トランポリン・松岡
第五回「夏は怪談映画、あの映画看板も僕を呼んでいた。』
ここ十年、映画館からも新聞のTV欄からも消えてしまったが、僕が三十歳の頃までは必ず夏になると映画館は勿論、怪談モノがTVでも沢山放送されていた。
TVのそれは、劇場上映された映画であったり有名タレントが演じるTV用映画の怪談シリーズ一時間モノであったりするが、大体は時代劇で、例えば、四谷怪談や牡丹燈籠、番長更屋敷や怪談累ヶ淵等の定番ものは必ず夏のTVで放映されていた。
五十歳を過ぎた今でも怪奇物やアンビリバボー等の不思議体験モノは大好きでよくみる僕であるが、昔から大映や新東宝などの怪談映画が好きで、大学時代も夏休み帰省時の夜はカブに乗って山を越え、大映の映画館でお盆特別怪談映画二本立てを必ずみていた。
現在のように道も舗装されてなく灯りも何もない山道の夜十時、見終ってからの帰り道の怖さに毎回少しビビるのだが、それでもやめられなかった。
帰り道途中には、僕が小学生の頃に首つり自殺が起きた通称芋弱池の淵にある赤松の横を通るし、別にもアイスキャンデー売りの母子三人が池で入水自殺した池もあり、そのデカい赤松の枝の下を通過する時は何となく怖くて見ないようにしながらカブのスピードを上げて走ったものだ。
当時の映画館はどこもそうであったが、入口付近に自転車がズラッと並んでおり、その映画館入口上にかかっていた手書きの肌の色の発色も怪しい大看板は、妙にドロドロと迫力があり怪談ーンと言う感じで怖く、僕など看板を見ただけで映画の雰囲気を吸収。みるゾーッという感じでその気になっていた。
小学校高学年から中学時代は父と映画に行った記憶が多く、それも父の趣味で出かけていたので夏は特に怪談映画を毎年欠かさない親子だった。
今でも覚えているが小学校五年か六年の夏休みの上映映画。海辺の洞窟での殺人事件を描く現代物・怪談海女幽霊と、黒猫玉が殺された主人の血を嘗め化けて復讐する時代劇・怪猫お玉ヶ池の二本立てで、特に怪猫お玉ヶ池は、化け猫になる黒猫玉が可哀想で悲しくて、忘れられない怪談映画である。
映画館に入ってすぐの明るい売店もジュース等自動販売機もカップ入りポプコーン販売もなく、現在の横文字表現の集合映画館のようにシーンとしている中で隣のゴクッと息をのむ音が聞こえる程エチケットに厳しくはなく、どこの映画館にも白い幕の手前は舞台のようなスペースがあって映画上映中も関係なく子供がそこに上り動き回っていたし、田舎の映画館といったこともあったのか飲み物やお菓子は食い放題飲み放題状態。勿論、怪談映画の時などは館内は静かだが、普段は誰から文句が出ることもなくバリボリッゴクンの音の側で僕はよく映画を見ていた。
怪談映画の場合、映画館入口に父と並んで「今日はこれじゃーな」と言いながら見上げる看板でまず一発恐怖パンチを浴び、館内に入るまでに想像して一人で興奮。怖さと期待でテンションは上り、心臓はバクバク状態になっていた僕である。
ギーッ、バタンと音のするドアと重い暗幕を潜る感じで一歩入ると、木製の観客席が並ぶ暗い館内すぐ左奥におばさん一人で売る売店コーナーがあって、ラムネやキツネ色のバサバサした甘いノシイカ、白い棒付きアイスキャンデーなどを売っていた。上映が始まってもそこだけは小さな薄い灯りがついていて、子供は特に席と売店を通いながら映画を楽しんだのだ。
その怪猫お玉ヶ池が始まってすぐに、お金を持ってラムネか何か買うために僕が画面を背にして立ち上がり五歩程歩いた瞬間、例のグビョーンと言う感じの出るゾーッといった音が響いて周囲のウアワー叫びに、思わず金縛り状態で全身硬直。放心状態的に手を握っていた小銭を通路にぼろぼろバラまき父にひどく怒られたことがあった。
怪猫お玉ヶ池は、四谷怪談等の怪談モノ特集記事などで現在でもタイトルを見かけることがあり、その出来事が思い出され僕には凄く懐かしい。
本当にあった怖い話、世にも不思議な物語といったタイトルの最近の恐怖モノは、昔の怪談映画とは全く異質な感じでサイコスリラー的に異常にドロドロギュルギュルしたものか、マイケルジャクソンの最後に眼が光るスリラーの映像のように決着つかずで終わる番組が多く、単純ストレートにスコーンとアッサリ恐いあの恐怖のミイラ的な映画も時代劇もなくなってしまった。
僕がみていた頃の怪談映画は、ストーリーも単純で怖くて、正義は勝つという結末が凄く良かった。
と言うのは、化け物が出ても人間的な描き方で表現されていたのだ。例えば、怪猫お玉が池。始まりのシーンで、若いカップルが道に迷い何度道を変えても古い朽ち果てた屋敷跡の同じ場所に出てしまう。
人が住んでいるかも知れないと入った屋敷の玄関・上り縁というか女性が座ったすぐ後ろの戸がスーッと音もなく開き、白装束の顔が焼けただれた老女が(黒猫玉が化けた姿)座っている瞬間、視聴率三十二%ではないが、僕などウヒーッの感じで小便を漏らしそうになったくらいの何なの何なのヨと言う恐怖騒ぎで映画は始まる。
出だしから確かに超怖いのだが、ところが映画一本を通してみるとそこには正義や悲恋・愛情や同情といった人間的な部分が内在しており、主人を殺されその復讐をする黒猫の玉は、仇の殿様や殿様を守る周辺の者は襲い傷つけるが、あの大ヒット恐怖映画リングの貞子のような、偶然ビデオを見た者を無差別に呪い救いのない逃げられない死に巻き込む行動はない。
昔の怪談物は仇や裏切りに対して復讐する話が普通で、最後のチャンチャンバラバラの山場を見る頃には怖いはずの化け猫の玉を応援するくらいの気分になっているのだ。
怪談モノがTVでも好評な頃は、例えば、四谷怪談・耳なし芳市・番長皿屋敷と言ったような人気怪談モノが五夜連続で放映される怪談映画三昧の大満足一週間があったり、毎週水曜の夜九時から一時間といった感じで週に一度の怪談劇場的番組が七月中旬から八月にかけて期間限定であったり、怪談映画堪能月間的で凄く良かった。
現在は、僕がみたあの頃のような怪談映画はTVから姿を消してしまい、一山越えた市内の狭い繁華街周辺になった大映や衆楽館、太陽館といった懐かしい映画館もいつの間にかなくなり、僕のあの時代にはなかったコンパクトな映画館がスーパーの最上階の片側に残っているが、そこに僕の思い出はない。
僕のあの時代は懐かしく、ちょっとシネマパラダイスぽい感じがある。
田舎のドロ道が午後の真上からの太陽で真っ白に見える夏になると、池で泳ぐ僕たち小学生目当てにバス停前のタバコ屋大賀商店が十五円のかき氷を始め、一山越えた向こうの映画館のお盆特別怪談映画上映看板が、僕と父を呼んでいた。
2002年8月6日更新
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