夜明け編(1970)の最近のブログ記事

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東京の大森に一軒の大衆食堂があったとするならば、そこからとんかつの匂いとともにギターの旋律が聴こえてきてもおかしくない。
歌は時代とともにある。
核拡散防止条約に被爆国ニッポンが調印したのは2月の3日。
大国以外に核を持たせない、おためごかしの国際法だ。
だが、ボブ・ディランが歌うように、時代は変わる。
その時代を変えていくのは、やはり私たちなのだ。
斉藤哲夫のデビューシングル「悩み多き者よ」は、URCから2月にリリースされた。
B面の曲は、「とんでもない世の中だ」。
かつてボブ・ディランが古い世代に向けて「時代は変わっていくのだ」と歌ったのに対し、斉藤哲夫は若い世代に対して「時代は変わっているのだ」と歌った。
いく。いる。変わって。
このレコードは、早川義夫のプロデュース。
ジャックス解散後の早川は、URCのディレクターとしてレコード制作に携わる。
明治学院大学在学中に歌手活動を始めた斉藤哲夫は、メロディアスな歌をハイトーン・ボイスで優しく歌う。
その作風も歌い方も爽やかで、URCっぽくない。
時は過ぎ21世紀、原発事故。核。
時代、変わってない。
斉藤哲夫の12弦ギターに、渡辺勝のピアノと、タンバリンが溶けていく。
とんかつ、食べたい。歌いたい。


 悩み多き者よ 時代は変わっている
 すべてのことが あらゆるものが
 悲しみの朝に 苦しみの夜に
 絶えず時は巡り 繰り返されている
 ああ 人生は一片の木の葉のように
 ああ 風が吹けば何もかもが終わりなのさ
 流れゆく時に 遅れてはいけない
 移りゆく社会に 遅れてはいけない

 悩み多き者よ 時代は変わっている
 すべてのことが あらゆるものが
 すさんだ日々に 歪んだ日々に
 休みなく時は 通り過ぎている
 ああ 人生は吹きすさぶ荒れ野のように
 ああ 生きる道を誰でもが忘れてるのさ
 暗い歴史の影に 埋もれてはいけない 
 飾り気の世の中に 埋もれてはいけない

 悩み多き者よ 時代は変わっている
 すべてのことが あらゆるものが
 悩み多き者よ 時代は変わっている
 すべてのことが あらゆるものが
 悩み多き者よ 時代は変わっている
 すべてのことが あらゆるものが
 悩み多き者よ 時代は変わっている
 すべてのことが あらゆるものが



Times They Are A-Changin 君は英雄なんかじゃない グッド・タイム・ミュージック バイバイ グッドバイ サラバイ SPINACH 僕の古い友達 一人のピエロ(HQCD) ダータファブラ Revolution ~私たちの望むものは~ 生田敬太郎&斉藤哲夫

エノケンが日大病院に緊急入院した元旦、高石友也事務所は音楽舎と名前を変えた。
すでに日本に高石はいない。
彼はアメリカで旅の空だ。
フォークのゴッドファーザー高石友也なきあとも、音楽舍はURCという魔術的音楽製造所から、自由に作品を世に送り続ける。
前年に「あくまのお話」をリリースした秘密結社○○教団は、2月に「愚」とバンド名に変えた。
ぐう。
フォークであり、ロックっぽくもあり、そしてボサノヴァ風味。
当時は、フォークとロックの論争や、日本語ロックと英語ロックの論争などが大きくあった頃。愚は堂々と、フォーク系でないコンサートにも出演した。
メンバーは、金延幸子、中川イサト、松田幸一、村上律、瀬尾一三。
愚がリリースしたのは、一枚のシングル盤だけ。
A面が「あかりが消えたら」、B面が「マリアンヌ」。
不思議な歌詞、闇と毒、そして甘さ。
透き通ったようなブレない声と、美しい音のハーモニー。
この頃の時代性なのか、いまと比べて、あまりに人の活動するスピードが速いように思う。愚もまた、すぐに活動休止、それぞれの道を歩くようになる。
あの高田渡の老成した感じ、岡林信康や高石友也の姿を消してしまう感じ、中川五郎や早川義夫のすぐに引退してしまう感じ・・・何かがいまと違う。
60年代、70年代は、怠惰な時代ではなかった。


