「まぼろしチャンネル」の扉へ
「番組表」へ 「復刻ch」へ 「教育的ch」へ 「東京カリスマch」へ 「日曜研究家ch」へ 「あった、あったch」へ 「再放送」へ 「ネット局」へ
画像をクリック!
掲示板
マガジン登録
メール

「都電写真館」タイトル

一号館 二号館 三号館 四号館 五号館 六号館 七号館 八号館 九号館

§一ノ橋〜渋谷(都電34系統)§

画像をクリック!

古い写真の提供/都電さん
新しい写真の撮影/アカデミア青木
コメント/都電さん・アカデミア青木



一ノ橋
一ノ橋
 

昭和42年3月21日と平成16年7月7日の一ノ橋
 南北線麻布十番駅近くの交差点です。以前「陸の孤島」と言われていましたが、地下鉄駅の開業や六本木ヒルズのお客の流入によって、今では賑やかになっています。当時麻布十番(一の橋)を走っていた都電は、4系統(五反田駅前〜銀座七丁目)、5系統(目黒駅前〜永代橋)、8系統(中目黒〜築地)、34系統(渋谷駅前〜金杉橋)とありました。最後まで残っていたのは34系統で、昭和44年(1969年)10月25日まで走っていました。写真で見てわかるように、現在は麻布十番駅前となっている停留所は、都電が走っている頃は「一の橋」となっていました。

 

 

光林寺前
光林寺前
 

昭和44年6月14日と平成16年7月7日の光林寺前
 右手前の文具店(鈴木文具店)は現存していますが、奥に見える安立電気(株)(現:アンリツ(株))の工場は今はなく、マンションになっています。ちなみに、光林寺にはハリス(幕末のアメリカ公使)の通訳だったヒュースケンの墓があります。光林寺前を走っていたのは7系統(品川駅前〜四谷三丁目)、8系統、34系統です。写真を見ると都電が走っていた時からすでに首都高速があったんですね。

 

広尾一丁目
広尾一丁目
 

昭和44年5月14日と平成16年7月7日の広尾一丁目
 右手前の加藤三省堂は、店舗を建替えて現在も営業中。バス停はここから4〜50m渋谷寄りに移転しました。広尾一丁目を走っていたのは8系統、34系統。明治通りも道幅が都電が走っていた頃より拡張されています。現在でもこの辺りは道路工事が進行中です。

 

並木橋
並木橋
 

昭和44年5月14日と平成16年7月7日の並木橋
 渋谷の一つ手前の停留所です。渋谷駅前の発展に伴い往時の建物はビルへと建て替わっています。並木橋を走っていたのは34系統。この辺も道路の道幅が拡張されています。34系統は昭和44年(1969年)10月25日に廃止になりましたが、その代替バスである都06系統(渋谷駅前〜新橋駅)は現在も多くの利用者がある線です。

 

渋谷駅全景
渋谷駅全景
 

昭和43年9月27日と平成16年7月7日の渋谷駅全景
 右手にあった東急文化会館は取り壊されてしまいました。五島プラネタリウムの丸屋根ももうありません。渋谷駅前を走っていた都電は6系統(渋谷駅前〜新橋)、9系統(渋谷駅前〜浜町中の橋)、10系統(渋谷駅前〜須田町)、34系統です。6、9、10系統は青山車庫の管轄で、34系統は広尾車庫の管轄の路線でした。6、9、10系統の線と34系統の線は繋がってはいませんでした。取り壊されてしまった東急文化会館の下に、地下鉄13号線の駅が出来、東急東横線と直通運転を行う予定になっています。その頃には、渋谷駅の駅舎も変わっているかも知れません。渋谷の周辺は、これから大きく変貌することと思われます。

 

渋谷駅
渋谷駅
 

昭和37年5月12日と平成16年7月7日の渋谷駅
 かつての都電の停留所は、廃止後そのまま都バスの停留所になりましたが、近年13号線の工事、それとおそらく明治通りの車の流れをスムーズにするということでしょうが、都バスの停留所は端に移設され、かつての停留所のあったところには、自動車とタクシーがひしめく空間となっています。



「秘宝館」の扉へ