第11回 「超大作! 吉見百穴と小江戸・川越の旅」
天気がいいし、股関節が痛いのも弱まったので、散歩して足を鍛えようと思った。急に思い立ってでかけるとろくなことはないが、せっかくのいい天気の日に家でごろごろしていると自分がとても不幸な青年になった気持になってくる。 しかし、この間まで激痛が走っていたからいきなり登山はできないし、高尾山くらいでも辛いかもしれない。遭難してしまったら大変である。 そこで、大宮から近くてものすごい低い山はないかと探してみた。 埼玉の比企にある「吉見百穴」(ひゃくあな)というのがあった。ひゃっけつと読むのかと思っていたので、読み方が是正されただけで得した気持ちになる。
山頂には売店もあるようだからそこそこの人気があるのだろう。あまり人がいてもイヤだが、まったく人がいかない観光地はそれなりの理由があるからガッカリするだろう。ここは山を登るのが目的ではなく穴をみる観光地であるからちょうどいいかもしれない。 さっそく行きかたをグーグルで調べると、鴻巣駅からバスだというから気が楽になった。私が住む大宮から鴻巣まではすぐである(漢語でいうと「指呼の間」であるが、そんな風にいって意味が通じないのは、書いていないと同じことだと思うからなるべく気取らずに文章を書こうといつも思っている)
車がないから、歩きと電車・バスしか手だてがない(私は運転免許がない。理由は鼻持ちならないので書かない)。手ぬぐいとおにぎりをリュックに詰めて家を出る。観光地のはんこを押印するメモ手帳の空きがなくなっていたので駅の無印良品に寄り、メモノート、ジャムクラッカーサンド、ミルクパンを買う。ジャムのサンドなどを買ったのは、疲れて甘いものを欲したときの用心と、遭難した場合の備えである。どんなところかわからないので、常に非常食と飲料水、傘を持つのは大事なことだ。 検索結果から田端さんが「まぼろしチャンネル」で「吉見百穴」のおみやげのことも書いていたことも出てくる。ああ、そういえばそうだったなあ。さすがと思う。Bスポとしても期待は高まってきた。
鴻巣駅の改札を抜けると、いきなりうどんのにおいに包まれた。うどん屋の年配の客がうどんのどんぶりを持って、駅のなかに座っている。階段を右手に降り、バス乗り場を探す。この地には免許センターがあるようで、タクシーがいっぱい止まり、ひっきりなしに免許センター行きのバスがきて若者を飲み込んでいく。 だが私が乗りたい「東松山駅」行きバスは一時間に1〜2本しかない。次まで時間があるので、そこらへんを歩く。青い地番表記板に「本町」と書いてあるので、多分このあたりがメインの商店街だと思う。蚕の道具を売っている店とかこんにゃく屋さんとかがある。会津若松駅前を小さくしたような感じの郊外駅である。再開発するようで、けっこう駅前の土地が更地になっていたのは残念だが、地元にはよいことなのだろう。
JRの駅は同じような顔をしている。都会の駅はペディストリアンデッキでビルと駅が結ばれ、下はタクシーとバス乗り場になっている。郊外の駅は、タクシーがいるくらいで何もない。ちょっと歩いて商店街を発見するとうれしい。 その点、私鉄の駅はより、生活と結びついている感じで(というか高架でなかったりするからだろう)各駅の表情がいろいろ違う。あとで触れるが東松山駅などは、昔みたようなバスの車庫があったり、目の前に大鳥居があったり、降りて鑑賞しがいのある駅前であった。
鴻巣駅周辺には昔からやっているような感じのよさそうな喫茶店も特に見当たらないので、古本屋に入った。残念だが漫画と新刊の読み古ししかない店で、時間がつぶせず困った。どこかから開店用セットでも買ってきて店を開いた感じで、蔵書の質に奥行きがないのである。
バスは延々と田んぼの中を400円分くらい走って「百穴入口」に到着した。運賃が200円くらいを超えるとドキドキしてくるが、300円を超えるともうどうでもよくなる。1000円超えたら「5000円だよ」といわれても納得してしまうかもしれない。なにしろ俺はいつも5000円のバスカードとパスネットカードを持っているのだ。もちろん会社の金で買ったものだよ。
鴻巣駅を5分くらい離れると田んぼだらけで里山歩きという感じだ(ハイキングコースにもなっている)。バス停を降りてもすぐにどこが百穴なのかはわからない。
しかし、どう考えても平野ではなく、山のあるほうに行くしかないと悟り、適当に歩くと市野川沿いに十穴くらい掘ってあるのが見えた。しかも「温泉」という看板まである。ガードレールには「アゲオノポリコウブッコロス」(意訳:私は埼玉県上尾市の警察官を殺してやりたい)という電報のようなカタカナ落書きがあった。
