第8回 「会津若松・野口英世青春通り」の巻 後編
●ステキなステキな野口英世青春通り
しかたないから散策を続ける。「元黒河内胃腸医院」は古臭い病院。入院したい。病院機能は近くの新築医院に移したらしいが。このあたりから「野口英世青春通り」になる。小江戸川越のような町並みである。そういえば会津にも東武電車が通っているはずだ。川越にも、浅草にも東武鉄道は通っている。どうも江戸的な街に東武は関係があるようだ。日光もそうだな。わーい大発見。
「遠藤米穀店」、「小松保険企画」、「山新商店」(会津の山菜)、「福西本店」(会津の特産物販売)など土蔵造りのお店が並ぶ商店街の合間から「中合デパート」という建物を発見。地方都市のデパートなら大食堂あるいはファミリーレストランがあるだろうとめぼしをつけ、空腹を原動力にただちに向かう。7階建ての堂々たるデパートであったが、大食堂が無いどころか食事をする店さえ入っていないという。マジかよ。では、屋上探検にでもとエレベータで上がったが、ゲームセンターもなく、そこは小さなお中元会場だった。がっかり。中合は福島市に本店を持つ、天保創業の呉服店から続く老舗百貨店なのだが(名前は中村合名会社を略したようだ)、福島市のツタヤ百貨店も破綻したし時代はやはり百貨店には厳しいのか。OMCカードが使えると書いてあるところをみると、途中でダイエーと関係を持ったのかな。いまならイオングループがいいけれど(関係ない話だが、ダイエーやイトーヨーカドーなどが主要駅前に店舗を進出していく有様は戦国時代の国盗りゲームを髣髴とさせる。いまの流れから行くとダイエーが織田家で、ヨーカドーが豊臣、イオンが徳川という構図に疑せるかな。藤崎や中合、伊勢甚は地方豪族というところで)。
中合百貨店まで出張ってきたので、この通りでご当地ものの昼食を採れるところを探すがまったく見つからない。ようやく「プロント」を発見。しかし本日はスパゲティの気分ではないなあ。だが時間もランチタイムを過ぎ午後3時を回っているからもはや個人営業の食べ物屋さんは準備中。となるとチェーン店しか選択肢はない。暑くてたまらん。プロントの前を3回くらい往復、逡巡して「じゃこおろしスパゲティ」とアイスコーヒーMサイズを頼む。おいおい結局、観光地に来てプロントかよ。店の選び方が男らしくないので心のなかで泣きぬれる(郷土料理なら七日町駅のほうへ歩けばよかったらしいヨ)。
●昭和なつかし館に吸い寄せられる
英世通りに戻って、明治27年創業の日用品卸「紀州屋商店」(建物は昭和10年建築、鉄筋造りで会津ではじめてシャッターがとりつけられた店だという)をながめて歩いていたら、ここで「昭和なつかし館」というものを発見。なんで意識したわけでもないのにレトロ物件を呼び寄せるかな。雨降ってきたからちょうどいい。200円払って、アンティークショップ「骨董倶楽部」の2階にあがる。
そこはすばらしい光景だった。夕日を模して暗い照明のなかに床屋、すし屋、家庭の居間、銭湯、旅館、写真場など10のシーンを再現しているのだ。坪数も15〜20坪あるかないかなのに凝縮された空間にレトロ物件がずらり。これは年月とお金がかかった、かかったと思ったら平成15年にオープンとのこと。個人の力で作ったとは思えない博物館だ。いままでいろいろなレトロ施設を見てきたけどこれはスゴイ。あの有名な師勝町の博物館に規模はかなわないまでも、印象は匹敵する。青梅の「昭和レトロ商品博物館」は、コンセプトは違うにしても充実度では裸足で逃げ出したい。ここは絶対オススメだ。
雑貨屋を模した店頭では、ライオン、サンスター歯磨き、ウテナ化粧水、レートクリーム、花王フェザーシャンプー、牛乳シャンプー、ライオンシッカロール、マダムジュジュ、ハブラシセット、シボレーセットローション、八重椿ポマードなどが300から500円で買える。旅行先でなければたっぷりと買うものを、重たいから「十手栓抜き」というお土産屋のデッドストックらしき怪しげなモノだけで我慢。500円。いまならまだ「花王フェザーシャンプー」のビン入りとかハミガキ粉各種が残ってます。店主の奥さんらしきひとと会計のときに話すとやはり展示品の入れ替えが大変のようだ。リピーターを呼ぶにはマンネリが禁物だからねえ(hpはhttp://www.ht-net21.ne.jp/~natukasi/index.htm)。
