友部正人は、銀杏BOYZの峯田和伸のことが好きで、詩の朗読会にも出演させた。
岡林信康は、サンボマスターを気に入っていて、いいとものテレホンショッキングでお友達紹介された。
泉谷しげるは、ガガガSPのコザック前田とコンビを組んで曲をリリースした。
パンクロックの人には、60年代後半から70年代前半にかけてから活動している日本語フォーク&ロックの人たちをリスペクトしている人が多い。
でも、私はどうしても何か違和感を感じてしまうところがあるのだ。
銀杏BOYZは、「僕たちは世界を変えることができない」と歌う。
サンボマスターは、「世界を変えさせておくれ」と歌う。
世界と人間の関係って、生きていくってことって、そういうのとはちょっと違うんじゃないのかなって思うのだ。
ボブ・ディランは、「時代は変わっていく」と歌った。
斉藤哲夫は、「時代は変わっている」と歌った。
中山ラビは、「人は少しずつ変わる」と歌った。
「変えさせておくれ」とか「変えることができない」という言い方は、自分と世界が別のものであるかのようじゃないか。
そんなことない。世界と自分はひとつのものだ。
「変えさせて」とか「変えられない」なんて言わなくても、世界は勝手に変わっている。自然に変わっている。
どうしたって、世界も自分も、変わり続けるのだ。
そのへんが、私が引っかかるところなんだと思う。でも、すべて正しい。
最初から、あきらめが存在してしまう私や彼らの世代は、ある意味でいささか不幸かもしれない。日本人は、不器用だ。
だが、こうした社会の変化も、時代が、世界が変わり続けているしるしだ。
ならば、どんなふうにも変えることができるはずなんだ。
それを信じなければ、歌はただのイージーリスニング、或いは一瞬の高揚や快感だけのものになってしまうじゃないか。
でも、言い方が違うだけで、音が違うだけで、ファン層が違うだけで、すべての時代の歌は、ロックンロール。
すべてを、世界を肯定する。それが歌だ。
世代と音楽のカタチが異なるだけで、結局は、同じことを歌っているのだから。
高田渡は、日常を歌うことこそが究極のプロテストソングであることを悟った。
忌野清志郎は、「世界を変える使命感があるんです」と、照れくさそうに、しかし堂々と語った。
そして、戦場カメラマンの渡部陽一は、「戦争は、なくせます」とはっきり言った。
朝の光の中、精神の裡から、真心ブラザーズの「素晴らしきこの世界」が流れ出した。
この歌は、真心ブラザーズが1993年10月1日にリリースしたシングル盤のカップリング曲で、のちに「真心COVERS」というトリビュート盤で忌野清志郎も歌っている。
そのシングル盤のA面とは・・・高田渡の「自転車に乗って」のカバーなのだ!
夜道を一人で歩いていたら どこから何やらカレーのにおい
僕もこれから帰るんだよ 湯気がたってる暖かいうち
素晴らしきこの世界
電車の窓から夕焼け小焼け よぼよぼばあさんひい孫あやす
どうかみなさんお幸せに 車掌さん天国まで連れてっておくれ
素晴らしきこの世界
しゃべって怒ってむなしくなって 無口になったりまたしゃべりだす
僕はどうせならネコになりたいよ くだらないことから逃げて寝ていたい
素晴らしきこの世界
まん丸地球をこの目でみたい 一度でいいから本当にみたい
宇宙の果てってどんなところ 時間と距離を超えた世界
素晴らしきこの世界
海からお日様はじき出され 新しい手つかずの一日始まり
僕は大好きなベッドのなか ボケた頭でくしゃみを一発
素晴らしきこの世界
民族紛争 果てしない仕返し 正義のアメリカ ミサイルぶちこむ
飢えた子供の目つきは鋭く 偽善者と呼ばれて自殺する男たち
素晴らしきこの世界
バイクでスピードこの身を任す 色んな風景うしろへふっとぶ
さてと僕は何をしようか 少なくとも校舎の窓は割らないよ
素晴らしきこの世界
オレはいつでも ムキムキムキムキになる
くだらないことでも ムキムキムキムキになる
口から泡とばし ムキムキムキムキになる
大事なことなおさら ムキムキムキムキムキ
笑った顔から怒った顔へ 感情の津波が波止場をおそうよ
ノードラッグ ノーアルコールで爆発しよう ユメをみる前に現実をみよう
素晴らしきこの世界
オレはいつでも ムキムキムキムキになる
くだらないことでも ムキムキムキムキになる
どうでもいいことでも ムキムキムキムキになる
大事なことなおさら ムキムキムキムキムキ
僕の体にあふれるエネルギー あらゆる困難もぶちこわし進むよ
悟り顔の若年寄にケリを入れて バネをきかせて世界を変えるよ
素晴らしきこの世界
「素晴らしきこの世界」詞・曲:倉持陽一