「岩窟ホテル発掘の家 岩窟売店」という、狂おしいほどすばらしいネーミングのお土産屋が眼に入ったが、シャッターが閉まっている。ずっとやっていないのか、今日はやっていないかわからないが人は住んでいる気配がある。
その店の対面に「岩室観音堂」があるので階段を登ってみた。四国八十八ヵ所を巡礼したのと同じことになるという石仏が並んでいる。そんなにお手軽に同じ効果があったら「歩き遍路」の人がビックリするか「ずるーいい」と抗議すると思う。 お寺の先にも登山道のようなものが切ってあるが、そっちは百穴とは関係ないので行かない。なぜならでかい蜂が羽を鳴らして飛んできたからだ。蜂はきらいだ。
近くに、敷地に円形回転遊具があり、山肌を掘ってベランダをつけたようなものがあったから、これが噂の人工名所「岩窟ホテル」かと思った。47歳の農業・高橋峰吉さん(一瞬、タカジアスターゼをみつけた高峰譲吉さんと勘違いしたよ)が明治37年から大正14年にかけて掘ったという。一代では掘り切れないということで、実子が亡くなったあとは養子をとって備えたらしい。養子になったひとはすごい根性だ。 私は資料の書籍を見ていないで書いているため、ホテルとして作られたかどうかは、はっきりしないらしいとしかいえない。あるサイトによると近所のひとが「今日も、あの人、岩窟ホッテルよ」といったからだというが、ほんとかよ、松尾加代……。 貯蔵庫として作ったといっているサイトもあるし、中に入ったことがある人の体験ではテーブルや調度品もあったともいっている。閉鎖したのは昭和62年の台風で内部が崩落して危険だということが理由だ。 このお休み処は営業していることは事実らしく、開店しているときに話を聞きにいったかたは、家人にこんなことをいわれたそうだ。 「閉鎖後、しばらくの間は依頼者がいると、中を見せたりしたこともあったそうだが、最近はマスコミ等の内部見学依頼を全て断っている。所有者である自分たちも最近は中に入ったことはない。」
左手に折れるとうどん屋と百穴の入場券売り場が見える。ああ、うどん屋があったのか。しまった、大宮ルミネで、小さいクセに馬鹿高い値段のおにぎりを買ってきてしまったではないか。入場料は300円であった。ネットの情報で150円かと思っていたので急に2倍になって、とても損した気持ちになってなんだかイヤンになったが、私はそんなことで引き返すような尻の穴が小さい人間ではない。むしろ尻の穴は内視鏡のやりすぎで普通の方より大きいはずである。
入場するとまたもお土産屋が2軒。これは開いていた。
みやげ物屋には「ときめきセレナちゃん」(タカラのリカちゃん人形のような着せ替えドール。高知県出身と名乗っている)とか、ジャニーズ系の「Y・ヤマグチ」という人のキーホルダーなど、古いデッドストックなんだけど、デッドストックを探している人でもさすがに買わないで置いていったような玩具などがある。もちろん、ひょうたんを覗くと仏像がみえるようなキーホルダーや昔の観光みやげもある。
昔、『日本誕生』という映画のロケで吉見百穴が使われたとのことで、写真が店内に貼ってあった(「2ちゃんねる」の吉見百穴板では、『宇宙刑事ギャバン』『ジャイアント・ロボ』の撮影も行われたとの情報あり)。
ちかくの製菓所で作りたての「五家宝」があっタカラ(ここ、わかりにくい洒落ですから笑わないで結構)、500円で購入。五家宝のおにぎりというのもあったが買わず。埼玉銘菓「五家宝」って非常にうまい。「ういろう」とか「ゆべし」などネチャ系の和菓子が好きなひとにはお勧め。
そろそろ読むほうも大変になってきただろうが、なに、書くほうはいろんな資料を確認しながら、記憶を頼りに書いているのだから、それに免じて読んでおくれ。
さて、中央通路を通って百穴に上る。階段で数十メートル。息が切れない程度の低い山頂へ。ながめは結構いい。売店はあったがシャッターが降りている。ベンチに座って、おかか(おかかというは「かつをぶし」のことです)と梅のおにぎりを食べる。
下って、軍需工場として使われていた穴や、天然記念物の「ひかりごけ」のある大きな穴に入る。外はそうとう暑かったのだが、穴のなかは涼しい。昨日降った雨の影響で足元がぬかるんでいるが、ネトネトする粘土質だった。写真を撮るが、よく考えたら穴は埋葬の墓場だったわけで心霊写真が撮れそうでこわい気もする。
しかし作られたのが古墳時代とあまりにも古すぎる年代だから、死んだ人は神様になっているはずなので気をとりなおす。昭和の幽霊はこわいが、縄文人の幽霊はそうでもないだろう。
