一号館 二号館 三号館 四号館 五号館 六号館 七号館 八号館 九号館
昭和42年12月07日の赤坂見附
平成15年6月10日の赤坂見附
弁慶堀に沿って走っているのは元の外濠線である3系統です。品川駅前から飯田橋までを結んでいました。昭和42年12月9日廃止になりました。
外掘通りから弁慶橋ボート場を望む。当時の撮影地点は、現在地下駐車場の出入口になっています。 緑は今でも健在です。
昭和38年8月2日の豊川稲荷前
平成15年6月10日の豊川稲荷前
9系統(渋谷駅前から浜町中の橋を結んでいました。昭和43年9月30日廃止)が走っているこの区間(青山一丁目〜三宅坂)は、首都高速建設のため昭和38年9月30日廃止になりました。
「とらや」の向かいにある「豊川稲荷」は正式名「妙厳寺」といい、大岡越前守忠相の屋敷にあったお社がそのルーツです。道路も拡張され、現在の青山通りに昭和30年代の面影を探すことは不可能と言っていいです。
昭和44年5月19日の赤坂八丁目
平成15年6月10日の赤坂八丁目
外苑東通りを走っているのは33系統(四谷三丁目から浜松町一丁目を結んでいました。昭和44年10月25日廃止)です。
通りにはビルが立ち並ぶようになりましたが、電柱には同じ「中井診療所」の看板が。
昭和44年1月8日の北青山一丁目
平成15年6月10日の北青山一丁目
通りを走る33系統の電車、8000形という車両です。現在の荒川線では見ることができません。すべて廃車になっていますが、千葉県八千代市に1両が電車カフェとなって残っています。
左手の赤坂御用地は今の方が緑が豊富です。東京タワーはビルに隠れてしまいました。
昭和44年5月19日の北青山一丁目
ビルの上のJALマークも懐かしいものとなってしまいましたね。空はまだ割りと広々としているという感じです。
「青山ビル」屋上のJALの看板は消え、右端に写っていた赤坂消防署旧庁舎は取り壊されて今は記念碑が建てられています。
昭和42年4月16日の外苑前
平成15年6月10日の外苑前
オリンピック直前に青山通りは拡張されているため、都電は広々とした中を走っています。電車が入っていた当時からの建物はまったく見かけません。
左端に写っている「橘屋」は、今も変わらず営業しています。 今の青山通りを都電が入っていたら、どういう雰囲気になっていたでしょうね。