串間努
第1回「『2B弾』のイタズラ」の巻
●「手製銃でビー玉撃つ」北区で小学生三人補導 (昭和38年3月 28日 読売朝刊)
新聞に寄りますと!
「二十七日午後五時頃東京都北区●●●のHさん方二階のガラス窓に「バーン」という爆発音とともにガラス玉があたり、ガラスを突き破って直径一センチの穴をあけた。Hさんの家族が驚いて外を見ると前の路上に手製の銃を持った小学生三人がいたので、●●●署に急報した。同署で三人を補導して調べたところ、いずれも近くの小学六年生で、この日本製の銃の台に口径八ミリの堅いビニールパイプを針金でくくりつけた長さ1メートルぐらいの銃を作り、遊んでいた。ガラス玉を撃ったのは花火の一種の「2B火薬」で、ビー玉は三十〜四十メートルも飛ぶ。三人ともHさん宅の前で遊んでいるうち流れ弾が三十メートル離れた二階の窓に当たったもので、最近、近くの大正大学の校庭で中学生が同じ手製の銃で遊んでいるのを見て真似て作ったといっている。同署では管内の小中学校に警告すると同時にPTAにも連絡してこどもに注意するよう呼びかけている」
ビー玉を2B弾の火力で飛ばす手製銃のイタズラをしていたら、誤った方向に飛んでいってしまい、補導されてしまったという記事ですな。単に石つぶてなどでガラスを割ってしまったのなら「コラ!」で済んだのだろうが、火薬の破裂音がしてしまったために警察に通報されてしまったものと思われる。
その昔、子どもたちの中では「2B弾」という花火が大ヒットしたらしい。
「らしい」というのはボクが実体験として知らないので、そう表現しているのだ。なにしろ2B弾は昭和四十一年の九月十五日に製造中止になったので、当時三歳のボクは知りようがない。
そこで、ちょっと先輩方のことばを借りることにする。
コミックマーケットの主催者として知られる米沢嘉博氏の著書には、2B弾で遊んだ例が沢山あげられている。
「かぶと虫の背中にひもで背負わせて、空中で爆発するようにやる。羽がちぎれとんですごい迫力だった」(「2B弾・銀玉鉄砲の日々」・絶版)背中や尻尾に2B弾をくくりつけられた経験のある犬は二度と米沢少年に近寄らなかったという。
また、なぎら健壱氏の「下町小僧」(データハウス)には「傘の心棒や、細い竹に入れて発射させて、鉄砲と称したりもした」とあり、米沢氏と同じような遊びが紹介されている。
これらの本から想像すると、2B弾というのはクラッカーの頭部にマッチの薬が塗ってあり、擦り板にこすって火を付けるものらしい。(これを「マッチヘッド」と称する)
それにしても2B弾とは兵器を思わせる強力なネーミングだな。なぜ「2B」と言うのか。
日本煙火芸術協会顧問、武藤輝彦氏に尋ねたところ、
「これには二つの説があって、煙と音を発する「TWO BREAK」からという説と、二本で一円売りだったからという説があります」ということだ。
当時、2B弾よりやや大型のものが「1B」と称されて一円で売っていたと言う。2B弾は愛知県の稲徳花火の稲垣徳雄氏の開発になるもので、大量生産に向き、大ヒットした。
が、火事の原因になることが多く、花火業界が通産当局と折衝の結果、「マッチヘッド」を自主的に止めることになる。
そこでより安全な「NAクラッカー」というのが登場するのだが、これは2B弾と違って、火を吹かず、煙が主体。マッチヘッドがなくなると魅力は薄くなり、こども界でのブームはたちまち去った。
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