ひかりごけはあまり光っているようには見えなかった。ひかりごけといったら武田泰淳の小説の題名にあった気がする。人肉食いの小説。暗い穴を歩きながら「なぜ木工用ボンドの容器は黄色いのか。木と黄の洒落かな」などとまったく穴と関係ないことを考えたりする。サンカの人も住んでいたという穴だが、冬はそうとう寒かったのではないか。
吉見百穴からはバスで鴻巣に戻るのと、東武東上線の「東松山」に戻るのと、2つ選択肢がある。東松山までバスで10分もかからないようなので、「東松山」まで歩くことにする。知らない町を歩くと看板とか店の名前が楽しい。「とうふ居酒屋 陣屋」は豆腐料理を全部看板に書いているし。
あ、思い出した。「東松山遊園地」という家族が経営するゴーカード場もあるんだっけか、あれ、それは廃墟になっているんだわ。いまから藪こいで廃墟探索はチトつらいからだめだな。そこらにかかっているブリキの広告つき住宅地図をみると釣堀があるようだが、足もそろそろ疲れてきたので、はよう電車に乗りたい。
東松山市はすばらしい駅である。奥にバスの車庫がある、静かなバス乗り場だ。大宮駅や柏駅や川越駅なんかはペデスドリアンデッキの下をタクシーやバスが回遊魚のように右往左往しているが、ここではそんなことがない。
バス停留場のポールのもとに乗客は集う。空を見上げりゃ雨が降る。数歩歩いて左に曲がれば商店街がある。大宮だとそうはいかない。駅がでかいから結局、高島屋だの南銀座に行くまで結構時間がかかるのだ。駅のホームに電車がついて、階段登って降りて駅からでるまで、まず5分はかかる。
そして東松山駅前にはドーンと大きな鳥居があるのだ。くぐるとかくぐらないとかの問題ではない。その下を通らなければ通行できない。
そういえば高校2年くらいのとき、生まれて初めてデートした相手が東松山に住んでいたのだが(文通相手)、ここから上野動物園に来るのは大変だっただろうな。
さあ、読んでる人はだいぶ飽きてきただろうが俺は元気だよ。私もこんなにいっぱい書くとは思っていなかった。まぼろしチャンネルの「おじ散歩」に投稿しようっと! あんまり面白い事件が起こらなくて申し訳ない。
さて電車に乗って、次は川越で途中下車だ。 だが、俺は6年も埼玉に住んでいて、ちっとも電車がわからない。レトロな川越の町とか菓子屋横丁に行くには、川越市駅で降りたほうがよかったのに、川越駅まで行ってしまった。しかしいつも5000円のバスカードを持っているのでいくらでもバスに乗ることができる。川越駅から菓子屋横丁のほうへ川越市駅を通って、東武バスに乗り込む。
さすがは小江戸というだけあって町並みがレトロ。
作られたレトロと天然のレトロが共存している感じだ。菓子屋横丁では「糸ひき飴」という、タコ糸のさきに三角錐のいちご飴がついているものを箱ごと買いたかったのだが、待てよとやめる。問屋さんで買えばもっと安いという感覚がある。しかしすごい人出だなあ。この半分でも青梅にあればいいのに……。
古い建物に囲まれて歩く。いまのところ趣味として江戸時代はどうでもいいが、昭和のたたずまいが残る商店には惹かれる。そんな散歩をしながら、写真を撮らなくてはと思うが、仕事ではないのでメンドウくさい。
途中で、 「シューマイ定食 650円 もつに定食 650円 ナットのり定食 550円 玉子焼き定食 650円 ウインナー定食 650円 ニラ炒め定食 650円 エビ定食 650円」
といういまどき珍しい和風定食中心の食堂を発見した。全部650円にしたかったみたいだけど、さすがにエビ定食と納豆・海苔定食が同じなのはまずいと思ったのか100円下げている。ああ、赤くて体に悪そうなイメージのあるウインナーが食いたい。ソーセージ炒め定食もつくってもらいたい。
もっと駅に近づくと、奇人研究会の今さんがよろこびそうな物件があった。 「とうぶんの間、警察官の来訪はお断り」 「天下無敵 警察官僚天下一品 川越警察」 のほか無数の張り紙が貼られた、しもた屋がある。なんの商売をしていたのだろう。自転車が置いてあるから人は住んでいるようだ。かすかに入り口に隙間があるのが、暗闇の奥からじっと監視されているようで不気味。
なんだか警察に異心をいだくひとばかり見たような一日の締めだった。 暑いので夕飯に川越駅の食堂で「そうめん」を食べたら氷が大量に入っていたので腹が冷えてしまった。俺の体は熱伝導がよすぎるよなあ。サミー、サミィ。
2010年1月22日更新
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