21世紀編(2012-)の最近のブログ記事

2012 track-12 月光 / 斉藤和義

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「愛しているよと言えなくて、また歌を唄う
 あなたとともに唄えたなら とてもうれしい」

おとといだっけ、スーパームーンっていう現象があった。
お月さまが地球に近い位置になって、いつもより大きくまんまるく輝いていた。
昨日の夜、「HEY! HEY! HEY!」で、斉藤和義さんを観た。
いちばん新しい歌を歌ってた。
「月光」っていう名前の歌。
斉藤和義さんや真心ブラザーズ、トータス松本さんにワタナベイビーさんに奥田民生さん、それからエレファントカシマシ・・・と、清志郎さんの遺伝子を受け継いだミュージシャンたちが、この国には何人もいる。そして、ヒロト&マーシー。もちろん、桑田佳祐さんもいる。
もはやロックもフォークもブルーズも歌謡曲も何もない。
大切なことは、「自分の言葉で歌う」ってことだ。
80年代にはジャパメタブームがあって、斉藤さんもメタルバンドで楽器を弾いてたらしい。大きな轟音が、彼らを魅了していた。
でも、「自分の言葉で歌う」ほうが、ずっとかっこいいって、ふと思ったんだと思う。
「自分の言葉」っていうのは、「自分がつくった言葉」っていう意味じゃない。
「自分が信じてる言葉」っていう意味だ。
シンガーソングライターなんて言葉は、私はあんまり好きじゃない。
どうしてって、ほんとうはそれが当たり前のことだと思うし、たとえ他人がつくった歌を歌っても、その人の歌になっていたら、それで誰かを感動させることができたら、誰もがその瞬間、シンガーソングライターってやつのはずだ。
愛と平和のために、ロックンロールとフォークミュージックは世紀を超えて、孤独な私たちの耳元で鳴り止まない。

「愛されたいと願う人で ここも順番待ち
 今夜は月がキレイだから 手を伸ばすよ 手を伸ばすよ」

斉藤和義さんのデビューシングルは、「僕の見たビートルズはTVの中」っていう歌。
「月光」では、キース・リチャーズジョー・ストラマーの言葉が引用されている。
憧れが、人を希望に導くんだ。でも、憧れだけじゃダメなんだ。
結局は、自分のアタマで考えて、自分のココロで感じて、自分のカラダで動かなきゃいけない。
音楽とか歌っていうのは、人生に寄り添ってくれる安心のひとつだ。
でも、聴いてるだけじゃダメなんだ。
自分で歌いたい。自分の声をみんなに聴いてもらいたい。
この素直になることが難しい時代、斉藤和義さんがアコースティック・ギターとハーモニカを持って自分の言葉で歌い始めたときのような瞬間が、どうかあまねく、みんなにありますように。
それぞれの歌、みんなの歌、誰かのココロに響く歌。
月の見えない夜、月のきれいな夜、きっと何かが光り出す。


 オレはこんなもんじゃないだって! こんなハズじゃないんだって!
 信じておくれよ
 わかってないアイツらが センスのないアイツらがバカなだけなのさ!
 だからどうか あともう一杯だけ

 キース・リチャーズは言った 「ロックはあるけどロールはどうしたんだ?」
 ジョー・ストラマーは言った 「月に手を伸ばせ たとえ届かなくても」
 だから行くなよ 後悔しても知らないぜ

 月も見えない夜に 何処かで犬が吠えてる
 「サヨナラ」って聞こえたよ それともしぼむ夢の音?

 愛しているよと言えなくて ひとり歌を唄う
 あなたとともに唄えたなら とてもうれしい

 オレはオレになりたいだけなんだ ただそれだけなんだ 誰だってそうだろ?
 ロックンロールに教わった事は「人と違っても自分らしくあれ!」ってことさ
 そして「愛と平和」 そいつの意味を探している

 あっちの席でオッサンは言ったよ 「オレは百人の女と寝たぜ」
 こっちの席じゃ若者が「男の価値はなにで決まるのかな?」
 そしたらとなりの女が「そんなの" 家族" に決まってるでしょう!」

 月も見えない夜に 何かが光りだした
 気のせいなんかじゃない 確かに胸の奥の方

 愛されたいと願う人で どこも順番待ち
 それぞれの歌うたいながら 夜を越えてく

 愛しているよと言えなくて また歌を唄う
 あなたとともに唄えたなら とてもうれしい
 愛されたいと願う人で ここも順番待ち
 今夜は月がキレイだから 手を伸ばすよ 手を伸ばすよ


