第26回 路地裏の温泉マーク その2
前回に引き続き、現代温泉マーク(連れ込み旅館)事情を探っております。現在も営業中の旧き佳き連れ込み旅館は存在するのだろうか?、この素朴な疑問に端を発し、絶滅紀行調査隊は都内各所にて理想的な連れ込み旅館探しを開始したのであります。
さて、日本連れ込み史を軽く調べてみました。連れ込み旅館の元祖は江戸時代、上野・不忍池の弁天島が発祥とされる「出合茶屋」と言われているそうです。はじめは弁天詣でに来た参拝客に、名物のレンコン料理を出す茶屋(喫茶店)だったのが、いつしかご休憩所へ。武士と町娘、新造さんと役者といったカップルで大繁盛したそうです。明治に入ると、新橋から「貸間、貸席」という商売が登場し、こちらも大流行します。それが次第に「待合」、1泊1円がウリの「円宿ホテル」、「連れ込み旅館(温泉マーク)」、と名を変えていったようです。
では、探索の前に、独断と偏見による「理想の連れ込み旅館像」の定義を考えてみました。
1. 建物が木造で、階数は3階建て以下であること
2. 盛り場に近いが、建物の周辺は閑静であること
3. 目立たないよう、路地裏に出入口があること
4. 屋号が漢字やひらがな(日本語)であること
かなり厳しい条件ではありますが、やはり昭和な大人空間を求めるのなら、これくらいはクリアしていてほしいものです。電話帳調査の結果、名前からの推測ですが、旅館のページにてソレらしき物件をいくつか発見することができました。その場所とは、神楽坂、百人町、円山町、下高井戸、浅草、上野あたりという、「いかにも」というところばかり。特に浅草、百人町では3軒以上の発見がありました。
まずは拙宅からも近い浅草へ。浅草寺裏周辺には今も旅館が多く、ある一角に連れ込み旅館が集中しておりました。その数なんと4件。中でも「旅荘●月」は木造二階建て、入口に竹が植えられていて雰囲気があります。どの旅館もなかなかの風情で、周辺には今も昭和の空気が漂っております。さすがは浅草。
お次は、新大久保駅周辺、地名では百人町となっている辺りです。元料亭を改装した築50年以上の「旅荘●亭」をはじめ、路地裏に3軒ほどの旅館が点在しております。残念ながら、私の理想とする木造老舗旅館風のところはありませんでしたが、昭和40年代に主流だったと思われる形式を今に残しています。
さて、続いては渋谷区円山町です。円山町は戦前から花街として賑わったところで、最盛期には料亭の数が140軒を数え、芸者衆も300人は下らなかったという一大遊興地でした。この周辺が円山町と呼ばれるようになったのは昭和に入ってからで、それまでは「荒木山」と呼ばれていたそうです。明治時代、京王井の頭線神泉駅近くにあった「弘法湯」という名の銭湯が大変な賑わいをみせ、その人気に便乗して料亭や待合茶屋が立ち並ぶようになりました。しかし、これら花街産業(三業)は近年になって衰退の一途をたどり、周辺もすっかりラブホテル街に変身、それでも現在7軒の料亭が営業を続けています。
そんな円山町にて、ついに理想的とも言える旅館を発見いたしました。その名も「旅荘 大●」、花街として賑わっていた当時の雰囲気を色濃く残す旅館です。もしかすると、元料亭か待合だったのかもしれません。内部は昔の温泉マークの風情そのままなのだろうか、やはり玄関で靴を脱ぐのだろうか、寝床は蒲団なのだろうか?、頭の中で色々な憶測が飛び交います。そこで、あくまで「ご商談」をするため、さっそく利用して参りました。
某月某日 夜10時、円山町の一角にある小さな木造旅荘の前に立ちます。周囲は最新のラブホテルばかりですが、旅荘の隣には黒塀に囲まれた元料亭と思われる建物が残り、わずかに花街の頃の面影をとどめています。玄関脇のインターホンを鳴らすと、中から女将さんが鍵を開けて出てきました。「お部屋は開いていますか?」という問いに対して、「お二人で五千円、お風呂は各部屋に無くて共同ですけれど、それでも宜しいですか?」とのお返事。いやぁ、今どき共同風呂かぁ、これは予想以上だ。二つ返事で宿泊を決定。案内されるままに玄関へ、もちろん靴を脱いで中へ入ります。
この玄関も浮世絵が飾ってあったり、富士山の絵を描いたすりガラス窓があったりと、まるで料亭か赤線の風情があります。
狭い階段を昇って2階へ。案内された部屋は四畳半くらいの畳敷きの小部屋。そして、もちろんベッドではなく布団でした。
重たいソバ殻入りの枕、鋳物製の灰皿、和紙を貼った浴衣入れ、大きな姿見、障子の入った飾り窓、雪見障子の向こうにある雨戸、木目調のクーラー、何もかもが昭和で止まっています。部屋の中を見物していると、女将さんが伊藤園のウーロン茶缶2つと、自家製とおぼしき冷製緑茶をもってきてくれました。前金で宿泊料を支払い、しばらくお風呂が沸くのを待ちます。部屋の電話が鳴り、「お風呂いつでもどうぞぉ」とのことなので、さっそく一階の風呂場へ。見てビックリ、明らかに自宅と兼用の風呂であります。浴槽こそ新しかったものの、風呂場そのものはかなり古く、換気用の窓も木わくで、真鍮のネジシメが付いていました。入浴の注意は手書きで、壁にはハート型の鏡が付いていたと思われる跡がのこっています。また、浴室の出入口上部には半円筒型の照明もありました(現在は使用不可)。
この風呂場の横が女将さんの部屋になっていて、テレビでスポーツ観戦をしていました(音が丸聞こえ)、いやーなかなか生活感のあるお宿だこと。一階には「二之間 定員制」と書かれた札のかかる少し広めの部屋があって、中にはテーブルと足付きの碁盤が置かれていました。ここで碁を打つ若旦那でもいらっしゃるのでしょうか? なお、もちろん洗面所もトイレも共同でした。それにしても、連れ込み宿にしては、なかなか風情があります。もしかすると、その昔は芸者を呼んで料理をいただく「待合茶屋」だったのかもしれません。花街の衰退とともに周囲がラブホテル街へと変化するに及んで、連れ込み専門旅館に転業、といったところでしょうか。朝、玄関へ行くと「有り難うございました。お客様 大●」と書かれた札が置かれていました。女将さんはまだ寝ているようです。靴を履こうとしたら、もうひと組の方々の靴がそろえてありました。常連さんかな、何てことを考えながら旅荘を後にいたしました。「後ろめたさ」と「ウエット感」を残す旅館が、こんな都会の真ん中にまだ残っていることに喜びを感じます、今回は本当によい経験ができました。いつまでも残ってほしいと願うばかりです。
さて、あなたの街にもこんな旅荘はまだ残っていませんか? 逆さクラゲの会(仮名)では、そんなあなたの温泉マーク情報をいつでもお待ちしております。
(たばた ひろあき 逆さクラゲの会(仮名)準備委員)
2004年8月4日更新
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