21世紀編(2012-)の最近のブログ記事

友部正人は、銀杏BOYZの峯田和伸のことが好きで、詩の朗読会にも出演させた。
岡林信康は、サンボマスターを気に入っていて、いいとものテレホンショッキングでお友達紹介された。
泉谷しげるは、ガガガSPのコザック前田とコンビを組んで曲をリリースした。
パンクロックの人には、60年代後半から70年代前半にかけてから活動している日本語フォーク&ロックの人たちをリスペクトしている人が多い。
でも、私はどうしても何か違和感を感じてしまうところがあるのだ。
銀杏BOYZは、「僕たちは世界を変えることができない」と歌う。
サンボマスターは、「世界を変えさせておくれ」と歌う。
世界と人間の関係って、生きていくってことって、そういうのとはちょっと違うんじゃないのかなって思うのだ。
ボブ・ディランは、「時代は変わっていく」と歌った。
斉藤哲夫は、「時代は変わっている」と歌った。
中山ラビは、「人は少しずつ変わる」と歌った。
「変えさせておくれ」とか「変えることができない」という言い方は、自分と世界が別のものであるかのようじゃないか。
そんなことない。世界と自分はひとつのものだ。
「変えさせて」とか「変えられない」なんて言わなくても、世界は勝手に変わっている。自然に変わっている。
どうしたって、世界も自分も、変わり続けるのだ。
そのへんが、私が引っかかるところなんだと思う。でも、すべて正しい。
最初から、あきらめが存在してしまう私や彼らの世代は、ある意味でいささか不幸かもしれない。日本人は、不器用だ。
だが、こうした社会の変化も、時代が、世界が変わり続けているしるしだ。
ならば、どんなふうにも変えることができるはずなんだ。
それを信じなければ、歌はただのイージーリスニング、或いは一瞬の高揚や快感だけのものになってしまうじゃないか。
でも、言い方が違うだけで、音が違うだけで、ファン層が違うだけで、すべての時代の歌は、ロックンロール。
すべてを、世界を肯定する。それが歌だ。
世代と音楽のカタチが異なるだけで、結局は、同じことを歌っているのだから。

高田渡は、日常を歌うことこそが究極のプロテストソングであることを悟った。
忌野清志郎は、「世界を変える使命感があるんです」と、照れくさそうに、しかし堂々と語った。
そして、戦場カメラマンの渡部陽一は、「戦争は、なくせます」とはっきり言った。
朝の光の中、精神の裡から、真心ブラザーズの「素晴らしきこの世界」が流れ出した。
この歌は、真心ブラザーズが1993年10月1日にリリースしたシングル盤のカップリング曲で、のちに「真心COVERS」というトリビュート盤で忌野清志郎も歌っている。
そのシングル盤のA面とは・・・高田渡の「自転車に乗って」のカバーなのだ!


MOTHER TOUCH 戦場からのメッセージ (タツミムック)


 夜道を一人で歩いていたら どこから何やらカレーのにおい
 僕もこれから帰るんだよ 湯気がたってる暖かいうち
 素晴らしきこの世界

 電車の窓から夕焼け小焼け よぼよぼばあさんひい孫あやす
 どうかみなさんお幸せに 車掌さん天国まで連れてっておくれ
 素晴らしきこの世界

 しゃべって怒ってむなしくなって 無口になったりまたしゃべりだす
 僕はどうせならネコになりたいよ くだらないことから逃げて寝ていたい
 素晴らしきこの世界

 まん丸地球をこの目でみたい 一度でいいから本当にみたい
 宇宙の果てってどんなところ 時間と距離を超えた世界
 素晴らしきこの世界

 海からお日様はじき出され 新しい手つかずの一日始まり
 僕は大好きなベッドのなか ボケた頭でくしゃみを一発
 素晴らしきこの世界

 民族紛争 果てしない仕返し 正義のアメリカ ミサイルぶちこむ
 飢えた子供の目つきは鋭く 偽善者と呼ばれて自殺する男たち
 素晴らしきこの世界

 バイクでスピードこの身を任す 色んな風景うしろへふっとぶ
 さてと僕は何をしようか 少なくとも校舎の窓は割らないよ
 素晴らしきこの世界

  オレはいつでも ムキムキムキムキになる
  くだらないことでも ムキムキムキムキになる
  口から泡とばし ムキムキムキムキになる
  大事なことなおさら ムキムキムキムキムキ

