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三時限目
教育基本法改正
-愛国心とは何ぞや- |
1947年に制定された教育基本法は初の改正に向けて大きく動き出しています。
改正(悪)案の多くは語りたくは有りませんが、一点、「愛国心」に関しては教育的チャンネルで取り上げなくてはならないテーマだと思います。
あまり政治色の強いテーマを取り上げる事は本意では有りませんが、どうしても言いたいのです。
愛国心について
政府案は「我が国と郷土を愛する態度を養う」と表現し
民主党案は「日本を愛する心を涵養(かんよう)する」
※涵養(かんよう)=自然に水がしみこむように徐々に養い育てること
と表現し、民主党は「『態度』より『心』が大切だ。
一番大切な『心』を素直に書いた民主党案の方が良いのではないか」と強調しているとのことですが、目くそ鼻くその類い。
『態度』にしても『心』のどちらにしても、教育基本法に「愛国心」を入れ込む必要など全くありません。
世界中の教育基本法をチェックしても、「愛国心」の表現があるのは中国ぐらいなもので、あのアメリカでさえ無いと言う事でした。
ポチ小泉首相は、政府案と民主党案について「『心を涵養する』と『態度を養う』は大きな違いはない」「相違点より共通点がある」と強調し、与野党の歩み寄りを促しているらしい。
相違点や共通点という問題ではないのにも関わらず、相変わらず詭弁に奔走している次第。
「愛国心=いつか来た道」の危険性を考えてみて下さい。
愛国心とは何ぞや、考えられる表現を列記してみます(読者の皆さんの考えが有れば連絡いただければ幸いです)
1. 生まれ育った自分の国を愛する心
2. とにかく日本と言う国を愛する心
3. 生まれ育った文化、環境を愛する心
4. 日本と言う文化、環境を愛する心
5. 現在生活を共有している人たちと自分を愛する心
6. 隣人、家族を愛する心
7. 他国ではなく自国を愛する心
8. とりあえず日本人なのだから日本を愛する心
等等考えられますが、他国の人にとってもそれぞれの愛国心は有るのです。
愛国心と言う事が一人歩きして、他国との軋轢になってはいけない事なのです。
「君には愛国心が無いのか」と問われれば、自信を持って「無い」と言う事は難しい事ですが、それが教育とどう結びつくのでしょうか。
愛国心をキーワードに政府の都合良いような方向に進む事はさけなければならないのです。
ピースキーピングのお題目のもとに、自衛隊派遣、「愛国心」は危険を孕むキーワードなのです。
人を愛する心が有れば、あえて「愛国心」などと言う表現は必要無いのです。
ポチ小泉首相は、6月末の日米首脳会談で「世界の中の日米同盟」をブッシュ大統領と確認、日米安保が国際社会の平和と安定に寄与することを強調する方針を明らかにしたそうだが、日米安保が国際社会の平和と安定に寄与するなどという世迷い言、言語道断、本当に情けない日本になってしまいました。
一番の問題は、祖国を愛する心、心から愛せる国にしなければいけないのに、愛せる国をつくってこなかった政府の責任をどうとるのか、本当に愛せる日本をつくる努力をして下さいと、心から望むものです。
アメリカの51番目の州などと陰口をたたかれる日本に誰がしてしまったのでしょうか。
子供達に「愛国心」を理解してもらう前に、生まれ育った自分の国を、自信を持って愛せる、そんな国にすることが政府の役目ではないのでしょうか。
子供達に、人を愛する心を、自然を愛する心を、文化を愛する心を理解してもらう事が、教育の基本ではないのですか。
教育基本法に「愛国心」など言語道断、いつか来た道はなんとしても回避しなければなりません。
戦争で命を失われた方の御霊に詣でる事も本末転倒、戦争にかり出したのは誰の責任なのでしょうか。
他の国から、戦争で命を失われた方の御霊に詣でる事をとやかく言われたく無いと言って、アジア外交をボロボロにしているポチ小泉、「子供達をそっと抱いてあげて」などと受け狙いの言葉を吐かず、本当の教育基本法を論じていただきたいと教育的チャンネルの責任者として訴えられずにはいられない今日この頃であります。
2006年6月13日更新
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