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二時限目 団塊の世代は過保護世代?


宿題を手伝う両親

昭和三十二年日本国勢図会 昭和32年の「日本国勢図会−年刊・国のすがた−」(国勢社版)に「小学校での宿題」という記事があり、そのなかに「小学児童の宿題に、両親が参考書を見ながら、手伝うのを、西洋人は驚き、あきれる。」という件(くだり)がありました。内容は、欧米では学校でも、家庭でも、子供は躾を第一とし、文字や算数を教え込もうとするのではなく、自分の事は自分ですること、他人に迷惑をかけることを戒め、人間を造ることが子供の教育だと言っているのです。公共施設を汚すことなどを厳しく叱るなど、子供時代の躾を書いています。我が国の花見のあとのゴミの山など、言語道断と言っているのです。

 当教育的チャンネルでは、子供の躾にかんする記述ではなく、小学児童の宿題を両親が手伝うという件に注目したいのです。
 昭和32年に小学生ということは、なんと団塊の世代そのものなのです。団塊の世代は小学生の時に、両親に宿題を手伝ってもらっていた。なんと驚く事実(私は手伝ってもらわなかったぞ)、ホントかいな。
 たしかに、団塊の世代の親達は自分が充分な教育を受けられなかったので、子供には充分な教育を受けさせてやりたい、大学で勉強したければなんとか行かせてやりたいと、家計をやりくりして教育費を捻出した親がいたことも事実ではあります。教育を受けさせることと、宿題を手伝うことはまるで別物だと思うのですが。団塊の世代にも様々な環境の家庭があったはずで、宿題を手伝ってもらった人たちが多かったのも事実なのでしょう。

 そういえば、僕ら団塊の世代は第一次過保護世代(私めのとらえかたです)という表現に納得できる面もあるのです。二浪もして大学に行かせてもらい、大学では勉強もせず、麻雀、クラブ活動に明け暮れていた私、おとうさん、おかあさんゴメンなさいトホホ。
 団塊の世代という造語をお造りになられた堺屋太一先生、私はあなたが大嫌いです、あなたは堺市の復興を夢見るおじさんで良いのです、くれぐれも国政に顔を出さないで下さい(本筋に関係ない余談でした)。
 そんな両親に宿題を手伝ってもらったような、第一次過保護世代である団塊の世代の人たちが、親になり、子供の教育費には糸目も付けず、父親はお金を、母親は愛情を注ぎ、第二次過保護世代を世に送りだしたのです。団塊の世代より遅れて、世に生まれてきた世代は、より裕福な子供時代を過し親になるころにはよりリッチな環境に過し、教育費の他に遊興費を子供に与え超過保護世代を世に送りだしたのです。
  お金という魔物で、親の愛情や子供の教育なども贖なってきたのです。子供達は、生活、文化、情報など我々の時代には想像もつかなかった程豊かな暮らしを手に入れたのです。
 豊かな暮らしを否定するつもりはありませんが、豊かな暮らしを手に入れた換わりに失ったものも多いのではないでしょうか。それは心であり、躾であり、道徳であり、本当の意味で情操教育です。
 受験勉強はテクニックであり、人を殺すことはゲームのリセットボタン感覚で、人との対話は携帯電話のメールでと、出合い系サイトでの殺人などは起るべくして起きた結果なのです。

 世の中不景気になり、僕ら第一次過保護世代が失業の憂き目にあい、順繰りに不況が下の世代に蔓延していくと、豊かな暮らししか知らない子供達はどうなってしまうのでしょう。世の親達は世紀末になる前に、子供の教育を、人間としてのありかたを、親子一緒に考える時期にきているのではないでしょうか。
 過ぎ行く夏をふりかえり教育的チャンネルのおじさんは深く悩むのでありました。
 親の責任は重大でありますなー。
 ところで、女子中学生の約20%、女子高校生の約40%が性体験有りとの調査結果本当にショックでした。


2002年9月6日更新
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