 笑った顔から怒った顔へ 感情の津波が波止場をおそうよ
 ノードラッグ ノーアルコールで爆発しよう ユメをみる前に現実をみよう
 素晴らしきこの世界

  オレはいつでも ムキムキムキムキになる
  くだらないことでも ムキムキムキムキになる
  どうでもいいことでも ムキムキムキムキになる
  大事なことなおさら ムキムキムキムキムキ

  僕の体にあふれるエネルギー あらゆる困難もぶちこわし進むよ
  悟り顔の若年寄にケリを入れて バネをきかせて世界を変えるよ
  素晴らしきこの世界


 「素晴らしきこの世界」詞・曲:倉持陽一


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真心COVERS(CCCD)


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きょうは、藤村直樹さんの命日です。
2年前の4月27日、伝説のフォークシンガーは天国へ旅立ちました。
私は、晩年に優しくしてもらいました。
はじめて知ったのは、渋谷の小さなお店での中川五郎さんとのジョイントライブでした。
お2人とも、オフノートからアルバムをリリースした記念のライブです。五郎さんは数十年ぶりのアルバム、藤村さんにとっては生まれて初めてのアルバムです。
それまで彼の歌が聴けたのは、URCのライブ盤「第4回フォークキャンプ」の「町工場のブルース」1曲だけ。
また、フォークキャンパーズや、なれあいシンガーズのコーラスの中にも、藤村さんの声が入っているのでしょう。
藤村直樹さんは、フォークソング黎明期から活躍した草分け的存在の一人。
当時の象徴的リーダー、高石友也さんのことを師匠と仰いでいます。


第4回フォーク・キャンプ・コンサート


カントリーミュージックとの出会いをきっかけに、プロテストフォークの世界に入っていった藤村さんですが、彼にはもうひとつの道がありました。
藤村青年は、医学生だったのです。
平和と権利のために歌う藤村直樹と同時に、呼吸内科医となった藤村直樹も存在し、まさに二足のわらじをしばらく続けました。
だから、フォークジャンボリーなどのフォークブームの時代には、すでに彼はシーンの中央にいません。
フォークキャンパーズのリーダーだった藤村さんは、元より有名になろうという動機はさらさらなかったのだろうし、そして芸能者的な側面のあまりない人です。
彼は和歌山の病院に勤めながら、その土地で「和歌山フォーク村」を結成し、フォークソングの種を蒔き続けます。
やがて、彼は表舞台からいったん身を引いて、医師として数十年を過ごしました。


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藤村さんは、1999年頃から、再び歌手活動を始めます。
琵琶湖の畔の病院で医師を続けながら、週末と祝日に歌う、「ウィークエンドシンガー」を自称しました。
そうしてオフノートとの出会いにより、「逃避行〜めりけんじゃっぷの放浪綺譚」が生まれます。
実直でシンプルな昔気質のフォークソングイズムと、楽しげで彩り豊かなオフノート・サウンドとが混ざり合い融け合い、とっても面白いアルバムに仕上がっています。


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ところが2006年末、彼は再びギターを置きます。小泉政権による後期高齢者医療制度の施行を前に、半年間をかけて、医療や介護の現場を取材したのです。
そこで出来上がったのが、「老人は国会突入を目指す」というシングル盤。これは放送禁止歌になってしまいました。
まさに60年代後半に多く歌われた、実直で皮肉っぽいプロテストソングの復活です。


