串間努
第2回「落とし穴と犬のフン」の巻
「落とし穴」というとボクは「二十四の瞳」のワンシーンを思い出す。海岸で子どもたちが掘った落とし穴に落ちてケガをしてしまう高峰秀子。あのとき子どもたちはどんな風に作っていたんだっけ? ボクらのところでは新聞かみを使っていたのだ。まず、穴を掘る。関東ローム層というのか、千葉の土地は柔らかいので、大抵は手で掘るのだ。いや違うな。最初は、地面に釘で円を書き、その中を板やトタンなど固いものを使って、こじるのだ。だんだん掘ってくると土が水気を含んだものに変わるので、手で掻き出せる。ほとんど土や木の根っこだが、たまにミミズや黒い虫をつかんだりして、なかなか気味が悪いもんだ。ある程度掘れると、次に穴の中に何かを置く。これは落ちた人が触れるといやなものを置く。落とし穴に落ちるだけでも災難なのに、さらに底に悪意が閉じ込められているのである。だいたい、犬のウンコとかミミズ10匹とかである。どぶの泥という日もあった。当時、犬のウンコはそこらじゅうに落ちていて、キンバエがブンブンたかっていた。簡単に調達できたのである。いまでは「犬フンさせたら罰金2万円」とか書いてあって、犬の糞を処理しないものは愛犬家の風上にも風下にも置けないという風潮がある。だが、昭和40年代までは、そんなケツの穴の小さいことをいう人はいなかった。みんな黙って犬のウンコを右足でフンで、靴のウラを地面に擦りつけながら歩いていたものだった。ボクはいつも「もっと下を向いて歩かにゃ駄目じゃないか!」と親に注意されるほど、犬のウンコを踏んでいた。登校途中で踏むと、たいてい「やーい、ウンコ踏んだ、ウンコ踏み〜」とはやしたてられるものだが、しょっちゅう踏んでいると「大丈夫かあ」と同情されるようになる。だから免疫があるのか、犬のウンコを踏んだくらいでぎゃーぎゃー騒ぐ人の気がしれない。犬だって、したあとに土をかけたいのは山々だが、人間がアスファルトにしてしまったのではないか。
ついでにいうと、いまのボクはよくチューインガムを踏んでいます。
話がずれた。穴のなかに意地悪を置いて、あとはフタをするだけだ。木の枝の乾燥したのをそこらへんから拾ってきて、穴の上に橋渡す。たてよこ井桁のかたちに橋渡す。そうして枝で荒く編んだ上に新聞紙を乗せる。新聞かみがないときは大きな葉っぱをひろってくる。新聞かみや葉の上から土をかけて、回りの地面と同化させたら完了だ。あとはターゲットをそこに誘導すればよい。
落とし穴で一番問題なのが、このターゲット探しなのだ。たまたま落とし穴製作に加わっていない、いつも遊ぶ友人が帰ってきたなどのシチュエーションになればいいが、そんなにうまくことは運ばない。しょうがないから学校の友人などを調達してくる。
「な、ちっと俺んち来ない?」
「え、なんで」
「いいから、いいから。いいもん見せてやるよ」
「何?」
(いちいちウルセイんだよ黙ってこいよ!)
「来ればわかるよ」
「えー。でも〜」
などとポン引きのように、強引に拉致してくるのだ。落とし穴に陥れたいという野望に凝り固まっているので、あせってしまい、挙動不審を見抜かれるときもある。
で、なんとかうまくおびきよせて落とし穴に落とす。作った以上は必ず落とす。そのままだと自分が落ちる可能性がある。
だが、落ちたあとの反応は、
・怒るもの
・泣き出すもの
・黙ってうなだれてトボトボ帰るもの
という感じで非常に後味が悪い。笑ったり、「よくやった」とねぎらってくれる奴はいない。
「落とし穴」遊びなどという、双方が感じ悪くなる遊びは滅多にない。努力が自分にさえ評価されない遊びである。
まったく、救えませんな。
●書きおろし
2002年6月17日更新
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(次回は竹鉄砲を作るの巻)
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