串間努 第7回「睡眠学習器」の巻
●すいみん学習器
千葉県で中学一年の夏だった。ボクは友達のそのまた友達に東京行きを誘われた。
「後楽園ゆうえんちをオゴるから、これ返品に行くのを付き合って」
彼が返品したかったのは通信販売で買った「睡眠学習器」というものだった。昭和五十年当時は、学習雑誌の裏表紙などに、良く広告が出ていたことを覚えている。読者の中にもお世話になった方がいますかね。
これは枕の中にテープレコーダーがつながれていて、枕の底から聞こえてくる、英単語や歴史年表の暗記テープを、眠りながら記憶するシロモノ。広告に載っていた「中間テストの成績が上がりました」などの体験談がリアルで、 「寝ていて勉強ができるようになるのならスゴイな!」と、ボクらの間では話題の商品だった。
彼がナゼこれを返品しようとしていたのか理由は忘れた。住所を頼りに当日訪ねたのはごく普通のマンションのようなところだった。まだ社会に慣れていないボクらはドアの陰で待っていた。おばさんと彼が会話をしていた。後で彼に聞いたところでは社長はどこかへでかけていて留守ということで、とりあえずモノだけ置いていってと言われたそうだ。おばさんは身内の人らしく、ボクらは子ども心に「あんな大きな広告を出している会社がこんなに小さいのか……」と驚いた記憶がある。
そこをでた後、近くにある後楽園に行き、しっかりと彼に乗り物券などをオゴってもらったことは言うまでもない。ボク自身は「睡眠学習器」の経験はなく、「返品」という形で接触しているというのが面白い。
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「中一時代」
1976年12月号
P.102 |
実は、前回紹介した「エックス線メガネ」の社長は、メガネの次に催眠術を手がけ、その流れで「睡眠学習器」の開発に手を染めることとなった人である。
「催眠術をず〜っと継続してやってましたからね。そして、催眠術の中に睡眠者催眠法というのがあるんですよね。寝ている人に向かって名前を呼ぶんですよ。声を少しずつ大きくしていくと、どこかで「う〜ん……」となるときがあるんですよ。そのときに暗示が入るわけですよ。要するに、α波。だから、昔から寝言に応えてはいけないと言いますよね。あれはまさにその状態なんですよ。そういうのがあったから、寝てる人に勉強させたらどうかと。
私はなんの専門知識があるわけでも技術があるわけでもないのですが、あとからわかったことは、エビングハウスという人がやはりその辺を研究して、その中のまたお弟子さんか別の人でしたか、「ジェンキンスとタネンバッハの原理」というもので、やはり寝る直前に覚えたことは記憶の定着がいいと。これは、どんな心理学の本にも出ているらしいです。睡眠学習というのは世界中で研究されてるんですね。ですから、アメリカとかフランスでは、睡眠学習器というのをつくって売ろうとした人はいるらしいです。ただ、商業ベースに乗らないんですね。たまたまうちは商業ベースに乗った。受験戦争というすごい時期がありましたからね」
睡眠学習器は昭和四十一年の十二月に、初めて第一号機が作られた。価格は一万四千八百円。ターゲットは中学一年〜高校三年生でこれは購買層の中心でもある大学生や社会人も少ない人数ながら買っていたという。広告は学習雑誌がいいと思った社長は旺文社に持っていった。すると、デパートや書店などできちんと売られていないとだめだといわれたので、紀伊国屋書店やデパートで販売をはじめた。デパートには当時、睡眠学習器と同じようなものが先行発売されていた。これはそろばんの読み上げ算を練習するものだった。
紀伊国屋で売ることで信用はついたが、最初の三年間は売れなかった。現在は自社ビルだが、うれなかった間は六畳二つに台所ぐらいの小さなビルなどを転々としていた。ボクは友達と一緒にやってきたときのことを聞こうとした。
「マンションみたいなところに入ったことがありますよね」
「うん、きっとあれがそうでしょうね、KSビルといって、医科歯科大の向こう側にあるところ」
「僕の友達が睡眠学習器を買いまして、何か調子が悪いか何かで電話をしたら、持ってきてくれと言われたそうなので、ついてきてくれと言われて一緒に行ったら、マンションの一室みたいなところに入って、『いま担当者がいないから置いていってください』と、女の人が出てきたんですよ。『なんか家族的な会社だな』と思ったことがあるんですよ」
「それは、そこに勤めていたオバサンですね」
「お母さんかと思いました」
「うちは何日間でも返品ができて、いつでも修理ができるというような、そういう仕組みでやっていますが、一度はやはり、何年も使ってボロボロになったのを持ってきた人がいましたよ。そのときは新品と替えてあげました」
「へえ〜」
「自分の商品をあそこまで使ってもらったら、嬉しいですよ」
「そんなに何年も睡眠学習しなくちゃいけない人だったんですかね」
●睡眠学習の催眠術?
