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日曜研究家串間努

第10回 「大増鍾乳洞と国際マス釣り場」


山崎珍石店でウインドウ・ショッピング

  先月行ったばかりだというのに、山崎珍石店と「白さ抜群!」の看板がある大増鍾乳洞に心惹かれて、懲りずに「ホリデー快速奥多摩号」で日原方面へ行く。暇な人だなぁ。
  しかし問題がある。9時30分に奥多摩を出るバスに乗って10時に<大沢バス停>に着いたとして、11時まで鍾乳洞を見学。そのあと歩いて10キロも<青梅駅>まで戻るか、それとも行きに<東日原バス停>まで行って、先に山崎珍石店を見てから大増鍾乳洞を見るか?

  しかし、山崎珍石店の電話がわからない。どちらの行動を取れば合理的なのか、私は悩んだ。

「夢にまで見た山崎珍石店の全景
(と言うほどのものでもないか……)」

  結局はバスの中から電話をかけた。車内で携帯電話をするのはよくない行為なのだが、今かけないとすべての計画がパーになるから、ごめんなさい! 珍石店の番号がわからないので、前回行った森林館に電話をかける。
  「すみませんが、今日は山崎珍石店のシャッターは上がってますでしょうかかね?」
  バスの車内で“なに携帯してんのよ!”と聞き耳を立てていた乗客も「えー! なんだよ、その質問?」と驚いたかもしれないが、森林館の人は「あー、はいはい」と普通に応答してくれる。
  電話に出た方は、わざわざ表に出て確認してくれたようで、だいぶ保留音を聞いたが、「山崎珍石店は開いている」というので、<東日原>で降車することに。

  観光地としては、あいも変わらずの殺風景なバス停である。そこから徒歩4分くらいで目的の山崎珍石店はある。店の前面がすべてガラス張りのウインドウになっていて、ガラスの向こう側に商品が並べてある。わずか50センチくらいのすきましかないところで、店主が入るスペースは無い。
  まあ、店主がいないほうがゆっくり品定めできてよいのだが。菊花石など、心そそられる石は結構あった。やはりだいたいの美的センスはみな似ているのか、こちらが良いと思うものは値札も高い。1,000円から5,000円ぐらいのリーズナブルな価格帯では、そそられる石はなかった。

「採石マニアの心をわしづかみにする名石・宝石・珍石の数々」

30分以上も石を堪能して、ちょうど駅に戻るバスが来たので乗車、<大沢>にて降りる。目の前が次の目的地、大増鍾乳洞だ(ダイマス……、おそらく「大」沢の「増」田という屋号か!?)。

「鄙びたバス停の情景が旅ごころをくすぐるね」

大増鍾乳洞でおばさんとランデヴー

  大増鍾乳洞は不定休なので、営業状況は前日に電話で確認してある。もしやっていなかったら、大変な手間をかけて来たのに悲しい気持ちになってしまうからだ。当然「文化の日」だからやっていたのだが。
  観光洞(入場料を取る管理された鍾乳洞)なのだが、なんとここは個人の家の庭にある個人所有の鍾乳洞であった。ちなみに日原鍾乳洞は500メートル、大増鍾乳洞は20メートルで、日本一短い観光洞だ。

  腹木造の受付部屋には誰もいないが、呼び鈴を鳴らして係員を呼べばいいようになっているので、普通の住宅についているような感じでピンポンを押す。すると後ろの母屋(民宿らしいが)からおばさんが出てきた。

「ある意味、親切な掲示だと思うのだが……」

  いきなり「うちのは短いよ。それでもいいですか?」と念を押される。「いい、いい」とオウムのように頷いて大人料金400円を支払う。満足そうに笑みを浮かべたおばさんは「インターネット、見たのかい?」と聞く。60歳代かと思われるおばさん(65歳くらいとのことです)からそんなことを言われるとは! 電脳の普及にびっくりした。
  おばさんは「中は触らないで。外はいくらさわってもいいよ」と、聞き方によってはエッチなことを言う。これは、中=鍾乳洞内部、外=庭に置いてある鍾乳石のことである。
  「鍾乳洞の鍾は“金”偏に“重い”と書くでしょ」と言いながら、「これを持て!」と指差す。洞窟珊瑚だの、小さいイボイボだのいろんな鉱物についての講釈があるのだが、とにかく「真っ白いでしょ」というのをしつこく確認してくる。どうやら“白いこと”に存在意義を感じているようだ。だからこその「白さ抜群」の看板か。

