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「怪獣」タイトル

鴻池綱孝

『ゴジラ』スタンダード
マルサン商店
『ゴジラ』スタンダードサイズ
¥350

〈第三夜〉マルサン商店『ゴジラ』登場


 1966年7月17日、『ウルトラマン』本編の初放送が始まる。
 たいていの家がまだそうだった様に、うちもまだ、白黒テレビだった。
 画面のすみに出る【カラー】の文字が少しシャクだったが「絵ノート」(第二夜参照)や番宣用の絵葉書の「色」を映し重ねて、創造力で補った。
それは当時、ごく当たり前の事だったし、カラーテレビを特別に渇望していた記憶もない。
 ヤッカミからか解らないが「創造力が鈍る!」などと、カラーテレビに批判的な声も多く聞かれた時代だった。「白黒画面は創造力を培うのでよし!」と言うのであらば、イケイケの高度成長期にしては随分とまあ禁欲的なことだろうか。
 創造力は白黒画面を障害としなかった……などと言っても、『地底怪獣テレスドン』や『光熱怪獣キーラ、砂地獄怪獣サイゴ』登場の回などは舞台が暗闇だったもので、白黒テレビでは、かなりの苦戦を強いられた。番組が終わるとすぐさまストッキングの台紙に登場怪獣を描き写したものだったが、『サイゴ』の形だけはどうにもわからなかった。

 友達の家で『油獣ぺスター』の回をカラーテレビで観たのが、カラー初体験となる。
 石油コンビナート火災でメラメラと燃えあがるオレンジの炎の色が、強く印象に残ってはいるが、肝心のウルトラマンといえば、ぺスターの着ぐるみの構造上、絡みにくいと言う事もあり、まるで水芸の如く指先から水を出し消火活動にばかり専念するといった、なんとも冴えない回であった…

『ゴジラ』J・テール
通称「J・テール」と呼ばれる、 かぎ尻尾の物。 奥のくらべて 折れ角がきついのがわかる。
型抜けが悪く、 型損傷をまねくため最初期だけにに見られる形状。

 さて、テレビでウルトラマンが始まった頃、マルサン商店の怪獣ソフビ人形はもうすでに大ヒット中だった。50年代より存在する女玩のソフビ人形に対し、日本初、男の子向けのソフビ人形の登場だった。男の子に「お人形さん遊び」をさせたエポックな商品だ。 僕のところに一番乗りを果たしたのは東宝の大怪獣『ゴジラ』スタンダードサイズだった。
 たのんでおいた訳ではなかった。『初ゴジ』を日劇のロードショウで観たのが自慢の父親のチョイスで、突然それはやってきた。巷で話題の商品を並んで買って来たと、自慢げだった。
 そして、それはとてつもなく「カッチョイイ」物だった。それまで持っていた、底に大穴の開いた、マスダヤの手踊り『ペギラ』(第一夜参照)には無い「脚」が、しっかりと生えていた。これはとても大事な事だった。フィギュアという観念が無い当時、手踊りという参加性のギミックを付加したマスダヤは、おもちゃ屋感覚としては当然のことをしたのかもしれないが、僕的は、手突っ込んで「手踊りですぅ〜、ぱたぱたぁ」なんて、ガキみたく遊びたくなかったわけだ。穴を塞ぎ、脚を付けてほしかった。
 これは今で言う「リアル志向」に通ずるものだ。
 米オーロラ社のプラモデルの系譜を継いだトカゲ顔は、ハッキリいって映画のゴジラには似ていない。色だって濃紺に銀スプレーで、目だって赤い。それでもりっぱに「リアル」なゴジラにみえた。他のいずれの怪獣人形も実物とはだいぶ様子が違っていたが、とくにツッコミを入れられる事も無く、子ども達の心をかっさらって行った。それは白黒テレビで培った、創造力ゆえであろうか…
つづく…

ブルマァクの 『ゴジラ』と
奥はブルマァクの 『ゴジラ』。肌色成型に青メタリックくるみ吹き。

2002年6月27日更新
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〈第二夜〉『マイ・ファースト・ウルトラマン』
〈第一夜〉増田屋「ウルトラQ手踊り」『ペギラ』『ゴメス』登場


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