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第2回「コンプレックス科 体重・体格類」の巻


■虚弱児はなぜ太らないか?
 身長を伸ばす機械と双璧をなすのが、体重を増やしたり、背筋を延ばして体格をよくしたりする「体格コンプレックス克服グッズ」たちです。女性が「女らしさ」を求められるように、チビッコ男性たちも「男らしさ」を際だたせるために、筋肉モリモリ顔マックロのスポーツマンを目指したのでした(健康体への呪縛は後段で語ります)。地域的には「骨川筋右衛門」「ガリガリ」とあだ名で呼ばれ、社会的には、「もやしッ子」といわれた体格虚弱児が有意に増えたのは昭和30年代後半ころからでしょうか。アカデミア青木さんの番組で「もやしっ子」が取り上げられていると思いますのでご確認ください。
 少子化高齢化社会とともに、若者の体格劣化は先進国に共通の悩みだそうですから、虚弱児が増えてきたというのは日本の経済成長上、避けられない副作用だったのです。
 私も「もやしっ子」でしたが(現在進行形)、よくオトナに「もやしは陽にあてないでも発芽して、栄養価たっぷりなんだ。本当はもやしは強いんだよ」と慰められたりしました。しかしそんな口先だけ達者になっても仕方なく、実際にクラスの暴れん坊とケンカして負けるのは、幼いながらも自尊心が傷つけられ、悔しいものでした。別にクラスで一番強くなって、ギッタバッタと寄せ来る敵を総なめにしたいとは思いませんが、少なくても威張っている奴に侮られたり、甘くみられたりするのはイヤなのです。ですから、クラスの暴れん坊将軍が人格者で、別に体格貧弱の奴をいびったりしないのならそのままもやしっ子でもいいんです。でもなぜか体格がいい奴は、どうしても自分の実力を誇示したいらしく、何かにつけて、ヘッドロックをかけてきたり、腕相撲を挑んでくるのでした。
 誤解のないようにいっておきますが、私は体格がよろしい方を尊敬しています。彼らとて一朝一夕で筋肉モリモリになったのではなく、毎日筋トレや走り込みなどの鍛錬を積んだたまものでしょう。私もエキスパンダーをやるとか、ブルワーカーをやるとか、せめて腕立て伏せをやるとかすれば、もうちっとマシになるとは思いますが、そんなトレーニングを毎日するのが面倒クサイのです。日焼けサロンに通うのがおっくうなのです。
 つまり、虚弱児は往々にして「ナマケモノ」ということですね。このような根性なしが体力的なものから来ているのか、もともとの性格なのかは分かりません。しかし確信犯的なガリガリ君がいることも確かです。

■フトリン散

強力フトリン散
(少年ブック・
昭和42年4月号)
フリトン剤広告

 ご紹介する「強力フトリン散」は、飲むだけで筋肉がモリモリ太くなるという、手軽な肉体増強剤です。「新しい血肉が増える血肉素」が入っているとのことですが、増血剤としての鉄分でしょうか。貧血が改善されればとりあえず血色はよくなり、見た目は元気にみえます。また、赤血球中のヘモグロビンが増えるので、酸素がたくさん体のなかに行き渡り、「やる気がしない」「すぐ疲れる」などの症状も改善します。
 肉が増えるというのはアミノ酸か、プロティンパウダーが入っているのでしょうか。アミノ酸は高価なのですが、この広告が出た昭和42年に、フトリン散は1500円と結構高めの値段なので、可能性はあります。しかし太らせるために、間接的な手法として胃腸を丈夫にするということも考えられますので、健胃剤を入れるという手もあります。
 なによりアヤシイのは社名です。
 「東大科学製薬」となっております。東大も科学も権威の象徴です。虎の威を借りている気がいたします。

  ■中山式快癒器
中山式快癒器広告
中山式快癒器
(少年画報・昭和35年2月号)

