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 ボウリングのブームは昭和46年に頂点に達する。この年4月のTVボウリング番組をまとめたのが表2であるが、

NET杯トロフィー
NET杯トロフィー
[写真:日本ボウリング
振興協議会]

当時の過熱ぶりが見て取れる。大半は中山律子ら女子プロを中心とした構成で、「同じような番組が並んでは、ボウリングがあきられる」という心配の声も上がった。事実その予感は的中した。経済企画庁が大都市の30歳未満の独身勤労者について調査した「独身勤労者の消費動向調査」によると、調査月にボウリングを行った勤労者の割合は40年から46年までは右肩上がりに増えているが、47年以降下げに転じ、51年には6.2%まで落ち込んだ。(表1)ボウリング人気が下降を始めた47年に、皮肉にもボウリングセンターの数、1センター当たりのレーン数ともピークを迎える。そこに48年秋オイルショックが襲う。センターの数は49年に1140ヶ所減って2375ヶ所に、50年には1086ヶ所減って1289ヶ所になった。廃業したボウリングセンターは、大型小売店や家具店、配送センターなどへ姿を変えていった。
 ブームが去った後今日まで、大規模なボウリング場建設ラッシュは起こっていない。昭和62〜平成2年にかけてレジャー業界全体が熱気に浮かされていたバブル景気の時も、ボウリングセンターの数は安定していた。40年代の経験が生かされたのであろう。ただ、水面下では大きな革新が始まっていた。コンピュータ操作の「オートマチックスコアラー」の普及である。62年の設置率は19.4%、63年には31%、平成6年には81%に至っている。スコアを自動的につけてくれるこの機械のお陰で初心者でも気軽にボウリングが楽しめるようになり、若者に加えファミリー層の利用も目立つようになってきた。また、職場ボウリングの幹事さんも面倒なスコア付けから解放された事は言うまでもない。技術革新と「安・近・短」レジャー志向の中で、ボウリングの人気は徐々に回復している。年間ベースであるが平成12年の全国の15歳〜30歳未満を対象とした調査で、ボウリングを行った者の割合が47.2%になっている。

近代ボウリング発祥の地碑
神宮外苑の
東京ボウリングセンター跡に建つ
「近代ボウリング発祥の地」碑

 「少子高齢化」の時代を迎えて今後のボウリングはどうなっていくのか、見通しははっきりしないが、これからも気軽に楽しめる娯楽であり続けてほしいと思う。


[参考文献
『写真で見るボウリング』日本ボウリング振興協議会 平成6年
『トイ・ジャーナル』698、699号 昭和45年
『独身勤労者の消費生活』経済企画庁 昭和40年〜51年
『レジャー白書2001』(財)自由時間デザイン協会 平成13年]
尚、文中の敬称は省略させていただきます。

調査協力: 社団法人 日本ボウリング場協会
  吉祥寺第一ホテル

2002年6月18日更新


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