神田川、お茶の水付近より聖橋を望む
私は趣味で、モーターボートに乗っています。何の変哲もない、船外機をつけた市販のFRP(強化プラスチック)製ボートで、4人も乗れば窮屈に感じるような小さなものですが、一つだけ変わったところがあります。我が艇には、いにしえの吉原通いの猪牙舟がギッチラと漕いでいたような、5mはある艪(ろ)が積んであるのです。
まあ、艪を漕いで遊ぶには、いくつか条件が揃わないといけないので、実際はあまり漕ぐ機会はないのですが……。ともあれ、モーターボートにとって、本来必要のない艪がついていることからも、なんとなく想像がつくと思いますが、私がボートに乗っているのは、世間一般で想像されるようなボート遊びとは、だいぶ違った目的があるからです。
その目的とは、東京とその近郊を縦横に走る、川や運河を徘徊すること。
江戸川閘門
私が川を走ることに興味を覚えたのは、もう16年ほど前のことになります。
ある本で、明治の初めに就航した外輪の川蒸気船が東京から江戸川を遡り、利根川に入って上流は栗橋、さらに最下流の銚子まで通っていたことを知りました。船全般が好きで、当時船舶免許を取って間もなかった私は、かつて外輪蒸気船の通った航路を、ぜひ自分でも走ってみたいと思うようになり、挑戦したのが始まりでした。
残念ながら、現在の川は治水や利水に重きが置かれており、そんな上流まで船が走れる状態ではなくなっていたのですが、これをきっかけとして、水運史や土木の本を読み漁るようになりました。
埋め立てられて数を減らしたとはいえ、まだ都内には、江戸時代に水運の便をはかるため開鑿された運河が結構な数残っていること、また、昭和初期や明治時代に架けられた古い橋が、現役でがんばっていることなどを知ることができ、それらを見たいことも手伝って、川や運河に艇を出すようになったのです。
旧中川で艪を漕ぐ
もうおわかりのように、私の艇は、釣りや水上スキーといったいわゆるマリンスポーツのツールではありません。スポーツと名の付くものは得意ではありませんし、何より海にほとんど出ないので、“マリン”なる言葉を冠するのは無理があります。
適当な言葉が思いつかないのですが……、私の艇は「文系の趣味」を楽しむための、大切な相棒、といったところでしょうか。また、この「川走り」のきっかけが、水運が盛んだった時代への興味から始まったので、いつのころからか、自分の遊びを「水運趣味」と呼ぶようになりました。
汐浜運河で艪を漕ぐ
日本橋川、湊橋付近、通船
よく誤解されるのが、舟遊び一般は、クルマやバイク趣味にくらべて、桁違いに物要りのように思われがちなことです。外洋を押し渡るような大型艇や、レースに出るようなヨットはともかく、私の艇のような小型モーターボートに限って言えば、ちょっと凝ったクルマ趣味の方の投資額とさほど変わらないか、むしろ安いくらいだと思っていただいて間違いはありません。
ただ、クルマやバイクと違う点は、艇を自宅に置いておくわけにはいきませんので、マリーナという、プレジャーボートやヨットのための船溜(ふなだまり)に桟橋を年間契約で借りて繋留するか、陸上の艇置場に保管しておくことになります。こちらは場所によって異なりますが、東京近郊で小さな部屋を借りるくらいだと思ってよいでしょう。
16年前に江戸川に初挑戦して以来、間にブランクはあったものの、少しずつ川や運河を訪ねまわって、東京の可航水路(船で走ることのできる水路)は、そのほとんどを走破することができ、今まで見ていたのとは全く違った、東京の表情を知ることになりました。
江戸―東京という大都市を維持し、発展させるため、絶えず人の手が加えられてきた川や運河。それらを守る水門や閘門などの土木施設、昭和初期に架けられた橋たちの横顔など、「文系」の目で見た東京の水路たちは、汲めども尽きぬ魅力にあふれています。
隅田川、浜離宮付近
次回より、皆さんとご一緒に、私の艇で東京の水路散歩に出発しましょう。ただし、甲板には大きな艪がごろりと積まれているので、ちょっと邪魔かもしれませんが……。
次回は「川に囲まれた街・神田」をお届けします
2009年10月27日更新
日本橋をゆく
川に囲まれた街・神田
道楽船頭の水運趣味