「ちなみに駐車場は5〜6台収容可能だそうだ(無料)」

  そして、いよいよ鍾乳洞の中へ。

  「ネコがおしっこして、階段の周りがくさいのよ。大丈夫?」
  ……大丈夫ではないが、今さらしょうがないです。
  おばさんは金網というかフタというか、鍾乳洞の入り口を覆っていたものをはずす。立って入るのではなく、防空壕のように地下に向けて降りるのだ(いや、私、防空壕に入ったことはないのですが)。

「入ったことないけど、防空壕ってこんな感じだろうなぁ」

  こちらの鍾乳石は水が垂れたのではなく、水が伝わった跡が鍾乳石になったので、まるで血管のように這っている。
  「下から溶けた石灰岩ですよ。うち(に来場するの)は理科の先生が多いのです。そこ、そこに行くと、乳白色となりまーす。よそは遠くから電気で照らしているでしょ。じかに明かりがさしてないでしょ」

「規模は小さいけれど、間近に見ると感動します!」

  それにしても、このおばさんの淀みのない説明がすごい。歩きながら的確にガイドをしてゆく。だが、どうにも説明できない場所に来たり、時間稼ぎをしなくてはいけないとき(水滴が垂れるのを待っているときなど)は、まったく鍾乳洞と関係のない話をしてくれる。
  「テレビは10年くらい、やらないねー」と言うから、テレビや雑誌の取材が嫌いなのかなと思ったが、そうでもないらしい。
  「『東京生活』とか『散歩の達人』が来たよ。昔の雑誌で見たとか、インターネットで見たとかで、たくさんお客さん来るよー。前はKさんが“バスで連れてくるよ”と言ったけど、日原鍾乳洞があるから(小声で)まずいのよ。Kさんは●●に住んでいたけど、亡くなったのよ」
  あのー、いろいろとお話を進められているのですが、私、Kさんって知らないです(笑)。

  そしてまた進むと、ストローのような鍾乳石が登場。これが管状であることを証明するため、中の水滴が滴下する様子を見ろと言う。その間、また世間話。一時、ここを公有化する話があったそうだ。
  「でも知っての通り、お父さんは役場が嫌いでしょ(知りませんってば……)、町の所有にするのはイヤがったのよ。お金くれるといったけど、たった1年間の電気代だけなの。大勢のお客さんが来て、いたずらされるよりいいわよね」
  はい、そうですね。
  「営業中の赤い旗を立てたら『ラーメン屋に見える』って言われたの。お巡りさんが『また、始めたの?』って。ずっとやっているのに」
  それは大変ですね。
  ……私はあまり気が利いたことが言えない。申し訳ない!

「ドライブの途中でこの旗を見たら、必ず寄るように!」

  進路の先に、また違った鍾乳石が現れる。垂れて流れてできたのはオーロラのように見えるし、ジャギーに凸凹になっているところはまるで歯のようだ。ここの鍾乳石は白くて小ぶりだが、本当に美しい。日原は日原で広くて長くてすごいなーと思うが、ビジュアル的には大増鍾乳洞に軍配が上がる。

  ここで突然ですが、おばさんに「なんでも聞いてみよう」ターイム!

