■1930年 / 昭和5年
・・・1930年。アメリカ大恐慌時代。
少年は、さすらっていた。家族をなくしての放浪である。
彼の名は、ウッドロウ。
ウッドロウ・ウィルソン・ガスリー。ウディ・ガスリー。
生来の放浪者、日雇い労働者、のちに共産主義者、そしてフォークの父。
アメリカの乾いた空に、カントリーミュージックが流れ出した。カーター・ファミリーだ。
カントリーとフォークは姉妹のようなものだろうか? ブルーズは?
ああ、アメリカのルーツ・ミュージックは、かくも巨大で複雑な系図を成り立たせる。
ガスリーのように、旅をしながら労働しながら生きる、そんな旅こそが人生という人々はホーボーと呼ばれた。
ホーボーにフォークソングはつきものだったかもしれない。
流れ流れながらの歌うたい、決してレコードに録音するとか、有名になるとか、そういうことじゃなく、ただ生き様にまかせて歌われた自然天然の歌たち・・・。
受け継がれてきたトラディショナルなメロディに、自分で考えた言葉を載せて歌う。それがフォークソングだった。
でも、それって、歌として本来、普通のことのはずかもしれない。
海の向こうの日本はというと、昭和5年。
演歌師の添田唖蝉坊が「生活戦線異常あり」と歌ってた。これが最後の曲だった。
添田唖蝉坊とウディ・ガスリー、この2つの反逆とユーモアの魂が、のちに高田渡という一人のフォークシンガーにとっての重要なルーツとなるのだった。
地球的感覚で考えれば、ガスリーは唖蝉坊と入れ替わるように歌い出したとも言える。
この世に、無関係であることなど存在しない、と思うのだ。
すべての人、すべての物事は、あまねく繋がっている。
目に見えない光の系譜がある。
私たちは、すべて、リンクしている。
■1935年 / 昭和10年
1935年、ガスリーはギター抱えて、カリフォルニアのラジオ局でフォークミュージック歌ってた。或いはプロテストソング。
なんでカリフォルニアにいったん腰を落ち着かせていたかというと、親戚からの誘いもあり、葡萄農園で働いていたのだった。「怒りの葡萄」の時代。
ガスリーの歌とお喋りは人気を博した。
カントリー、ブルーグラス、ヒルビリー、そして労働者時代に培われた彼のプロテスト魂をぶつけた歌たち・・・。
砂嵐(ダストボウル)が幾度もやってきて土地を壊した、そんな時代のアメリカだった。
過剰な農地開拓のために、土は痩せ、それが原因で日照りの中で地面は乾燥し、砂埃を舞いあがらせた。
空から地面まで巨大な黒雲が覆いかぶさり、竜巻(ダストストーム)が広大なアメリカを襲った。
砂が黒い雨のように降ってくる。労働者、農民たちの厳しい日々。
ウディ・ガスリーは、何をした?
ウディ・ガスリーは、それを歌にした。
その頃日本は昭和10年。戦前ってやつである。
大河内傳次郎の丹下左膳が、こけ猿の壺を巡ってドタバタしている。
ディック・ミネや淡谷のり子や東海林太郎が、自慢の喉で大衆を酔わせている。
満州鉄道は、日の丸の煙を吐きながら荒野を走っていた。
■1939年 / 昭和14年
そんな丹下左膳の気持ちも知らぬげに、1939年、ガスリーはカリフォルニアを離れ、ニューヨークへ・・・。
第二次世界大戦が勃発。
そして翌年、ウディ・ガスリーの代表曲としばしば言われる歌、「我が祖国」(This land is your land) が生まれた。
■1940年 / 昭和15年
「我が祖国」は、ガスリーにとっての「God Bress America」へのアンサーソングである。
昨今の日本での、教育における「愛国心」についての問題、或いは教職員の「君が代」不起立に関する条例の話と重なるものがある。
人間に愛国心というものがもしあるならば、それは個人の問題であり、あらかじめ決められたイメージなどではない・・・。
(ちなみに「我が祖国」は、近未来アメリカの敵国イラクの国歌のタイトルでもある)
ところで、ウディ・ガスリーは貧しい労働者の立場で歌っていても、インディアンや黒人奴隷にとっては、「我が祖国」が自分たちの歌と思えるだろうか?