 「月光」詞・曲:斉藤和義


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月光 (初回限定盤)
斉藤和義「月光」(初回限定盤)
1. 月光 2. メトロに乗って 3. 今夜、リンゴの木の下で 4. やさしくなりたい(Live at 日本武道館 2012.2.11)
Released on May 2, 2012


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きょうは、ゾウさんこと、西岡恭蔵さんの64歳のお誕生日。
1969年8月15日の終戦記念日、大阪の難波元町、国道26号線沿いに小さな喫茶店、「ディラン」が生まれる。
大塚まさじさんがそこの初代マスターになって、フォーク仲間や演劇人や運動家、若い人たちが集まり、小さな空間の中で、いつしか自然に誰かしらが歌っているような、そんなコミュニティに育っていった。
そこには元々のお店のママのような人がいて、ゾウさんのファーストアルバム「ディランにて」の2曲目で、その人とお店のことが歌われている。
ニューヨークのコーヒーハウスで、ボブ・ディランたちが歌っていた憧れの風景と自分たちのいる「ディラン」を、若き歌い手たちは重ね合わせていた。
そこで行われていたミニコンサートが、福岡風太プロデュースの春一番コンサートへと昇華する。
このお店で生まれたバンドがザ・ディランだったけれど、ゾウさんは1971年に脱退、バンドはザ・ディランⅡと名を変え、ゾウさんはソロになった。
大阪のダウンタウンの風に吹かれていたゾウさんは、時を経て、作詞家のKUROさんと出会い、2人で南国の風を浴び始める。
寂しげで朴訥とした世界観から、異国に思いを馳せるエキゾチックな夢の情景まで、どれも西岡恭蔵の世界なんだ。
そしていま、ゾウさんもKUROさんも、生身のカラダをもって現世にはいない。
目に見えぬ天使の姿をして、歌そのものとなって、この世界を見守っている。
どんな生まれ方をした人も、どんな死に方をした人も、その人生には歌がある。たとえば、耳が不自由な人にも歌はある。
「プカプカ」は、多くの人に歌い継がれ、あまりに有名だ。
後年は、矢沢永吉の曲の作詞をいくつも担当したから、いわゆるフォーク・ファン以外にも知っている人はいると思う。
大阪のダウンタウンのはずれの小さな店から、カリブの海岸へと旅を続けた西岡恭蔵は、天国経由で、ちゃんといまもみんなのそばにいる。
64歳だ。
ひとりの人間が、64年間、生きたのだ。歌ったのだ。
それだけで、ものすごい奇跡なんだ。
生きることも死ぬことも悲しいことだ。でも、私たちの傍らには、いつも歌がある。
社会はより複雑化し、インターネットの発展とは反比例するように世知辛くなり、鬱病や神経症を患う人は増え続けている。
ゾウさん、どうか、守っていてください。
あなたの声は、とても優しい。
ところで関西人は納豆が嫌いな人が多いみたいだけど、ゾウさんはどうだったんだろう。
ディランのママの別れた下駄づくりの旦那さんのように、好きだったのかなぁ。
それとも・・・ま、いいか、そんなこと・・。
丸眼鏡にかわいいキャップの、髭のおじさん、西岡恭蔵。
別名、象狂象。
ハッピーバースデー、ゾウさん!


 下町を教えてやろうか 六番街から西行きの
 バスに乗って終点まで 行ってごらん そこが下町さ
 ガードをくぐってちっちゃなタバコ屋を 右に曲がって五分ほど
 歩いてごらん 楽しいたまり場 下町のディランがあるからよ

  おおディラン おおディラン
  おおディラン おおディラン
  下町のディラン

 ディランのママは化粧が上手 とても四十には見えやしない
 下駄づくりの亭主を捨てて いまじゃ下町の女親分
 下駄づくりの亭主の言うことにゃ あいつはおいらに惚れていた
 家をおん出るそのときにゃ おいらの大好物の納豆が
 ひとりで寝る夜は寒いからと 手紙に添えてつくってあった

  おおディラン おおディラン
  おおディラン おおディラン
  下町のディラン

  おおディラン おおディラン
  おおディラン おおディラン
  下町のディラン


 「下町のディラン」詞・曲:象狂象



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ディランにて (紙ジャケット仕様)
西岡恭蔵「ディランにて」
1. サーカスにはピエロが 2. 下町のディラン 3. 谷間を下って 4. 君住む街に 5. 風を待つ船 6. 丘の上の英雄さん 7. 君の窓から 8. 僕の女王様 9. プカプカ 10. 街の君 11. 終りの来る前に 12. サーカスの終り
Released on July, 1972