睡眠学習は誰にでも効果があるはずだという。
「ただ聞くだけではなく、テープに吹き込む作業があるのでまずそこで覚えます。それを人間は全部覚えている訳ではありませんから、睡眠学習で聞き直す訳ですね」
そうだ、学習テープは自分で吹き込むんだったっけ。その吹き込んだテープをカセットレコーダーに入れ、学習器に接続して枕カバーをかけて眠るのだ。エンドレスのテープを何度も聞くことで記憶が鮮明になるのだろう。
画期的に偏差値が四〇から六〇へ上がった人もおり、東大に合格した方も数名いるそうだ。四十万人使って、数名というのは少ない気もするけどな。
『中一時代』などの広告に載っていた体験談は全部ホンモノだということを聞いて、正直ボクは驚いた。少しはサクラが入っているのかと疑っていたのである。
「いや、そんなことをしたら色々とまずいですよ。使用者から自発的にお礼が来ることもあるし、こちらから電話をかけてどうですかと尋ねるときもあります」
いわゆる『ヤラセ』的な記事はない。
筑波大学でも「半睡眠時における記憶学習」という研究がなされ、睡眠学習をした群はそうでない群よりも明らかに多く記憶していることが判明しており、科学的な裏付けもあるのだ。
「中一時代」
1976年5月号
P.36 |
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さて、睡眠学習をはじめるまえ、一週間くらい聞くテープがある。「この枕であなたはグッスリ朝まで眠れる。いい気持ちで深い眠りに入っていく」というテープだが、このテープが効きすぎてしまったケースがあるという。
「あるとき朝、いきなり奈良県から電話が入って、『全く子供が起きなくなっちゃった』と。前の日に睡眠学習器が来てすごく喜んで、睡眠学習器を使って寝たはいいけれど、どんなにしても朝起きなくなっちゃったと。もう、私は奈良へ飛びましたよ。そうしたら、その人が、たまたま自分の子供の、中学校の教師で、同じ学校に子供が通ってるわけですよ。お父さんは大阪で病院をやっていると。すぐお父さんにも電話をしたら、「それは催眠状態に入ってるから、あまり周りが慌てると本人に聞こえてる。『覚めない、大変だ』と周りが騒いでると本当に覚めなくなっちゃうから」と、救急車を呼んで、病院に着くまでには覚めましたけどね。もう私が行ったときには平気でしたけど」
学習どころか、不眠症にも効いてしまいそうな話だ。
売れ行きに火がつき始めたのは四十七、八年から。爆発的にヒットした。 「当時、毎月の売上をグラフにするじゃないですか。B4の方眼紙に売上を引いてたんですよ。例えば、これが何倍にもなったら、普通は単位を下げて引きますよね。それを、あくまでも単位を下げずにこだわって、そのまま何枚も紙を貼りたしてやってたんですよ。このビルへ越してきたときは、ほんとにもう嘘も隠しもなく、ここで広げて向こうの壁の先まで行ってましたよ」
途中で累計を勘定したら四十万台あったというからいままでに五十万台は売れているという。受験戦争があったとはいえ、膨大な数だ。ボクの周りにはそんなに使用者がいたようには思えないが、性質上、睡眠学習をやっていることは隠すだろうから、一学年に数名はいたに違いない。睡眠学習やったけど大してふるわなかったでは、友達にバカにされてしまうからだ。
基本は変わっていないが、これまでに三回ほどモデルチェンジをしている。枕の高さやデザイン、スピーカーなどだ。値段は最終的には三万六千七百円であったというから、中学生が買うにはチト高い。そのため十回の分割払い方法もあった。
十五年前に発売は中止となったのは「通販の効果が無くなってきて、売上げが上がらなく」なったからだ。
ちょうど、コンピュータブームでファミコンなどが登場したことや、勉強方法が家庭学習から塾へ移行してきたことが理由だろう。
この機械、学習だけではなく性格改善などにも応用できるという。
聞けば聞くほど効果がありそうな気になる。取材をしているうちに段々、「なぜ、当時これで勉強しなかったのだー」と後悔の念に駆られてくるボクであった。
ニコニコとボクの前で笑っている睡眠学習器社長は、好々爺でとてもX線メガネという二律背反するブツを生み出した人とは思えなかった。世の中、不思議なものだ。
●「教員養成セミナー」と「小説宝石」をくっつけたりして改稿
2003年5月9日更新
第6回「エックス線メガネ」の巻
第5回「ハーモニカ」の巻
第4回「エヂソンバンド」の巻
第3回「スパイカメラ」の巻
第2回「コンプレックス科 体重・体格類」の巻
第1回「コンプレックス類 身長科」の巻
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