 ××式よりも、××流のほうが、なんとなく伝統の重みが感じられる印象があります。ところが不思議なことに健康器具に関しては、流よりも式のほうが安心感があるのです。たとえば中山流だの、西流と表記したら、どうも我流・自己流のイメージが出てきて、大丈夫かなと思いますが、中山式・西式となると、特許をとった国家お墨付きの手法という気がしてくるから不思議なものです。
 「中山式快癒器」は、現在も販売されているようですが、なんとなく指圧のイメージからオバアサンを連想してしまいます。腹巻きなどと同じようにヤングが使うイメージがあまりありません。ところがこの広告が出た昭和35年ころには、少年雑誌にこのように「胃腸と身体がメキメキ丈夫に」というコピーを出していたのです。
 快癒器は、背中や首のツボを自分で刺激するものです。2つ(首用)または4つ(背中用)の金属性の球の下に適度なスプリングが入っており、自分の体重をのせてツボをグリグリと刺激するという仕掛けです。自分ひとりでできるというのは、快癒器の上に寝そべって、自分でツボを求めて動き回るからです。
 「電気も薬も使わず!使用は簡単!女も子供も使えます」というあおり文句が「おんなこども」という言葉が生きていた時代を感じさせます。いまなら文句がきますよね。実際に購入したかたの使用前使用後の写真が掲載されていますが、昭和35年頃にはすでにこういう手法が確立されていたんですね。
 発売元はいわしや中山医療器本舗。調べると、昭和22年から快癒器を出しておられます。もともとは年配向けのツボ押しの健康器具だったのでしょうが、時代背景を見て、学生にまですそ野を拡げ、健康優良児を輩出するためのマシーンと化したのでした。

■国家が子どもたちの体格コンプレックスを産んだ!
 ところでどうして、子どもの世界では虚弱児童が劣等感をいだくような風潮になったのでしょうか。
 実はそれは国家的事業の現れだとしたらみなさんは驚くでしょうか。戦前の日本の国づくりのコンセプトのひとつは富国強兵でした。「国民皆兵」ということで、徴兵検査が行われ、心身ともに健康な男児が望まれていました。現在の厚生労働省の前身である衛生省が生まれたのは昭和12年ですが、これは当時の陸軍が国民の体位が低下していることを危機と感じ、内閣支持の条件として国民体位向上のための衛生省の設置を要求したからできたものでした。また、文部省も国民の体位向上として、学校給食や体育の時間を利用しました。
 たとえば、小学校での身体測定ですが、これが制度化されたのは明治30年です。この段階では学校衛生上の見地から、児童の発育と健康状態を把握するために「体格検査」を行っていたにすぎませんでした。ところが昭和12年に出された「身体検査令」によって、その検査結果を本人に通知し、自分の健康状態を自覚させることになりました。自らが自発的に全国標準と自分の体形を比べ、本人や保護者が適切な治療をしたり、予防的措置を講じることを求めています。統計学的に全国にランキングされる存在だった児童の体格が、これからは国家が望んでいる「健康体」(つまり兵隊)になるよう、自発的能動的態度をとることがもとめられたのです。
 国を挙げて、立派な兵隊さんになれる体格を持つ男性こそ正しい理想像として求められていたのですから、華奢で腺病質な肉体を持つ男性にとっては住み心地がよいものではありませんでした。多種多様な個々人を受け入れる社会ではなく、標準形にあてはまらない人、欠点・弱点をもつ人はそれらを克服する努力が求められる時代でした。
 これらの国家的価値判断が、儒教的な「男らしさ」と結び付き、戦後もしばらくは健全なる肉体と精神への信奉が続いたのです。例えば、昭和40年代のなかばくらいまでは小学校の学校体育は体力づくりの鍛錬が中心でした。2時間目と3時間目のあいだに行う業間体育や、指定校制度などがあり、体育(ひいてはスポーツ全般)が苦手な子どもを産んでいました。現在では楽しくスポーツに親しむという方向で体育教育は行われています。
 個人の尊厳を尊重する社会になったこんにちでは、健康体への呪縛は消えたようにみえます。健康優良児の個人表彰制度も昭和53年をさかいになくなりました。
 その理由は下記の通りです。
 ・評価項目は遺伝的要素が大きい。また、後天的にも生活環境などに左右され特定の階層の児童に限定される
 ・望ましい体力といっても、身長、体重に見合った体力となると千差万別で、審査基準の客観性が乏しい
 ・体力や知力も重視するといっても、どうしても身体の大きい児童が有利になる
 ・全人評価で個人を表彰するというやり方は受け入れられなくなった
 ・小学校6年生は成長過程であり、発達段階を審査表彰する時期としては不適当である
 これらの問題点は、昭和53年にならずとも明らかなことです。戦前に健康優良児表彰制度が出発したときには、見えていても見てはいけないことでした。ようやく兵士の育成という国家プロジェクトの残滓が昭和53年になくなったとみてよいでしょう。

●書きおろし


2002年6月7日更新


第1回「コンプレックス類 身長科」の巻


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