「人を悲しませる歌は歌わない」と言ったガスリー、だけど世界はいつだって何重もの層でできていて、無数の色がグラデーションをつくっている。
すべての立場に立って、すべての場合を想定して、何かを行動したり表現するのは、どうしたって不可能だ。数えきれない矛盾と妥協の上に、私たちの人生は成り立っている。
その「しかたなさ」を知りながら、しかし諦めず、道を歩いていく。そうでなければ、原理主義者になってしまう。
原理主義者でも神様でもないのなら、私たちは、すべての人には愛されないことを知りながら、この世界を生きる。歌も、たとえばそのあらわれだろう。
さて、1940年は、昭和15年となる。
藤山一郎である。田端義夫である、バタヤンである。古川ロッパが普通に現役である。
ちなみに小室等は、「好きなボーカリストを3人挙げるなら」と話したとき、田端義夫と高田渡を挙げた。この2人は誕生日も同じで1月1日・・・と、これはほんとかどうかわからない?
添田唖蝉坊&さつきや川上音二郎の演歌(演説歌)は、同じ読みでも艶歌へと変わり、プロテストソング空白のまま、いつしか昭和は戦争の時代へと飲み込まれていく。
忌まわしき、第二次世界大戦である。
フランスにいた岡本太郎も、ドイツ軍のパリ侵攻から逃れ、やむなく帰国。
戦争は、すべての芸能、芸術、娯楽、文化、文明、日常を破壊する。
しかし、皮肉なことに、その戦火と迫害の中で、新しい文化や文明が生まれてゆく。
「歌わないのが、いちばんいいんだよね」と、高田渡の声が聴こえてくる・・・。
Woody Guthrie "Dust Bowl Ballads"
とりあえず、きょうはこんなところ。
おつかれさま。次の次の次くらいには60年代の日本に行くよ。もうちょっとだけアメリカ。
きょうのエンディングテーマ。ウディ・ガスリーで、「我が祖国」。
"This land is your land", Woody Guthrie.
This land is your land This land is my land
From California to the New York island;
From the red wood forest to the Gulf Stream waters
This land was made for you and Me.
As I was walking that ribbon of highway,
I saw above me that endless skyway:
I saw below me that golden valley:
This land was made for you and me.
I've roamed and rambled and I followed my footsteps
To the sparkling sands of her diamond deserts;
And all around me a voice was sounding:
This land was made for you and me.
When the sun came shining, and I was strolling,
And the wheat fields waving and the dust clouds rolling,
As the fog was lifting a voice was chanting:
This land was made for you and me.
As I went walking I saw a sign there
And on the sign it said "No Trespassing."
But on the other side it didn't say nothing,
That side was made for you and me.
In the shadow of the steeple I saw my people,
By the relief office I seen my people;
As they stood there hungry, I stood there asking
Is this land made for you and me?
Nobody living can ever stop me,
As I go walking that freedom highway;
Nobody living can ever make me turn back
This land was made for you and me.
この国は君の国 この国はぼくの国
カリフォルニアからニューヨークまで
アメリカスギの森 メキシコ湾の流れ
この国は君とぼくのためにつくられた
リボンみたいなハイウェイ歩いてた
頭の上に終わりのない航空路
下に見えるのは黄金色の谷
この国は君とぼくのためにつくられた
ぼくはさまよい続けて歩き続けた
ダイヤモンドの砂漠に広がるきらめく砂へ
ぼくを取り囲む声は、こう言っていたよ
「この国は君とぼくのためにつくられた」って
太陽が輝いてぼくはぶらぶら歩いてた
小麦畑は波打って砂ぼこりがうねってた
霧が晴れかけて歌っている声がした
この国は君とぼくのためにつくられた
歩き続けると標識があるのが見えた
標識には「立ち入り禁止」って書いてあった
でも裏側には何も書いてなかった
裏側は君とぼくのためにつくられたんだ
尖塔の影の中にぼくの仲間がいるのを見た
救護施設のそばにぼくの仲間がいるのを見た
彼らが腹を空かせて立ってたからぼくは聞いた
「この国は君とぼくのためにつくられたの?」
この世の中で誰もぼくを止められない
あの自由のハイウェイ歩いてるときは
この世の中で誰もぼくを引き返らせない
この国は君とぼくのためにつくられた
"This Land is Your Land" by Woody Guthrie