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帰ってきたフォークシンガー藤村直樹ですが、彼が相談医を務めていた親友、高田渡が永眠しました。
藤村さんは、渡さんへのレクイエムとして、「君こそは友」という歌をつくります。
この歌は、38人の昔馴染みのシンガーによって、同じ歌がそれぞれのアレンジで15曲続けて歌われるアルバム盤となりました。
彼は日本での医師活動を引退したときは、紛争地域での医療活動に従事しようと考えていましたが、自身の体調が悪化し、その目標は断念せざるを得ませんでした。
そこで藤村さんが計画したのが、「君こそは友」の収益を、パレスティナのガザ地区の子供たちへの寄付でした。
そして京都のライブハウス「拾得」で2日間をかけて開かれた「藤村直樹 中休みライブ」が、彼の最後のシンガーとしての姿でした。
プロテスタントの藤村さんの洗礼名は、医師で絵描きで福音記者のルカ。
大好きな盟友、高田渡さんはパウロ。
ルカとパウロは友達でした。
それを知って、私もルカなので、なんだか少しうれしかったです。


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藤村直樹は、とてもまっすぐで、真摯で、しかし真面目過ぎた。
歌というものへの気持ちは、巷に流れるポップスを否定せんばかりの生真面目さでした。
1960年代後半のフォークソングの空気そのままで、彼はこの世を去った。
そういう人がいても、いい。
まるで伝道師のようだった藤村直樹。
聖書に出てくるような、地味だけど、真面目で慈しみ深い人。
別名、ドクター・ヘンリー・ユアン。
医師とフォークシンガーの2つの道を歩いた、静かに輝ける一個の魂。
オフノートからリリースされた、藤村直樹の最初にして最後のオリジナルアルバム「SOUVENIR 逃避行〜めりけんじゃっぷの放浪綺譚」はスバラシイ名盤なので、ぜひ聴いてほしいです。
このレーベルからは、ほかに和歌山時代の録音が聴ける「藤村直樹メモワール アーリーデイズ」と「老人は国会突入を目指す」が出ており、「中休みライブ」などのライブ盤も出るそうです。
そして、自主制作の「君こそは友」。
これは高田渡さんのことだけを歌った歌ではないです。すべての人に捧げられた、優しい優しいフォークソングです。
人は誰しも、ひとりじゃない。
悲しいことがあってメールしたときに、「悲しんではいけません」と返事してくれた厳しい優しさに救われたことを忘れません。


 若い日は 人生のきらめきも 悩みのうねり
 でも 君の笑顔と出逢ったときが すべての始まり

  忘れないよ どこへ行こうと 君がどこにいても
  もし 友といえるものがあるなら それこそは君

 ついていない時も 君はなぐさめ はげましてくれた
 こころ砕けずにいられたのは 君がいたから

  忘れないよ どこへ行こうと 君がどこにいても
  もし 友といえるものがあるなら それこそは君

 悩み多かった人生を ほほえみ振り返るとき
 そこにはいつも 君の笑顔がある

  忘れないよ どこへ行こうと 君がどこにいても
  もし 友といえるものがあるなら それこそは君


 「君こそは友」詞:藤村直樹 補作詞:長野たかし 曲:traditional

 