  Q「景気はどうですか? 平日でも結構お客さんが来るんでしょうね」
  A「ううん。土・日でもあまり来ないわよ。だからアルバイトに行っているの(なぜか職種は明らかにしてくれない)」
  昭和30年代初頭には全国的に鍾乳洞ブームがあり、現在の温泉堀りブームのように、鍾乳洞を発見して観光資源化する動きが各地であった。しかし今では、鍾乳洞観光は落日なのだ。面白いのになー。
  (たぶん)ディズニーランドよりロハスなんだから、もっとファンが増えればいいと思う。あとは観光洞を「ヒーリング効果」とか「なんとかセラピー」でプロデュースする観光プロデューサーが出ればいいのだ。岩盤浴だって、もとは玉川温泉を手軽に体験したいニーズを健康産業が商業化したものだろう。ラドン浴もそうだ。

  Q「民宿もやられているんですよね。いやぁ、実にすばらしいべランダです。ああいう感じ、大好きです。今日も本当は泊まりたいくらいなんですよ」

「看板を掲げていなければふつうの民家だが、
一度は宿泊してみたい」

  A「今日、お客さんが1人いるけど、(民宿の営業は)ほとんどやっていないの。泊まりたいときは電話で予約してね。(うちの)子ども、夜は強くて朝はなかなか起きないのよ(だから今日は鍾乳洞の案内はおばさんがやっている!?)」

  Q「旦那さんのご商売は何をしていたんですか?」
  A「兄弟4人で河川技師。だからお父さんはスズメバチの巣を取ってきたの(ン? 話の転換が不明だ(笑))」

  Q「なんで鍾乳洞を始めたんですか?」
  A「自分の土地だから裏に庭を造ろうと思ってね。池を掘ろうとしたら石が出てきて、叩いたら空洞が現れたのよ。電気ハンマーとポリバケツ1個持って1人で掘ったのよ。おにぎり片手に持ってね(スゴイ小ぢんまりとした誇張表現だ……)。

「それにしても自宅の裏庭が鍾乳洞とは恐れ入る」

  お父さんは律儀な人だから、昼間はお酒飲まないの。友達が来て飲もうと言ってつき合うけど、自分は決して飲まないの。石垣も自分で積んでしまうし、なんでも自分1人でやってしまって。近所の人からは『人間ブル』と呼ばれていたわ(昭和40年代のプロレスラーのあだ名みたいだな)」

  Q「ここから、上の山のほうに登るようになっている感じなんですが」
  A「昔は散歩道があったのよ。でもお父さんが亡くなってからは荒れてしまって」
  昭和57年に旦那さんが掘り始め、昭和60年に開洞したとのこと。旦那さんは2000年にご逝去された。

  鍾乳洞から出てくると、またエンドレスに庭の棚に行き、事後の説明となる。
  「これがさっき見た石ね。いくらでも触っていいわよ。写真? ここでは自由に撮っていいわ」
  そう言って庭を横切り、民宿に戻ってこれまでの掲載誌を取ってくるおばさん。あれやこれやと見せる。忙しくなかったら、絶対にあと1時間はいられそうだったが、なぜかカップルの客がやってきた。
  そしてすぐにおばさんはわれわれから離れ、
  「うちのは短いよ。いいですか?」と同じセリフを吐く。おそらくこれまでに「えー!これで終わり?」「たいしたことないじゃないか!」などと文句を言われたことがあるのだろう。
ところで、このように狭い鍾乳洞の中には、おばさん以外の客は2人程度しか入れない。そうなると1回の説明が800円。1時間は話すとして、時間給は800円にしかならないではないか。だから、狭いうえに入洞料金ぼったくり!という理屈は成り立たない。
  となると、あとはこの鍾乳洞の短さ・狭さに腹を立てることの是非だが、人間が1人でこの鍾乳洞を40メートルも掘ったことに敬意を表すべきだ。郵便配達夫が作ったシュヴァルの理想宮並みを期待しているのか……。大増鍾乳洞をけなすのは野暮天のきわみ、罵るヤツの了見が「狭い」だろう。

大沢国際マス釣り場で、大漁っ!

