第28回「昔のほうがお正月は楽しかった」の巻
「子どもにとっての正月は、お年玉に尽きる!」
旧聞に属する話題で恐縮だが、最近のお正月はレジャーランドを中心に「カウントダウン」イベントが盛大に行われている。だが、カップルを対象にしたロマンチックなものとしか思えない……。 昭和50年代までは、正月には母方や父方の実家に兄弟が集まる習慣があって、お年玉をもらうのが楽しみだった子どもも多いだろう。少子化、核家族化、独身男女の増加で、家族・親戚そろってお正月を楽しむという雰囲気が少なくなったせいか、新年を迎えた区切りとしてのお正月気分はテレビのお笑い番組と駅伝などのお正月の高視聴率番組によって命脈をたもっている気がする。
昔のお正月には死語がいっぱいだ。特に遊びのなかに多い。なぜかお正月だけにしかやらない子ども遊びがあった。12月になると駄菓子屋には子ども用廉価版の【やっこ凧】や【木のコマ】が並び、ビー玉、メンコ、ベーゴマ遊びから、だんだんと冬季の遊びのほうにシフトしていった。
「色とりどりのビー玉に心がくすぐられる!」
さすがに【羽根突き】で失敗すると顔に墨が描かれるというマンガのような罰はやらなかったが「カーン、コーン」とムクロジの実を打ち合う音があちこちで響いていたものだ。 どこかで聞いた話だが、西洋のテニスは相手の虚をついて失点を狙うものだが、羽根突きは“なるべく相手の打ちやすいところに打ってあげる”という日本人の優しさが感じられる遊びだということだ。確かに羽根突きで思い切りスマッシュをするような野暮はいなかった。 夜の室内遊びでは【坊主めくり】、【花札】などをおとなたちがやっていて、子どもたちは任天堂の【モナコルーレット】でチップを奪い合った。「Tの字」型の棒で外れたチップをかき集める動作にしびれていた。
「坊主の左隣りには、かわいい姫が! う〜む」
「る」の読み札が苦しい【小出信宏社のカルタ】や、パチモンヒーローが描かれた【紙製のすごろく】【福笑い】などをやっていた。すごろくは近所の文房具屋でできあいのものを売っていて、裏側が福笑いになっていた。 サイコロは紙を切り抜いて組み立てるものだったから、特定の目しかでないこともあった。そこで登場するのが明治製菓の「サイコロキャラメル」だった。本物の「サイコロ」を子どもたちはどこで買ってよいのかわからなかったし、親も知らなかった。
「早く寝なさい」と日ごろ親から強くいわれていたちびっ子たちには、大晦日は特別な日。午前0時の除夜の鐘を聞いてから寝ることが許されている家は多かっただろう。紅白歌合戦を観たあと、なんとか私は近所の寺の鐘を聞くために「眠るまい」と頑張っていたが、さすがに小学生には0時過ぎまで起きていることは難しく、108の鐘の音を全部聞いたことはない。
「年が明けるまであと5分……。ああ、眠たい、眠たい……」
気がつけばすでに元旦、雑煮とおせち料理のにおいに部屋は包まれ、心は次の楽しみのお年玉や年賀状に飛んでいるのであった。
2010年2月18日更新
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