1970年、昭和45年、元旦。
神田駿河台にある日大病院に、榎本健一が運び込まれた。
エノケン、ロッパ、キンゴロー。昭和を彩った三大喜劇王。
笑いの王様には片足がない。如意棒落っことして壊疽になった。
「渡辺のジュースの素」「サンヨー・カラーテレビ」のコマーシャルソング。
大正から昭和にかけて日本にアチャラカの笑いを振りまいた喜劇の重鎮が、寝かされて白い廊下を走っていく。
ときはすでに、エノケンの昭和ではなかった。
何せ、昭和は長い。いくつもの昭和があった。
1月7日、エノケン、肝硬変により永眠。
70年代はじめの日、喜劇王、死す。
レパートリーのひとつだった「私の青空」は後年、高田渡に、「ダイナ」は高田渡&ヒルトップストリングスバンドによって歌われることになる。
本来は、「ダイナ」と愛する女性の名を呼ぶ歌であるのを、エノケンは「ダンナ」と洒落て、ヨッパライが主人公のコミックソングにしてみせる。
そもそもコメディアンとは、役者、演芸、歌手、司会、文章に絵・・・何でもこなせるもの。
エノケンは、戦前戦後日本を彩ったシンガーでもあった。
芸人が芸人以外の何者でもなかった時代の終わり。
はて、ヨッパライ・・・日本のアングラフォークのいちばん最初の歌は「帰ってきたヨッパライ」だ、そういえば。
1970年が、幕を開けた。
フォークとロックの歴史は、まだまだ始まったばかり。
※今回から、1年を何回にも分けて書いていくことにします。