田端宏章 第4回 看板建築は「ゆとり」の象徴
みなさんは「看板建築」というものを御存じでしょうか? 路上観察人や街歩き趣味の方にはお馴染みの言葉かと思います。看板建築とは、東京及び関東近県で関東大震災以降に建てられた装飾付きの商店建築のことです。実際に看板がくっついているわけではなく、のっぺりとした板状の外見にモルタルや銅板製の装飾が施されている様子がまるで看板のように見えることから付いた名前です。命名者は、路上観察学会員で東大生産技術研究所教授の藤森照信氏。今では一般名詞として定着するほど有名になりました。
私がこの看板建築に興味を持ったのは1994年頃のこと。時あたかもバブル崩壊直後。東京の街は綺麗なビル街に生まれ変わり、看板建築はビルとビルの間に挟まれるようにして建っているものがわずかに残っているだけでした。
当時、看板建築に関しての資料は藤森氏の著書、『看板建築』(三省堂選書)一冊のみ。しかも、その本に記載されている建物を訪れても、約半分の建物は現存していませんでした。しかもイイデザインの建物に限って取り壊しの憂き目に遭っているのです。このことに、私は落胆したと同時に立ち上がりました。今残っている建物だけでもキチンと記録しておかなければ……。しかし、単に記録するだけとなると、写真の技術も無い私では役不足。そこで、実際に看板建築を見てもらい、効率よくイイ建物だけを巡れるようなガイドを作ろうと考えました。写真を眺めるだけでなく、街の中で実際に存在している看板建築を見てもらい、そしてその魅力を自ら体験してもらおうと考えたのです。当時の経済状況や経験不足から、なんとかモノクロページのみの同人誌を300部だけ刊行。その本文で東京の看板建築を見て歩くガイドコーナー「東京浪漫見聞録」の連載をはじめました。その雑誌こそ、今も続く懐古趣味雑誌「ヨロヅ」の創刊号です。当時はそういった試みが全くなかったようで、創刊号ながら多くのマスコミに取り上げられました。しかし、看板建築の状況は益々悪化し、現在ではヨロヅで紹介した看板建築の多くが姿を消しました。
東京・小金井市にある「江戸東京たてもの園」には、かつて都心で活躍していた看板建築が数軒ほど保存されています。あと何年かすれば、かつての東京はこの公園の中だけにその姿を残していることでしょう。旧き佳き物を残す心のゆとりが無くなった現在の日本の中で、この公園は、心にゆとりのあった時代を伝えてくれる貴重な場所です。それはそれで嬉しいのですが、しかし、それはちょっと寂しい気がするのは、私だけではないと思うのです。心にゆとりのあった時代の象徴、看板建築よ、さようなら。
(たばた ひろあき ゆとり文化研究所 愚童學舍 代表)
2002年7月9日更新
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