さえきあすか
その2 忠犬ハチ公クレヨンの巻
数年前のことですが、実家で飼っていた小太郎という名前の犬が亡くなりました。妹は家族の一員であった小太郎のお墓を玄関のななめ前につくり、その話を聞いた私はビックリ仰天!「なにも玄関の前に埋めなくても!」と思い、逢ったら一言いってやろうと、お盆休みに帰りました。
ところが、木の棒が立った地面を指差して、「小太郎のお墓だから」とさびしそうに話す妹を見ているとなにもいえず、しばらく様子を見ていると、家族のみんなが夕方植物に水をかける時に、お墓にも水をかけて「小太郎涼しいか?」と話しかけていました。そんな姿は亡くなった年だけかと思っていたら、数年経った現在でも続いています。小太郎は私が考えていた以上に、家族にとって大きな存在だったのですね。「お墓の本当の姿はこれだ!」なんてひそかに思う私なのです。
それにしても犬って本当に賢いです。小太郎も年に一度しか会わない私のことをしっかり覚えていたし、一緒に買い物に行っても、首輪をしていないのに店先でジッと待っていました。そんな賢い犬の代表選手といえるのが、「忠犬ハチ公」ではないでしょうか。いうまでもありませんが、渋谷駅の待ち合わせ場所として有名な銅像になった犬、ハチ公です。今回ご紹介する「忠犬ハチ公クレヨン」は、いかにハチ公が有名な存在であったかうかがい知れる一品なのです。箱に貼られたラベルには、登録商標された白いハチ公が描いてあります。箱は縦開きと横開きの2種類あり、縦10センチ、横8センチの小さなモノです。「文部省指定八色」と明記されており、1本1本に「忠犬ハチ公クレヨン」と書かれた紙が巻いてあります。
少しだけハチ公の歴史を振り返ってみると、大正12年に秋田県大館市で生まれています。その後、渋谷区在住のたいへんな犬好きである上野英三郎教授にもらわれて、愛情たっぷりに育てられることになりました。けれど、この幸せは長く続くことはありませんでした。上野教授は2年後の大正14年に急逝されたのです。悲しいことですが、犬であるハチ公には教授の死が理解できません。ハチ公は昭和10年に渋谷駅近くの路地でひっそりと亡くなるまでの約10年間、上野教授の帰りを信じて渋谷駅に通い続けたのでした。すごいですね。私にできるかと聞かれたら「無理!」と即答しちゃいます。
そんなハチ公の生き様は人々の心に感動を与え、銅像はもとより、本になり、貯金箱や文房具にもなったのです。ちなみに、このクレヨンとは骨董市で出会いました。戦前に売られたモノであるにもかかわらず、デットストックらしく美しい状態でまとまってでたのです。数があると値段が安いことが多いので要チェック!ラッキーな出会いに喜んで家につれて帰ると、すぐにケースの中に飾りました。幸せな時間です。私はこういう時代遅れの古いモノたちを飾ったり、ボーッと眺めるのが大好きなのです。
2002年6月6日更新
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