トランポリン・松岡
第三回『ワッチャンの超極太チンポ事件』
十代の後半まで田舎で過ごした僕は、セックスについて非常に疎い小学生時代を過ごしている一人である。
昔であるから、少し年長者との集団の中で偶然セックス現象には触れてはいるが、猛烈に関心を持つのは、少年や冒険王といった月刊漫画本から大人の週刊誌に興味が移る中学生になってからの話。
セックスより遊びが一番・テレビも一番の生活で、パッチンやランチン(東京で言うメンコやビー玉)に明け暮れながら、夕方にはナショナルキッドや鉄腕アトムをテレビでみる方が忙しかった僕だった。
それに、田舎では家に風呂があるのが普通だったので他人の全裸を見ることも海水浴のシャワーくらいで、セックスを感じることが少ない環境だったのである。
そんな性的にノンビリ屋の僕に初めて訪れたセックス試練が、銭湯を知らない僕が一番楽しみにしていた旅館の大浴場が待つ、小学六年最終大イベントの修学旅行。
僕の頃は、修学旅行で海水パンツをはいて風呂に入る者などなくフリチンが当たり前の解放というより放任主義的時代。とは言え、セックスの実際に関しては無知で、子づくりの方法も詳細はよく知らない六年生の僕だったのだ。
そんな僕に、修学旅行一週間前の学校の帰り、文ちゃんが思いきったように聞いた。
「なあ、チンポに毛、生えとる?」
僕は、調べたことがないから分からないとわざと曖昧に答えた。
と言うのも、修学旅行を前に、陰毛が生えてる生えてないが学級の男子同士で話題になっていたので僕も風呂で頻繁に観察していたのであるが、残念無念、一本も生えてないのである。
無知ながらコレはまずいと感じていたので、文ちゃんの訊き方から、絶対彼も生えてないとにらんだ僕は、一週間で突然一本くらい生えるかもしれないという期待もあって曖昧作戦に出たのであるが、翌日の帰りにも同じように訊かれ、僕は、仕方なく一本も生えてないことを白状した。
そんな僕たち二人の、陰毛がまだ生えてないというプチ憂鬱には関係なく、修学旅行は予定通り実施された。
僕たちが泊まった修学旅行専用旅館の貸しきりの大浴場は、少し暗く広く、大きな湯舟はやはり僕には感動モノで大興奮。
最初は温泉気分で頭に白いタオルを乗せて湯に浸かり泳ぐ真似をしてゴソゴソ。体が火照ったので湯舟の縁に腰をかけて文ちゃんとテレビのエイトマンの話をし始めた時、誰かの「凄ゲェーチンポ」という声が響いた。見ると、十人程が右角に集まり凄い騒ぎになっていて、囲まれているのはワッチャン。
それこそ上野のパンダ並み。「見せて、見せて」の声と人だかりの中に真面目顔の彼がいて、僕は陰毛を気にしていたことも忘れて文ちゃんを誘い、騒ぎのその輪の中に入り込んで覗いた。
何と、騒ぎの原因はワッチャンのチンポ。眼鏡こそかけてないが、必ず一学期に学級委員に選ばれるくらい彼は人気があり、勉強も良く出来て口数も少ないおっとり優等生タイプ。誰もがこの真逆のワッチャンの超極太チンポに唖然・騒然としていたのである。
ワッチャンのソレは、もう中学生のナニという程逞しく、例えば僕たちの多くが伊藤ハムのあらびきグルメ・フランクフルトとすれば、ワッチャンは日水のジャンボソーセージ百五十グラム三分の二サイズをブラ下げている感じだったのだ。
勿論、目では数えられない程度の陰毛が少し控えめに生えていて、先端がすでに三分の一くらい剥け状態の小麦色の男性自身は、王者の風格を見せながら湯を弾いていた。
ワッチャンのそんな騒ぎが収まる頃には、冗談で拝む者まで出て大笑いの旅館大浴場であったが、勿論、部屋でもワッチャンのナニを覗き見しては騒ぐヤツがまだいて、注目される程の発育がないその他の大勢組の僕や文ちゃんは、喧しい輪の外に退避。
中には目立とうとマジックで毛を描いてきた無毛仲間がいたりでどこか真剣ながら可笑しさがあって、僕たちのプチ憂鬱も消失。無毛を変に気にすることなく大浴場に浸り込みタオルをプカプカ言わせながら、ノンビリと風呂を楽しんだのである。
その後、中学の修学旅行になると、陰毛も生え先っぽもそれなりに剥け、小学校程の極端な差がなくなったためか風呂は静かで、あの六年の修学旅行で起きたワッチャンの超極太チンポ騒ぎは何だったのだろうと言いながら、仲良しの文ちゃんと風呂に浸かった記憶がある。
2002年6月19日更新
第二回『中高年男性、伝説のモッコリ。スーパージャイアンツ』
第一回『トランポリンな僕のこと、少し話しましょうか。』
→
|