 あかりが消えたら またつけてください
 目を閉じるには まだ早いの
 あなたにはこの気持ちは伝わらない
 わたしはこんなにさびしいのに
 あかりが消えたら またつけてください
 ためいきが出るのは あきらめているのね

 あかりが消えたら またつけてください
 暗闇にひとり うずくまっているの
 あなたの面影が笑いかける
 わたしは何も思い出したくないの
 あかりが消えたら またつけてください
 もう一度だけ わたしを見たいの

 あかりが消えたら またつけてください
 ベールはみんな はぎとられ
 のこったのはみじめなわたしだけ
 でももう悲しいとも思わない
 あかりが消えたら おいのりしてください
 ベッドにわたしがいたら 息がたえてるわ
 
 


時にまかせて - 金延幸子レア・トラックス - み空 Sachiko Fork in the Road イッツ・アップ・トゥ・ユー 喫茶ロック~東芝EMI編 風とフォーク エレックレコード/URCレコードHQCD復刻プ ロジェクト2009 ザ・ベスト・オブ・シールズレコード Vol.1 1310 フットプリンツ ~ベスト・オブ・イサト中川 sketch(紙ジャケット仕様) お茶の時間 あいらんど Private Collections ACOUSTIC SERENADE Real Thing 黄昏気分 RARE PERFORMANCE 1973~1975 Acoustic Paradise 蜃気楼の王国 鼻唄とお月さん Solar Wind Crescent Moon Tree Circle HOMESPUN MUSIC あの日の風 After Hours ロホホラ 律とイサト ALIVE 高田渡トリビュート アリゲーター・ラジオ・ステーション ラストショウ 2 ザ・ノイズ・フロム・エイティーズ Popity Pop 〔ぽぴてぃ・ぽっぷ〕 les enfants(1) アーリータイムスストリングスバンド VOL.1 いまのきもち 心守歌-こころもりうた MIGNONNE(紙ジャケット仕様)

1970 track-1 ダイナ / 榎本健一

1970年、昭和45年、元旦。
神田駿河台にある日大病院に、榎本健一が運び込まれた。
エノケン、ロッパ、キンゴロー。昭和を彩った三大喜劇王。
笑いの王様には片足がない。如意棒落っことして壊疽になった。
「渡辺のジュースの素」「サンヨー・カラーテレビ」のコマーシャルソング。
大正から昭和にかけて日本にアチャラカの笑いを振りまいた喜劇の重鎮が、寝かされて白い廊下を走っていく。
ときはすでに、エノケンの昭和ではなかった。
何せ、昭和は長い。いくつもの昭和があった。
1月7日、エノケン、肝硬変により永眠。
70年代はじめの日、喜劇王、死す。
レパートリーのひとつだった「私の青空」は後年、高田渡に、「ダイナ」は高田渡&ヒルトップストリングスバンドによって歌われることになる。
本来は、「ダイナ」と愛する女性の名を呼ぶ歌であるのを、エノケンは「ダンナ」と洒落て、ヨッパライが主人公のコミックソングにしてみせる。
そもそもコメディアンとは、役者、演芸、歌手、司会、文章に絵・・・何でもこなせるもの。
エノケンは、戦前戦後日本を彩ったシンガーでもあった。
芸人が芸人以外の何者でもなかった時代の終わり。
はて、ヨッパライ・・・日本のアングラフォークのいちばん最初の歌は「帰ってきたヨッパライ」だ、そういえば。
1970年が、幕を開けた。
フォークとロックの歴史は、まだまだ始まったばかり。



キングアーカイブシリーズ「エノケン芸道一代」 唄うエノケン大全集~蘇る戦前録音編~ 傑作集 エノケンの大全集~完結篇 エノケン MEETS トリロー 三木鶏郎音楽作品集~トリローソングス~ 懐かしのCMソング大全2


※今回から、1年を何回にも分けて書いていくことにします。

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    藍見澪 -Rei Aimi + Folksong Institute-
    「フォークソング」という言葉の意味を再定義し、日本のフォークやロックの歴史を研究、ひいてはすべての歌に繋げる実験・・・のつもり!

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