  鍾乳洞を堪能したあとはマス釣りに行く。
  「小さい会社なのに社名に「日本○○」ならまだしも「国際」だの「ワールド」と冠しているのはだいたい怪しい業種か、こけ脅しだ。
  「なので私は「国際」というネーミングに異様に反応する。とくに日本中にあるゴルフの国際カントリークラブ、郊外にあるのになんで「国際」なのか。日原街道のバスの中から見たこの「大沢国際マス釣り場」も、その類かと思っていた。国際的なマス釣り大会でも開催されているならいいが、と高をくくっていた。ところがどっこい! ここは本当に国際だったのだ。

「日本全国、数ある“国際○○”のなかでも、ここは本物!?」

  なぜ“国際”なのか?
「国内の管理釣り場の起源は戦後、アメリカ進駐軍のための保養施設としてできたものがスタートである。○○国際マス釣場など、国際と名のつく釣場名が多いのはその名残である。当時の進駐アメリカ人にとってニジマス釣りをとおして家族や仲間とコミュニケーションを取ったり、自家製燻製を作ったりするのが遊びだったようだ」
http://www.kanritsuriba.com/jiten/history.html「管理釣り場の歴史」より)

  「大丹波川国際マス釣り場(奥多摩町)管理釣り場の先駆け的な存在として昭和34年に登場、きっかけは横田基地の米軍が釣りを楽しむ場所として、奥多摩町長のアイデアでした。」
http://outdoor.tachikawaonline.jp/26-otaba-masu.htm

  時期は昭和20年代なのか昭和30年代なのかわからないが、なるほど米軍基地で働く人向けであったら「国際」を冠するのはわかる。
  そして「大沢国際」も、「大丹波川」と同じデザインの看板を立てているので、同じ経営であることも推測でき、大沢もアメリカ軍基地向けだったと見える(裏づけは「奥多摩町史」を読めばわかると思うが、時間がないのであとで調べマス釣り場!)
  ちょっと待て、それならば国際カントリークラブも進駐軍の保養施設としてのゴルフ場が前身なのかも。もし、そうだったらごめんなさい。

  さて、釣りをしよう。
  貸し竿200円、えさ100円(イクラ)での釣堀りだ。渓谷にはお客さんがいっぱいいるが、料金が3000円なのと、ニジマスを10匹貰えるのでパス。アイスボックスを持って車で来ているわけではないから、持ち帰りができない。釣堀のほうは誰も客がいないのでゆっくり釣れる。まずはサンドイッチで腹ごしらえ。
  中はヤマメの池とニジマスの池に分かれている。ヤマメは1匹400円で買い取れ、ニジマスは250円で買い取れる。併設の食堂に50円を支払うと、オバチャンがさばいて塩を振って焼いてくれる。

「子どもや女性向きの釣掘もあり、
家族全員で楽しめるとのこと」

  マスはどんどん釣れて、糸を垂らせばすぐに食いつく状態。でも、これではつまらない……。釣れないのも面白くないが、釣つれすぎるのも興趣が乗らない(いらないので釣ってもリリースする)。一匹、針を相当深く飲み込んでしまったのがいて、どうしても針がはずせない。おーい、オバチャン、針切って新しい貸し竿を持ってきて! マスは血を流し、お尻からは白いものを出してぐったりしてしまった。
  渓谷はあまり釣れないのだろうか? とにかく釣堀は釣れに釣れて、座っている暇もない。釣堀ってこういう感じなのか。子どものころに行った近所のコイの室内釣堀はあまりつれなかったけどなぁ。
  いいかげん飽きてきたので、ワカメの味噌汁(150円)を飲んで帰る。今度は適度に釣れないところに行ってみたいが、釣りに詳しくない。ワカサギドーム釣りをしてみたいのだが……。

  駅までバスで戻り、温泉か風呂屋を探すが無い。氷川キャンプ場まで降りていくと、健康ランドがあったが大行列なのであきらめる。そこで氷川の川原でまた探石。結構いい石が見つけられる穴場であった。私はほんの小石程度のしか拾わない、月刊『小石の友』なのである。
  だけど帰宅すると「なぜこの石を拾ってきたのかー」と、いつも悩むんだよなぁ(笑)。


2009年11月6日更新


第9回 「青梅探石行と日原鍾乳洞」
第8回 「会津若松・野口英世青春通り」の巻 後編
第7回 「会津若松・野口英世青春通り」の巻 前編
第6回 修善寺の昭和レトロな温泉宿の巻
第5回 青梅商店街<その2>の巻
第4回 青梅商店街の巻
第3回 スカラ座閉店愛惜記念「名曲喫茶」の巻
第2回 水戸の駅前商店街漫歩
第1回「牛にひかれて善光寺参り」の巻


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