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「プラモ線の旅」タイトル

今柊二

「宇宙戦艦ヤマトとウオーターラインシリーズその3」


今氏自画像 さて、ウォーターラインシリーズのウォーターラインとは、艦船の吃水線のことで、その吃水線以下の部分はカットして洋上に浮かぶ船体だけをモデル化したのが、このシリーズだった。このシリーズがユニークなのは、単独の模型会社、一社だけで行われたのではなく、静岡の模型メーカー4社(青島文化社、田宮模型、長谷川製作所、フジミ)の共同企画であったことだ。もともとはこれら4社が欧米の視察旅行の際に、ヨーロッパの歴史博物館でウォーターラインの模型を使って、歴史上有名な海戦シーンを再現しているのを見たのがきっかけだという。4社共同の方が開発のピッチも早まり、シリーズ化のメリットが強いということになり、各社がどの艦種を作るかは一種のドラフト制で決めたとのことだった。また、シリーズのテーマは日本の連合艦隊で、戦艦、航空母艦、重巡洋艦、軽巡洋艦、駆逐艦、潜水艦などとあらゆる艦船種を網羅することとした。かくして最初のウォーターラインシリーズは1971年に発売された。ちなみに最初の艦船は「妙高(長谷川)」、「高雄(青島)」、「鈴谷(田宮)」、「利根(フジミ)」だった。

ワールドタンクミュージアム
「ついにゲットした
ワールドタンクミュージアム。
戦艦版も出してほしい」

 つまり小学2年生の私が買いはじめた1975年は、既に発売から4年が経過していたことになる。実はこの頃には日本の主力艦船はほぼ発売されており、外国の主要艦船の発売に移行しつつある時期であった。シリーズスタートの段階では、毎月各社から一隻ずつ計四隻が発売されており、大変な勢いだったらしく、当時のユーザーは集めるのでヒーヒー言っていたらしい。それが1975年には勢いは止まりつつあったわけだが、反面新製品を追っかけるのではなく、じっくりと自分のペースで集めることができるというメリットがある。多分、現在、マスターグレードのガンプラを集めている子供達が同じような心境だったのだろう。
 さて、駆逐艦「島風」で味を占めた私は、今度はさらに小遣いを貯めて、大型艦船を買うことにした。それはやはり大和に近い形の重巡洋艦の「最上」であった。買った当時は400円だったと思う。何しろ、この最上は武装が実に素晴らしく、多くの機銃と高射砲が備わっており、さらにスペシャルなことには、艦船の後半が空母のような甲板状態になっている航空巡洋艦に改造できるようにパーツがついていることだった。つくるときに少し悩んだが、結局甲板をつけて航空巡洋艦にした。できあがったところ、実にカッコイイ。戦艦の強さと空母の機能を両方備えているなんて! 「島風」のときよりは慎重につくったため、接着剤のはみ出しも少なく、出来上がりも我ながらきれいだった。しかし何かが物足りなかった。そうだ。私は連合艦隊を求めていたのではなく、「宇宙戦艦」を求めていたのだった!そのことに気がついた私は、「最上」を「宇宙戦艦」にしなければいけなかった。そのためにはロケットエンジンを噴出する装置を考えねば。ふと見ると、「最上」の部品が余っていた。それは航空巡洋艦にしたため使わなかった後部の四番と五番砲塔だった。私はこれを船体後方の両側面に接着剤でひっつけた。すると、見事に「宇宙戦艦最上」が完成したのだった。つまり、両脇につけた砲塔が噴出装置になっているというマイ設定だ(笑)。自分では素晴らしく納得したのだが、小学2年生ながらこれを人に見せる勇気はなく、友人が遊びに来てもひそかに机のなかに閉まっておいた。一方、実在した連合艦隊の素晴らしさに次第にひきつけられ、以降、ウォーターラインシリーズを次々とコレクションしていくことになる。
  しかしながら、「宇宙戦艦」の夢は消えたわけではなく、数年後に再び盛り上がることとなつたのであった。(続く)


2002年8月1日更新
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