸一、中川イサト、加川良と、仲間たちが集まった。
「ばとこいあ」というミニコミ誌を岩井宏と一緒につくり、コンサートも開いたりした。
日本中が、万博だの赤軍派だのと言っているときに、ゆっくりとマイペース。
ほんとだったら、飛行機なんてハイジャックしなくていいんだし、大阪万博に行きたいと嘆かなくてもいい。
何より自分の信念を大事にした無頼の詩人、高田豊の遺伝子を継ぐ高田渡は、よど号飛んでった1970年の青空の下、河原町通りをノコノコ歩く。
そんな年寄りみたいな変な青年も、やっぱり、恋をしていたのです。
でもただのラブソングにはならないのだ。
「あんたもどう? 少しばかりってのを」
先天的オトナ・高田渡の、一級のダンディズム。
三条へ行かなくちゃ
三条堺町のイノダってコーヒー屋へね
あの娘に会いに
なに 好きなコーヒーを少しばかり
お早よう かわいい娘ちゃん
ご機嫌いかが?
一緒にどう
少しばかりってのを
オレの好きなコーヒーを少しばかり
いい娘だな 本当にいい娘だな
ねえ あついのをおねがい
そう あついのをおねがい
そう 最後の一滴が勝負さ
オレのコーヒーを少しばかり
三条へ行かなくちゃ
三条堺町のイノダってコーヒー屋へね
あの娘に会いに
なに 好きなコーヒーを少しばかり
あんたもどう?
少しばかりってのを
「コーヒー・ブルース」詩:高田渡 曲:traditional