串間努
第2回「私設郵便屋」の巻
構造改革ということで、小泉首相が郵政事業の公社化、民営化を実行しようとしております。ところが民間業者のなかで郵便事業参入の最右翼と目されていたヤマト運輸さんが尻に帆をかけて逃げていってしまったのは、つい先週のことでございました。
郵便法によって、わたくしども民間のものは信書を配達できません。「信書」というのは広辞苑によれば、
「特定の人が特定の人に意思などを通ずる文書」ですが、郵便法では信書の定義が明確に示されてはおりません。そのため銀行のキャッシュカードや地域振興券を宅配業者が送付してよいものかどうかの論議が起きたりしました。
とにかく郵便は国家の独占事業で、郵便法は、
「何人も、郵便の業務を業とし、又、国の行う郵便の業務に従事する場合を除いて、郵便の業務に従事してはならない」
「何人も、他人の信書の送達を業としてはならない」と決めております。配達を頼んだひとも罰せられます。
ところが、終戦直後のころは、私設郵便屋という職業が現れて、信書を運んでいたのでございます。もちろん脱法行為です。
こんなことが起こったのは、つぎのようなわけでございます。
戦時中から戦後の混乱期にかけて、郵便事業の機能は低下しておりました。速達だって早くとどきません。東京から大阪に出した郵便もいつ届くかどうかわかりませんでした。郵便があてにできない。それなら時間と費用をかけて汽車でとどけたほうが能率的だという逆転現象も起きていました。
先程のべたように、郵便法で国家以外のものが他人の信書を配達するのは禁じられています。しかし、会社が商用の通信や荷を持たせて出張させることは自由です。そこで、ついでに他の会社の使いも頼まれていくということが自然発生しました。このことに目をつけたものが、東京と大阪の数社と契約して、毎日行ったり来たりして汽車賃を浮かせたり、専門のものを雇いいれたりしました。私設郵便屋の誕生です。江戸時代の飛脚のように活躍したのですが、当局の耳に入ることになり、郵便法違反で検挙されたそうです。
●書きおろし
2002年6月14日更新
第1回「ガセミツ(偽エロ写真売り)」の巻
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