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§玉電(1)§
古い写真の提供/都電さん 新しい写真の撮影/アカデミア青木 コメント/都電さん・アカデミア青木
昭和44年2月7日と平成17年8月11日の上通り きものと帯の「泉也」(せんなり)は、ビルを建て替えて現在も営業中です。 建物は高層化され、通りの樹木も大きくなっています。この通りを、チンチン電車が走っていたと想像するのは難しいですね。 写真の車両は70形といって、玉電廃止後も世田谷線に残り、車体、台車を更新するなどして最近まで使われていました。
昭和44年2月12日と平成17年8月11日の大橋 右端の唐木屋(酒店)は、ビルを建て替えて現在営業中です。 大橋はかつて玉電の車庫があったところ。玉電がなくなってからは東急バスの車庫になっていましたが、再開発にともない今は姿を消しました。
昭和44年1月11日と平成17年8月11日の大橋 歩道橋左手の木立は、「上目黒氷川神社」です。 首都高速がなかった頃の国道246号線は、ずいぶん広く感じられます。写っている車両は200形といって、「ペコちゃん」「いもむし」などの愛称で親しまれました。玉電廃止と共に姿を消し、そのうちの1両が、田園都市線宮崎台駅にある「電車とバスの博物館」で保存されています。
昭和43年5月18日と平成17年8月11日の三軒茶屋三宿間 太子堂の歩道橋より三宿方面を撮影しました。 玉電が走っていた頃の通りは、空が大きく見えましたが、今は高速が覆いかぶさり、薄暗い感じです。写っている車両は80形。何両かは世田谷線に残り、最近まで姿を見ることができました。
昭和44年3月22日と平成17年8月11日の三軒茶屋 歩道橋は今はなく…。 タクシーの中から走っている玉電を撮影したもの。車の洪水の中で、走っている玉電も窮屈そうです。正面に見える協和銀行(現りそな銀行)は、カラオケボックスになってしまったんですね。 三軒茶屋は玉川線と世田谷線(当時は下高井戸線と言ってました)の分岐点。右が世田谷線(下高井戸方面)、左が玉川線(二子玉川園(現在は二子玉川)方面)です。
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