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2005年4月16日、高田渡は北海道の地で息を引き取り、天使になった。
私は、勝手に、あなたのことを、おとうさんだと思っている。
生身のカラダで喋ったことはないけれど、魂の父親ということに勝手に決めて、天国できっとそれを彼も「認知」してくれていると思う。
ねえ、おとうさん、あれから世界はもっと大変な状況になっているんだ。知ってるでしょ?
「鮪に鰯」みたいな、いやもっと重大なことが起こってしまってる。
しかも、自衛隊の批判なんてしようものなら、袋だたきに合うような国になっちゃったよ。困っちゃうな、ほんと。
ところで、おとうさん、この「フォークソング・クロニクル」っていう、フォーク&ロックの歴史という名を借りた極私的な雑文は、じつはあなたへの挑戦なんだ。
あなたの歌への思想さえも超えた、まったく新しい音楽観を打ち出そうとしている実験なんだよ。
でも、あなたには、わかるはずだよ。あなたの歌への取り組みも、ひとつの実験だった。
誰かが書いた詩をちょっと変えて、誰かが書いた曲とくっつけて。
しかし、それでも、おとうさんは、みんなから「あの人は詩人だから」と言われたね。
ああ、こんなこと言ってたって、私はあなたのほんとの娘じゃないのかな。
高田漣さんじゃないもん、私は生きてるときのあなたを見つめていただけだもんね。
でもわかるはずなんだ、おかあさんがいないあなたには、おとうさんがいない私の気持ち。
私は、高田渡がずっと支えだった。これからも。
でもね、私は、あなたに負けないよ。勝ってみせるよ。
だってファンじゃないもん。
ライバルだから。
ところでさあ、この連載ね、内田裕也さんとか藤圭子さんとかグループサウンズとかの、いわゆるフォークの側じゃない音楽を取り上げることで、すべての歌はフォークソング(民謡=みんなのうた)と定義する実験なんだけどさ・・・。
結局、いつもいつも、毎回のように、おとうさんの名前が出てきちゃうんだ。
ああ、それと、吉祥寺の街、もうすっかり変わっちゃったよ。

高田渡は、誰のものでもない。
おとうさんは、風になったんだから。
歌そのものに、なったんだから。

真心ブラザーズの「拝啓、ジョン・レノン」の替え歌を、あなたに捧げます。
あなたのいわゆるファンの人たちの大半は、私のこういう文章に拒否反応示すんだろうけど、知ったことか。
こっちだって、命がけで生きてるんだ。
渡さん、あなただってそうだったでしょ。
おとうさん。


 拝啓、高田渡
 あなたがこの世から去りずいぶん経ちますが
 まだまだ世界は暴力にあふれ 平和ではありません
 私があなたを知ったときは まだ吉祥寺で呑んだくれていて
 いせやの軒先で眠ってたね 二十代初めにファンになって
 いちばんかぶれていた25の頃

 高田渡 あの仙人みたいなおじさん
 高田渡 バカな平和主義者
 高田渡 現実見過ぎた人
 高田渡 あのヨッパライ

 高田渡 いま聴く気がしないとか言ってた三、四年前
 フォークソングを聴かないことで 何か新しいものを探そうとした
 そしていまヒット曲のように 聴くあなたの声はとても優しい
 iPodの中いるような あなたの声はとても優しい

 拝啓、高田渡
 私もあなたも大して変わりはしない
 そんな気持ちであなたを見ていたい
 どんな人でも私と大差はないのさ
 拝啓、高田渡 そんな気持ちで世界を見ていたい
 雨も雲も太陽も時間も目一杯感じながら私は進む

 高田渡 あの老成したおじさん
 高田渡 生まれもってのアナーキスト
 高田渡 現実見過ぎた人
 高田渡 あのヨッパライ

 高田渡 いま聴く気がしないとか言ってた三、四年前
 フォークソングを聴かないことで 何か新しいものを探そうとした
 そしていまヒット曲のように 聴くあなたの声はとても優しい
 iPodの中いるような あなたの声はとても優しい

 拝啓、高田渡
 そしていまヒット曲のように
 心の中に流れてくる あなたの声はとても優しい
 いつも一緒にいるような あなたの声はとても優しい
 拝啓、高田渡
 あなたの声はとても優しい
 拝啓、高田渡
 あなたの声はとても優しいよ

 
 「拝啓、高田渡」原詩・曲:倉持陽一 替え歌:フォークソング研究所




渡


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Author


    藍見澪 -Rei Aimi + Folksong Institute-
    「フォークソング」という言葉の意味を再定義し、日本のフォークやロックの歴史を研究、ひいてはすべての歌に繋げる実験・・・のつもり!

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