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第30回「ハイレグ水着はいつ生まれたか」の巻 |
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「女性らしくて、ロマンチックなタイプ」で、肌を露出せずに女性らしさを表現するためワンピースが流行したことがあった。というより、水着の素材メーカーが、シーズン前にそのようなファションを企画開発するので、その水着を来た女性がプールや海岸にあふれるわけで、それが売れ筋になるわけだ。
水着にはワンピースからビキニ、ハイレグへと、肌の露出が高まる流れがあるが、冷夏が続いたころは露出を抑える傾向があった。普段着では肌が透けそうなキャミソールファッションやヘソ出しルックが流行しているのに、水着の世界では逆の現象が起こっているのが面白い。
例えば平成5年には「パレオ」というのが登場した。腰布のことで、プールサイドなどで着用する、水着とのコーディネイトアイテムだ。また同じ年には「白い水着」が流行した。東レが開発した『防透け水着用素材ボディシェル』が火付け役となったもので水に濡れても透けて見えない。
素肌を隠そうという動向を見ると、『ハイレグ水着』が流行した時代は何だったのかと思われてくる。
ハイレグが日本に登場したのは昭和53年というから意外に歴史が古い。アメリカのローズ・マリー・リード社が開発したのが起源である。上陸当時は「大胆な着こなしが要求されるので一般向けではなく」、「短足のカバーには非常に効果的」だったという(木村春生『水着の文化史』)。
ハイレグがブームを起こすのは昭和61年。ワコールが形状記憶合金のブラジャーを発売したり、1足1万円以上もする高級ストッキングがイタリアから輸入されたりと、女性ファッションに新商品が続々登場した年でもある。この消費を支えていたのは、同年の男女雇用機会均等法の実施で、働く女性が増えたことと関係があるだろう。経済的には、家族のある男性上司より、独身OLの方が消費できるお金が多いという逆転現象があった。職場で男性の視線にさらされている女性はファッションにも心を配るし、お金があるからアフター5にはスポーツジムにも通った。事実、昭和64年には女性のスイミングクラブ熱を背景に、東レが耐塩素素材の水着を開発した。「水着はその日のうちに洗え」と言われているように塩気に弱いのだ。エアロビクスダンスでレオタードを着なれたこともあってハイレグへの抵抗感は薄らいだのだろう。当時ソバージュやワンレンにした女性たちは、こぞってハイレグ水着を着用したのである。
だがそれらもバブルの崩壊とともに、過去の文化となった感じだ。女性は不況で財布のヒモが締まると、新商品にはなかなか飛び付かず、保守的な買い物をするからである。ハイレグもバブル経済に咲いた徒花の一つなのだ。
●報知新聞を改稿
2007年5月10日更新
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