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「プラモ線の旅」タイトル

今柊二

「宇宙戦艦ヤマトとウオーターラインシリーズその2」


今氏自画像 今治模型社(プラモデル屋)は市の繁華街のそばにあった。オチくんも繁華街近くの問屋街に住んでいた。今治模型社は当時はビルの2Fにあった。せまい階段をのぼりドアをあけた途端目に入るのは箱箱箱の山であった。そして箱にはことごとく、戦車や車、飛行機などの素晴らしいイラストや写真が描かれていた。デパートのおもちゃ売り場の片隅でほんの少しプラモデルが置かれた程度しか見たことがなかったため、最初にその山を見た時は物量のすごさには恐れ入った。このような物量に圧倒される驚きは人生のなかで何度も繰り返されるようで、後に小学4年で松山の紀伊国屋書店に行きその巨大さに圧倒され、大学で上京して神保町で古本屋の多さにも驚いた。まあ、何の物量で驚くかで、その人の人生の方向性は大体見えるとも言えるな。有名なスポーツ選手が何千人並んでいても、私は何の感慨もおきない(笑)。
 さて、私はするすると箱の山の間の小道をとおって、店の一番奥に達した。「これよ」と僕は、オチくんに壁際にびっしりと積まれたプラモデル群を指さした。そのプラモの箱は細長い形で漢字熟語が書かれていた。私はそのなかから、一つの箱をするっと取り出してオチくんに見せた。箱の上部には軍艦が海の上を走っていくイラストが描かれていた。そのイラストを見るなり「おおー! カッコええ!」とオチくんは叫んだ。私も最初にはオチくんと同じようにそう声をあげたものだった。そう、そもそもは近所に住むお兄さんに「イマモに行こうや」と誘われたのがきっかけだったのだ(ちなみにイマモとは今治模型社の略語である)。そして店内で私は数々の「宇宙戦艦ヤマト」が売られているのを発見したのだ! そうでないにしても、「宇宙戦艦ヤマト」の代わりになる存在としてそれは十分の要素を持っていた。敵を倒すための砲塔、指令を出す艦橋などだ(さすがに波動砲はなかったが)。値段は一番安いものだと200円だった(当時)。我々は小学2年生になっていたが、当時の小遣いは3日おきに100円だったので、なんとか一週間がまんすれば買える金額だった。オチくんも私もは、その場ではお金を持っていなかったのでとりあえずは帰ることにした。帰りにオチくんに「ね、ヤマトあったろ?」というと「おおー、本当にあったわい」と今治弁で感慨深けに肯いたので、私はとりあえずうれしくなった。
 しかし、私のなかではますますあの「ヤマト」が欲しくなっていた。そこでなんとかアイスを買ったり駄菓子屋での買い物をがまんしてお金を200円ためて、一人で再び今治模型社に乗り込んだ。ドアをあけ、ずんずん奥に入り、軍艦模型の前に立った。さて、どれを買おうかと迷ったが、やはり「ヤマト」のように砲塔がたくさんあり、さらに一砲塔に複数の砲身がついているのを探した(ヤマトの三連装砲塔のように。実はこの要素は大事!)。それでなんとか条件にあった模型には、「島風」(タミヤ)と書いてあった。それを店のおばさんに渡すと「部品が細かいけん、気をつけんといかんよ」とアドバイスしてくれた。急いで家に帰りすぐに中をあける私。説明解説書には難しいことが書いてあったが、当時から私は本好きだったので難しい字も読め、解説も大体わかった。子供をなめてはいけない。大人が考えているよりずっと幼い頃から子供は大人の事情を理解し、大人の嗜好をもっている。だからこそ、ハードに精巧さを追求した「超合金」があれだけの人気を博したのだ。さて話を戻すと、説明書を堪能した後作成にかかったが、おばさんの言う通り細かい部品が多くて、なかなか一筋縄で行かない。それでもなんとか作り終えたのだが、出来上がった「島風」は船にしてはどこかおかしかった。たまたま買い物から帰ってきた母親が、「島風」を見て一言。「それ、船の下はどうしたん?」
 これがそもそものウォーターラインシリーズとの出会いであったのだ。
(続く)

模型


2002年7月19日更新
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