夜明け編(1970)の最近のブログ記事

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かまやつひろしが2月に出した「ムッシュー かまやつひろしの世界」。
ソロ多重録音、セルフプロデュース。
その新しい手法は、ポール・マッカートニーが牧場に籠ってつくった「マッカートニー」より、ひと足早かった。
ビートルズは、ポールの発言とともに、4月17日に事実上の解散。
マージー・ビートに影響を受けたスパイダースもまた、メンバーそれぞれの活動が増えていた・・・。
マチャアキが「時間ですよ!」と言ったとき、ムッシュは「どうにかなるさ」と呟いた。
4月5日、アルバムに続き、ムッシュのニューシングルだ。
「どうにかなるさ」。カントリー&ウエスタン調の曲。
もうマージービートは古い・・・。ムッシュは、そう感じていた。
しかし、かまやつひろしは時代と遊ぶ。
何が正しいロックであるかを証明せんとする内田裕也とは正反対に、いま何がいちばん面白いのかを正しいとする。
だからこその、スパイダース解散後、非芸能界であるはずのフォークの世界に足を踏み入れられる、痛快な柔軟さなのだ。
「どうにかなるさ」は、そんなふうにフォークシンガーたちと仲間になる前の、予言的シングルかもしれない。
もともとウエスタン歌手だったかまやつひろしが、マージー・ビート、ブリティッシュ・ビートから、再びアコースティックに立ち戻った、そんなある意味で記念碑的な作品なのかもしれない。
時代と遊ぶ男、ムッシュ。


 今夜の夜汽車で 旅立つ俺だよ
 あてなどないけど どうにかなるさ
 あり金はたいて 切符を買ったよ
 これからどうしよう どうにかなるさ

 見慣れた街の明り 行くなと呼ぶ
 けれども同じ 暮らしに疲れて
 どこかへ行きたい どうにかなるさ

 仕事もなれたし 街にもなれたよ
 それでも行くのか どうにかなるさ
 一年住んでりゃ 未練も残るよ
 バカだぜおいらは どうにかなるさ

 愛してくれた人も 一人いたよ
 俺など忘れて 幸福つかめよ
 一人で俺なら どうにかなるさ


 「どうにかなるさ」詞:山上路夫 曲:かまやつひろし



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高田渡の父親、高田豊は、元共産党員だった。
1950年、日本共産党が分裂したとき、嫌気がさして離党した。
それからは、ひとりでリヤカーを引いて町中を回り、町をよくするための術を説いた。
1969年に、高田渡は高石友也事務所を"離党"している。ギャラの不正があったからだ。
東京を離れた高田渡は、京都の山科で暮らしていた。
アルバイトでお金が入ると、そのお金がなくなるまで、うだうだ。
お昼に目が覚めるとお出掛け。
六曜社で珈琲、本屋や洋服屋を覗いて、さくら食堂でごはん、イノダコーヒでまた珈琲。
夕暮れ頃に中川五郎と待ち合わせ。マップで珈琲、同志社大学の食堂でごはん、侘助で珈琲、で、最後はまた六曜社で珈琲。
こたつと電気ポットしかないアパートの部屋に、ギターとカップラーメンがあって、中川五郎、岩井宏、松田幸一、中川イサト、加川良と、仲間たちが集まった。
「ばとこいあ」というミニコミ誌を岩井宏と一緒につくり、コンサートも開いたりした。
日本中が、万博だの赤軍派だのと言っているときに、ゆっくりとマイペース。
ほんとだったら、飛行機なんてハイジャックしなくていいんだし、大阪万博に行きたいと嘆かなくてもいい。
何より自分の信念を大事にした無頼の詩人、高田豊の遺伝子を継ぐ高田渡は、よど号飛んでった1970年の青空の下、河原町通りをノコノコ歩く。
そんな年寄りみたいな変な青年も、やっぱり、恋をしていたのです。
でもただのラブソングにはならないのだ。
「あんたもどう? 少しばかりってのを」
先天的オトナ・高田渡の、一級のダンディズム。

 三条へ行かなくちゃ
 三条堺町のイノダってコーヒー屋へね
 あの娘に会いに
 なに 好きなコーヒーを少しばかり

 お早よう かわいい娘ちゃん
 ご機嫌いかが?
 一緒にどう
 少しばかりってのを
 オレの好きなコーヒーを少しばかり

 いい娘だな 本当にいい娘だな
 ねえ あついのをおねがい
 そう あついのをおねがい
 そう 最後の一滴が勝負さ
 オレのコーヒーを少しばかり

 三条へ行かなくちゃ
 三条堺町のイノダってコーヒー屋へね
 あの娘に会いに
 なに 好きなコーヒーを少しばかり

 あんたもどう?
 少しばかりってのを


 「コーヒー・ブルース」詩:高田渡 曲:traditional



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「ぼくのしるし わらべうた24」というアルバムが、URCから発表された。
有馬敲の書いた子供向けの詩を歌にしているものだ。
彼は、60年代後半からフォークソング運動に関わってきている。
曲をつけて歌うのは岩井宏、バラーズ、マヨネーズ。
童謡はフォークソングとなり、フォークソングは童謡となる。
そこには人間臭い情念の濃密さもなければ、強い政治的思想表現もない。
岡林信康の失踪劇もないし、五つの赤い風船の巫OLK脱出計画もないし、高石事務所の不正に見切りを付けて東京を去った高田渡もいない。
主張や抵抗と同じくらい大切なことは、見ること。
小さなものを見つめる。
歌は宿っている。
あらゆるところに。
初期の相棒・高田渡と一緒に、風刺に溢れたコミックソングを歌うことも多かった岩井宏だが、ここでは、ほのぼのした岩井宏的世界。
のちの彼のソロの曲タイトルを並べれば、よくわかる。
「かみしばい」「赤ん坊さんよ負けるなよ」・・・。
尖ったアタマに童謡。ロックやプロテストからの解放。
いつの時代にも、子供はいる。
列島1億人の子供たち。
フォークだロックだ70年だと言っても、人間みんな、結局は子供だ。
バンジョーの深い音は、生まれてくる前の記憶に通じている。


 ぼくのはなぺちゃ だれににた
 だれにもにない ママににた
 うさぎがにひき いえにいる

 ぼくのべたあし だれににた
 だれにもにない パパににた
 やもりがにひき いえにいる

 ぼくのでべそは だれににた
 だれにもにない ぼくのもの
 ぼくがぼくである しるし


 「ぼくのしるし」詩:有馬敲 曲:岩井宏


ぼくのしるし わらべうた24

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Author


    藍見澪 -Rei Aimi + Folksong Institute-
    「フォークソング」という言葉の意味を再定義し、日本のフォークやロックの歴史を研究、ひいてはすべての歌に繋げる実験・・・のつもり!

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