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日曜研究家串間努

第22回 「トンボ蛍光ペン」開発物語


「文具店の店先は筆記用具であふれかえっているぞ!」

  トンボの蛍光暗記ペンは画期的だった。
  それまで、教科書の大切な箇所には赤鉛筆で線を引いていたのに、なんと文字が浮き上がって見えるペンが登場したのだ。小学6年のときだ。
  やったー。
  スゴーイ!
  そんな歓声に包まれ、蛍光ペンは私らの小学校の中にたちまち広がっていった。コーフンするみんなが浮き立つ中で、一人沈んでいたのが私だった。私は蛍光ペン買ってもらえなかった。
  なぜなら……。蛍光ペンで塗らなくても、教科書を一度読んでしまえば、すぐに頭の中に入ってしまう頭脳を持っていたからだ。ワハハ! これでは暗記ペンの出番がない。
  ……というのは大ウソで、ホントは親に「そんなものいらない!」と言われて買ってもらえなかったのだ(トンボ鉛筆さんゴメン)。たった70円だというのに。当時は石油ショックだったから、「無駄づかいはだめ!」というのだ(またまたゴメン)。何色も揃えていた友だちが羨ましかったが、黄色と青以外にそんなに意味があるのか!?
  仕方がない、借りるか。私は、蛍光ペンを持っているヤツのところに行っては、「ねえねえ、どこが重要だったっけ?」とトボケながら、ちょいと拝借して黄色く塗った。

「どの蛍光ペンも『オレを使ってくれ!』と自己主張(笑)。」

  現在あるような蛍光色のペンを、勉強の暗記用ペンとして売り出したのは昭和49年。トンボ鉛筆「蛍光ラインマーカー暗記ペン70円」だ。
  浮かび上がる文字。3通りの線幅が引けるという特徴があった。それまでは、勉強しているときに重要な場所にしるしをつけるには「赤鉛筆」があった。サインペンのインクを薄めたような無蛍光の「暗記ペン」もあったが、これは売れなかったという。
  ここで、文房具の業界紙を調べてみると、以下のような先駆的商品があった。
  昭和42年2月:モリソン万年筆株式会社「ハイライナー(蛍光ペン/4色、各50円)」発売
  昭和43年10月:パイロット万年筆株式会社「パイロットネオンマーカー(蛍光ペン/6色600円)」発売
昭和47年10月:ロイド産業株式会社「蛍光色マーカーペン ロイド・アートマーカー(速乾性フェルトペン、5色セット/400円)」発売

  あるとき、トンボの技術者がドイツから光るインクを持ち帰った。そしてこれを、売れ行きが良くない「暗記ペン」に入れてみた(※1)。
  「サンプルを社内に配ったら、こりゃ目に悪いとか言われまして……。当時はこんなに光るインクがなかったものですからね(笑)」(トンボ鉛筆)。
  しかしW企画部長という人が「もしかしたら売れるかもしれませんよ」と目をつけ、サンプルを家に持ち帰った。そして自分の息子に「使ってみたら?」と持たせたところ、クラスのみんなに「どこで売っているの」と大評判となった。
  しかもW部長が家に帰ると、自分の家の周りに子どもらが群れをなしてワーワー取り囲んでいるではないか! 「そのペンをちょうだーい!」と大変な騒ぎだったという。
  この話に力を得て、トンボ鉛筆は蛍光暗記ペンを発売することになり、口コミでアッという間に広まって大ブームとなったのだ。

「目がくらむほどの種類の多さ。どれもこれも欲しい!」

  では、なぜ「蛍光ペン」は光るのか?

  これは外から入った光がノートから反射するとき、入った光より「励起」する物質、「ピラニン」がインキの中に入っているからだ。「励起」というのはより強くなるという意味だ。でも、こんなことはテストに絶対出ないから「暗記」しなくていいぞ。
  実は私はあとで、一度だけ買ってもらったことがある。うれしくて塗りまくったから、インキが無くなって色が出なくなった。先っぽにツバをつけたりしたが元に戻らない。仕方ないからなんとなくフタをカジカジとかじっていたら、はずみでスッポーン! とフタがどこかへ飛んで行ってしまった。悲しいぞ。
  で、暗記ペンで一番売れたのは黄色だという。

「蛍光ペンの王道は、やっぱり黄色なのだ!」

  そういや、小学1年生のとき、雨の日にかぶせるランドセルカバーは黄色かった。また、通学時の交通事故防止のための帽子も黄色く塗られていた。6年生のときは黄色い蛍光ペン大流行……。そうか、「黄色」は私らの小学生カラーだったんだ!

  (※1)これはおそらく「スタビロ ボス」(昭和46年頃発売)という蛍光マーカーに関わるものであろう。スタビロ社のホームページには下記のようにある。
  「発売以来、ヨーロッパでロングセラーを続ける蛍光マーカー。Gunter Schwanhausserが1971年にUSAを訪れた際、学生が教科書の文章を塗って目立たせていたのを目にし、蛍光ペンを思いついた。
  既に当時のアメリカでは、文章をペンで塗る事が広まっていたそう。そのアメリカのペンの質は大変悪く、ドイツへ帰ってその欠点を改善し、BOSSが完成しました。Gunter Schwanhausserは、蛍光ペンを作るときに『持ちやすいことが大前提だが、見た目が面白くなければならない』と考えた。
  信頼できる商品デザイナーを集めて試しに作ってみたものの、円柱状でなんとなく満足できなかった。そこでデザイナーの1人が、その円柱を手のひらでたたいて伸ばしてみたのが、BOSSの形の原型。」
  http://www.stabilo.jp/products/boss.html

  ★番外編「まぼろしch」編集部いちおし!

「文具撮影でお世話になっている信誠堂さんが、オリジナルバインダーを発売。使いやすいっす!」

文具の撮影協力:
神田神保町「文房具と事務機のスーパーストア」(株)信誠堂さん


2010年2月10日更新


第22回「トンボ蛍光ペン」開発物語
第21回「ポスト・イット」の巻
第20回「サクラマット水彩」の巻
第19回「ヤマトのりが手につくとぬぐいたくなる」の巻
第18回「進化するホッチキス」の巻
第17回「学習帳と自由帳はいつからあったか」の巻
第16回「修整液ミスノン」のガンジーさんの巻
第15回「休み時間の鉛筆削り」の巻
第14回「LSIゲームの悲哀」の巻
第13回「ガチャガチャ」は素敵なインチキ兄貴だの巻
第12回「ニセモノのおもちゃ」の巻
第11回「仮面ライダー変身ベルト」の巻
第10回「アメリカのことは『人生ゲーム』で教わった」の巻
第9回「笑い袋」の巻
第8回「バスと電車の車掌さん」の巻
第7回「「家庭盤」ってあったよね」の巻
第6回「ヨーヨー」の巻
第5回「ママレンジ」の巻
第4回「ルービックキューブ」の巻
第3回「ガチャガチャ」の巻
第2回「軍人将棋は20世紀のリリック」の巻
第1回「昆虫採集セットはなんでなくなったんでしょ」の巻


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