●美しい蔵造りのまちに感動
なつかし館の目の前の店舗がこれまた存在感ありまくり。白木屋漆器店は創業300年を越えるという。この建物は大正2年に竣功したルネサンス様式の土蔵造り。店内では千種類の漆器を手にとって買うことができる。このあたりは「満山漆器店」、「小野寺漆器店」など漆器店が多い。会津で漆器が発達したのは、漆塗りの技法が仏像や仏具、武具の製造に関与しているため。多くの寺院が建立されていた会津地域には欠かせない技術なのだ。白木屋の先にもちょっとレトロな石造りの店「つかはら呉服」。そして昔の八百屋はサンキストだったなあという看板を発見。この道をまっすぐいけば七日町駅。
ちょっと道を外れたので青春通りのほうへ戻る。交差点にある「会津西洋館」という喫茶店は異常に大きい。それもそのはず、大正10年に郡山商業銀行若松支店として建てられたのだ。内装はアールデコらしいが、散歩のときはその知識がなかったので、入り口で逡巡して入らなかった。残念。なんでオレ、プロントに入っちゃって、ここに入らないんだろうな。まあ旅というものはすべてうまく行くものでもない。
喫茶店を左に巻きながら駅前に向かう。大町四つ角にある、明治時代の建物「山口薬局」は、雨戸が閉まっているが営業しているのだろうか。アイパーとデザインパーマを手がけるバーバーグリーンはテントが緑で珍しい。だいたい、「アイパー」が看板商品であるということから昭和40年代に開店したということがわかる。もうこの辺は青春通りというよりは大町通り。
味噌と醤油を地場産業でつくり続ける「羽金合名会社」、柿の「まるいち甘露柿本舗」、「五郎兵衛飴総本舗」など昔ながらの商店がそのままのたたずまいで残っているのが嬉しい。その先右手には沖縄県でよく目にするベランダ構造のようなコンクリ造りのベランダがある建物を発見。この帽子ドイツんだ?ベランダ。 |
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「洋品の宮原」の横からみた看板はしぶいな。まだ駅に着かないか。ものすごく会津若松駅と繁華街が離れているが、これは城下町の鶴ヶ城側(駅から右手方向に離れている)が栄えたという地理的関係によっているのかな。そういえば高知(はりまや橋)や広島(紙屋町)もJR駅と繁華街が離れていたなあ(駅前がすぐ繁華街というコンセンサスってもしかしてないのかネ。盛岡も違うらしいし京都も京都駅というより四条河原が栄えていて、名古屋の栄も名古屋駅から離れているヨネ)。ネットで調べると七日町の駅前商店街は明治・大正・昭和に栄えたかららしい。七日町駅のほうにもっとレトロな建物があったことも判明。町おこしもやっていて、このあたりは川越に青梅をプラスしたような町である。
●高度成長時代っぽい商店もあるでよ
まあ知らなかったものは仕方ない。現実の私は会津若松駅前へと歩む。アパート若松荘を同じ建物で営む「若松食堂」を発見。アパートの住人の食堂ともなっているのだろうか。お昼は、ここで食べればよかったな。
「丸忠精肉店」は、昔よくみかけた精肉中心で一般食品を併売するかたちのお店。昭和40年代のこういうお店はグリーンスタンプやゴールドボンドスタンプを導入するケースもあったなあ。魚屋で総合スーパーにまで発展したのは「いなげや」くらいしか知らないが、最初は精肉店や八百屋で店を始めて、そのうち総合スーパーになるケースは結構ある。市場や仕入れの関係で魚よりも肉・野菜のほうが一般食品に近いのだろうか(八百屋に缶詰が置いてあったり、肉屋にカレー粉が陳列してあるのは目にしたことがあるでしょ? でも魚屋さんには鮮魚と塩干物しか置いてないですね)。