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2012 track-10 鮪に鰯 / 高田渡

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高田渡のライブでの曲目は、私が通っていた晩年はいつもほとんど同じで、歌ってほしい歌はなかなか歌ってくれなかったりしたけど、この歌は歌っていた。
友人の中川五郎とは正反対で、歌の前後に説明のMCをほとんどしない高田渡、でも、あるとき、この曲を歌い終わったあとにボソッとこう言った。
「こういう歌が、いま歌われるべきだと思いますけどねぇ・・・」
渡さんの敬愛する沖縄出身の詩人、山之口貘の詩に曲をつけた「鮪に鰯」。
1954年3月1日、午前3時42分、アメリカによって、ビキニ環礁での水爆実験「キャッスル作戦・ブラボー(BRAVO)」が行われた。
原爆を落としてから9年後、舌の根も乾かぬうちにアメリカは核兵器を再び使ったのだ。
そのとき、ちょうどその近くにいた、遠洋マグロ漁船「第五福竜丸」。
乗組員たちは被爆し、無線長が半年後に命を引き取った。
「放射能マグロ」の風評被害は広まった。
きっと現在の福島や宮城から流通している野菜や魚が安全かそうでないか様々な意見が飛び交っているように、当時も、焼津と東京から全国に行き渡ったマグロやイワシといった魚たちが、実際に放射線を浴びていたか浴びていなかったか、いろいろな学者の意見が飛び交ったのだろう。
亡くなった当時40歳だった久保山愛吉さんの遺言は、「原水爆による犠牲者は、私で最後にして欲しい」というものだった。
第五福竜丸事件は、日本にとって第三の核兵器による被害である。
しかし、その後も、世界中で核実験は行われ続けた。
そして2011年3月11日、第四の核被害、福島原発の爆発。
戦争や核の問題を、ユーモラスにコミカルに現代詩として表現してみせる山之口貘と、それをアメリカのブルーズやフォークミュージックの曲調に乗せて歌う高田渡。
「亭主も女房もお互いに鮪なのであって 地球の上はみんな鮪なのだ」というような、理屈を破壊する屋台崩しのような言い回しは、山之口貘の得意とするところだ。
「人間みたいなことを言い始めた」、この表現に、たまらなくキュンとする。
日本国内の原子力発電がすべて停止しているこれを書いている現在、前回書いたRCサクセションの「サマータイムブルース」と一緒に、この高田渡の「鮪に鰯」も聴いてほしくて、今回こうして書きました。


 鮪の刺身を食いたくなったと
 人間みたいなことを女房が言った
 言われてみるとついぼくも人間めいて
 鮪の刺身を夢みかけるのだが
 死んでもよければ勝手に食えと
 ぼくは腹立ちまぎれに言ったのだ

 女房はぷいと横にむいてしまったのだが
 亭主も女房もお互いに鮪なのであって
 地球の上はみんな鮪なのだ
 鮪は原爆を憎み
 水爆にはまた脅かされて 
 腹立ちまぎれに現代を
 生きているのだ

 ある日ぼくは食膳をのぞいて
 ビキニの灰をかぶっていると女房に言うと
 女房は箸を逆さに持ちかえると
 焦げた鰯のその頭をこずいて
 火鉢の灰だとそうつぶやいたのだ
 鮪の刺身を食いたくなったと
 人間みたいなことを
 旦那も言いはじめた


 「鮪に鰯」詩:山之口貘 曲:高田渡


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ファーストアルバム ごあいさつ(紙ジャケット仕様)
高田渡「ごあいさつ」
1. ごあいさつ 2. 失業手当 3. 年齢歯車 4. 鮪に鰯 5. 結婚 6. アイスクリーム 7. 転車にのって 8. ブルース 9. おなじみの短い手紙 10. コーヒーブルース 11. 値上げ 12. 夕焼け 13. 銭がなけりゃ 14. 日曜日 15. しらみの旅 16. 生活の柄
Released on June, 1971


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Author


    藍見澪 -Rei Aimi + Folksong Institute-
    「フォークソング」という言葉の意味を再定義し、日本のフォークやロックの歴史を研究、ひいてはすべての歌に繋げる実験・・・のつもり!

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