第6回 修善寺の
昭和レトロな温泉宿の巻
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年末休暇を利用して修善寺温泉に行ってきた。十一月に急に入院してしまったので、ハトヤホテルの予約を解約、退院の目処が立ったところで、一泊一万二千円、部屋食で一人旅可能の宿をネットで見つけたのだ。修善寺は生まれて一度もいったことがないので期待していた。
当日は朝から散々だった。大宮駅に向かう途中のバスで人身事故の瞬間を見てしまうし、修善寺駅に着いたら反対側に歩いてしまい、歩いて戻ってバスに乗ろうとしたらバス停に立っているのにもかかわらず伊豆箱根鉄道バスの運転手は無視して行ってしまう。次のバスまで30分も待つので、いくらなんでも歩いたほうが早いだろう。地元のひとに聞きながら温泉街まで歩いていったが修善寺駅から温泉街はかなり遠く、いつも味わう車なしの悲哀がまた今回もなのであった。もう40歳なのだからタクシーを使えばいいのではと思う向きもあるだろうが、この原稿のタイトルは「散歩」なのである。
途中、コンビニはないかと鵜の目鷹の目で探していたら、ちょうどあったので買い物がてら、暖をとる。静岡だからもっと温暖かと思っていたが夕方で日が暮れると、歩いていても寒いのである。
ようやく温泉街に入り、坂を上っていき宿を発見。外観はそんなに悪くはなさそう。
到着してうだうだ着替えたり、室内を眺めていたりしたら、仲居さんがお茶の世話をしにきた。もってきたのは昔ながらの魔法瓶。おしぼりが載っている皿が、竹で編んだようなものではなく、昭和40年代に流行した、ガラスの切子をプラスチックに模したような皿であった。安っぽい高級感をだそうとしていたものだ。ちなみに食後のデザートでイチゴが盛られていた皿やサラダボウルもそんなガラス切子もどきの食器だった。ああ懐かしいねえ。
350年続いている老舗の宿で、聞けば、建物は昭和四十年代の建築だとか。
宿は胃腸の名湯ということで楽しみだったが、掛け流しではなく、温泉組合の貯湯槽からひいた循環式。しかしうれしい誤算はトイレつきの部屋だったはずなのに、風呂までついていたこと。便所の扉は木製で、ドアノブがダイヤ型の硬質プラスチックで、「あき」「しめ」の表記が出る。あった、あったよこういう公衆ドア。それからこりゃまた懐かしい茶色いウッド調の冷暖房の機械。思わずテレビは100円硬貨のコインタイマー式かと思ったらそんなことはありませんでした。
色とりどりのタイル張りのお風呂や便所は嫌いな人には合わないかもしれないが、僕は大歓迎。それにしても宿泊客がそんなにいないようで、一泊目はいつ大浴場に行っても貸しきり状態で誰もいない。誰もいない風呂というのもさびしいものがある。
執筆ではなく、ダラダラするのが目的だったので、ずっと宿屋でごろごろしていたが、だんだんそれも退屈してきたので、散歩がてら外に行く。修善寺名物なのか、日本蕎麦屋の前で大行列。修善寺に来る前になにも下調べをしてこなかったので、どういう名物のお店なのかは知らない。修善寺というお寺そのものも見つかったのでおまいりする。石段を登ると結構カップルが多い。この温泉街は福島の飯坂温泉よりは散歩する歩行者に優しい街だが、いまいち人出は盛んではない。年末でこのくらいの人出ということは、宿屋もみやげ物屋もかなりきついのではないだろうか。
路地を通って、商店街のようなところへ。なんだかお土産屋さんのような店があったが、それは単にショーウインドウにお土産的なものや、折り紙細工を並べているだけの関係ない家であった。まぎわらしい。
桂川の南岸に広がる温泉街にはスマートボールと射的屋はあったが営業しているかどうかわからない。立って弾くパチンコ、ボットル落としもあった。遊び客が誰もいないのでなにがどのようなものか確認できない。射的については、ガラス窓越しに見た範囲では、鬼怒川温泉と同じ、白い陶器製の像を倒して、その数によって景品がもらえる方式のようだ。間口が広いのだから戸を締め切りにせず開放し、呼び込みをすればもっと立ち寄り客が増えるのに残念である。夏には修善寺推進委員会主催の「修善寺温泉場三種遊技スマットル・スタンプラリー」が行われているというから、射的やボットル落しは、夏場にもっと盛んなのかもしれない。この地にはこの手の遊戯場は初音遊技場、柳川遊技場、娯楽センターアゲン、山口遊技場、いなみつ遊技場、木戸橋遊技場、梅原遊技場と7軒もあるという。これは最近の温泉地にしては驚きの数である。
あちらこちらみたが、温泉ストリップ小屋も見当たらない。ああ懐かしい日本の温泉情緒の灯よどこへいく。お土産屋さんに「踊子と学生」という名前の菓子があるというプレートが掲げられていたが昔の看板であり、いまはないようだ。このお土産物屋の隣がバスターミナルになっているが、なんてことはない車庫と待合室であった。十和田湖のほうがにぎやかさが感じられた。
宿にあらかじめ、食事制限(豚・貝不可)があることをファックスしておいたら、かなり板長が考えてくれ、そんなに食事は残さずに済んだ。
一日目は牛しゃぶしゃぶ、ゴマ豆腐、ゆば刺身、野菜サラダ、おそば、ビーフシチュウ、お焼き、イチゴ。仲居さんが、「板長がよくわからないから紙に、明日食べたいものを書いてくれ」という。食べたいものを書いたら2日目の夕食は鶏づくしで、おすましの具までモモ肉となった。いってみるもんです。親切なかたがいれば持病があっても世の中暮らしやすいものですな。しかも一人旅でも部屋食なので他の宿泊客のまなざしに負けることはない。自分のペースでゆっくりと食べられ、温かいものは温かいうちに出てきた。
2日目は鶏鍋、マグロ赤身とこんにゃくの刺身、ローストビーフ、かも肉サラダ、ふろふき大根、おそば、りんご容器にはいったシチュウといった感じで、これまたグー。昭和40年代の生活感を味わいたいヤングにオススメの温泉宿でヤンス。
(行きたいひとはウエブマスターまでメールをくだされば、宿名をお教えします。ネットの「旅の窓口」で予約ができます)。
●書き下ろし
2004年2月6日更新
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