「栗林商事」のようにもともとお店をやっていて、閉店して自販機だらけになる商店盛衰のパターンも結構多い。そういえば「クロレラ」が「未来の食べ物」としてもてはやされた時代がありました。「ヤクルト」も昭和35年から一時期は「クロレラヤクルト」と称していた。そこの研究所にいたひとたちが民間に散らばって、健康食品としてのクロレラの販売を始めたという話を聞いたことがある。現在、「クロスタニン」を発売する日健総本社の田中社長さんもそのひとりだ。これは、戦後、ヤクルトの事業を開始した永松昇さんというひとが、京都で微細藻類の研究をしていた戦時中、ドイツでたんぱく質不足を補うためにクロレラを培養しているという話を聞き、終戦直前に海軍に頼んで潜水艦でクロレラを持ってきてもらったことから始まる日本におけるクロレラエキスのストーリーだが、ヤクルトのこととかいろいろ書かないと大変なので、略します。簡単にいえば永松社長がヤクルトを昭和39年に辞めたあと、慕う社員たちとクロレラエキス製造の会社を立ち上げたということ。当時は「ヨーグルトン」など乳酸菌飲料が地方地方で製造発売されるブームがあった。国民的保健飲料の王座がまだ定まっていなかったわけだ。いまは濃縮乳酸菌飲料はカルピスくらいしかないけど当時は不二家ハイカップ、森永コーラス、前田ミルトンなど多数あったわけで。うちの父親も一時ヨーグルト飲料の会社設立(いまでいうベンチャー企業)を友人から誘われたそうで、このころの脱サラ・自営のトレンド商品だったのだろう。
このあたりは地方都市の悩みの種のシャッター商店街、空洞化の波も受けている店舗がちらほらしている。私は木造の「株式会社」とともに、異業種同居店舗という商店建物・看板に着目しているが、ここにもクリーニングと米を一緒にやっているすごい同居店があった。店内はクリーニングした衣料品がハンガーにかかっていて、しかも米穀もそのそばで販売しているのだった(生まれてこのかた一番すごかった店は八百屋とゲームセンターの同居店だ)。
よし、ほとんど駅前というほどに会津若松駅に近づいてきた。「辰巳屋旅館」(1泊2食6500円〜。一人宿泊OK)、「清水屋旅館」と、木造の駅前商人宿がレトロな風情で営業している。いいねえ。
そして、駅前にはつぶれている純喫茶珈琲メモワール。たぶん駅前一等地だけどこの辺りのテナントは家賃が高くないんだろうな。
結局、腹が減っていたため、野口英世博士の初恋の女性・山内ヨネが住んでいた家とか、野口英世博士が働いていた会陽病院を用いた博物館らは発見できず、そこには入らなかったというお粗末なレトロ散歩でありました。教訓、「散歩をするときは腹いっぱいにしていけ」。(一番お粗末だったのが、東山温泉に4泊したのに関わらず、温泉街を発見できなくて、射的場、悩殺セクシーショーをやっているセントラル劇場、おもいで館を訪ねられなかったこと。ザンネン!切腹!)。
(書き下ろし)
<ごすいせん散歩日程ルート>
※ わしの数々の失敗から導き出された会津レトロ散歩コース2泊3日の決定版はこれだ。
★1泊目
東山温泉に15時にチェックイン、近藤勇の墓や瀧を散策し、宿に戻って風呂、ご飯を済ませてから温泉街へ行き、射的や劇場、おもいで館を訪ねる。
★2泊目
朝早く9時に出て東山温泉駅からはいからさんバス(一時間に1本しかない)で飯盛山。歩いてちょっと戻って会津駄菓子資料館。飯盛山にまた戻ってそこからはいからさんバスで鶴ケ城。見学後、はいからさんバスで七日町駅前。郷土料理屋でちょっと遅い昼の食事。七日町通りを歩いていけば「昭和なつかし館」がある。ここを見学して5時半発のはいからさんバスで宿へ帰る(間に合わなかったら会津若松駅まで歩いてそこから路線バスに乗ればいい)
★3日目
やはりはいからさんバス(歩いてもいい)。10時過ぎてたら会津武家屋敷、御薬園などで途中下車しながら、七日町白木屋前で降りれば、昨日の続きから開始できる。野口英世青春通りを散歩し、蔵造りの町並みを堪能し「会津西洋館」でコーヒーのんで大町通りを歩いて駅まで。という感じだとレトロ散歩に漏れはないはずだ。
■はいからさんバスは街中を回っている観光路線バス。一日乗車券パスは500円なので、毎日それを買ったほうがいい。動く坂道や鶴ケ城などの施設料金割引もしてくれるパスだ(会津若松駅と東山温泉間の路線バスは片道320円。往復するだけでもとがとれるのだ)。
2004年8月6日更新
第7回 「会津若松・野口英世青春通り」の巻 前編
第6回 修善寺の昭和レトロな温泉宿の巻
第5回 青梅商店街<その2>の巻
第4回 青梅商店街の巻
第3回 スカラ座閉店愛惜記念「名曲喫茶」の巻
第2回 水戸の駅前商店街漫歩
第1回「牛にひかれて善光寺参り」の巻
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