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串間努

第3回「懸賞の賞品で詐欺!」の巻


 新聞に寄りますと!

新聞見出し

 子供の喜びそうな懸賞つきのキャラメルやチョコレートの流行を悪用「九千円のカメラが当たった」と子供から現金をだましとった事件が、江戸川、杉並両区内で起きた。警視庁は、童心を傷つける悪質な犯罪で、ほかにもかなり被害があるとみて、捜査しているが「うまい話には十二分に注意を」と警告している。
 昨年十一月二十四日、江戸川区小松川のSさん(五十五歳)宅に、中年の男が訪れ「江崎グリコのものだが、懸賞でカメラが当たった。フィルム二本の代金五百円とはんこをもって近くのカメラ店まできてください」という。Sさんの二男T君(十四歳)が、この前、同じ懸賞で万年筆型望遠鏡をもらったばかりなので、そういうと男は「ダブル懸賞なのでカメラもあげる」という。 
 T君が先月から始めたアルバイト代の一部五百円をもって二百メートルほどついてゆくと男は「今カメラとフィルムをもってくるから」といってT君から五百円受け取り姿を消した。
 一ヶ月後の昨年十二月三十日にもよく似た男が杉並区西荻窪のNさんを訪れ、カメラのカタログを見せながら、T君の場合と同じことを言ったので、Nさんの長男K君が五百円をもらって国電西荻窪駅北口までついてゆき、ここで同様五百円だまし取られた。
 江崎グリコは商品にサービス券を入れて「ズバリ賞」に当たった人や、たくさんサービス券を集めた人に商品を贈ることにしているが、直接社員に届けさせる方法は取っていない。このため、警視庁は同社にサービス券を送った子供達の名前を手に入れ、社員を装って手広くだましているのではないかと、捜査している
(昭和39年2月5日 毎日)

●懸賞のあやうさ
 懸賞の賞品欲しさの子どもの心につけこむこの事件は、懸賞制度というものが抱える弱点というか、一般市民の持つそこはかとない疑念を象徴しているかのようだ。
 以前、懸賞やクイズの応募要領の最後に「当選発表は賞品の発送を以ってかえさせていただきます」「警察官立ち会いの上、厳正な抽選を行います」という文言が記されてあった。
 本当に一民間企業の抽選に警察官を呼ぶことができるのか疑問だが、こう書かれると、制服姿の厳めしいおまわりさんが、手を腰に組んで、ハガキの抽選を見守っている姿が目に浮かび、信頼できそうな気がするから不思議だ。
 懸賞制度の疑問は、本当に公正な抽選をやっているのか、あるいは、実際に懸賞品を用意して送っているの? という点にある。
 適当に編集部やメーカの知り合い同士で分けてしまっているかも知れないし、いやそれどころか客寄せとして豪華な懸賞賞品を謳っているだけで、誰も当選者がいないかもしれない。全読者・全消費者が納得できるきちんとした証明はできず、ユーザーとの信頼関係で成り立っているに過ぎない。公正な抽選は誰もみたことがない。
 当選者の氏名の発表で、事実性を担保できるのではないかという意見もある。実際、戦前の「少年倶楽部」(講談社発行)では懸賞当選者を参加賞にいたるまで小さい活字で掲載していた。だが、疑えばその活字になった1等当選者が本当に存在するかどうかまではわからない。雑誌の通販広告に掲載されている幽霊体験談(写真つき!)がいい例ではないか。
 こういった懸賞賞品の、ある意味「いかがわしさ」のイメージにつけこまれたのがこの事件だ。懸賞を実施したメーカの人間が直接、「おめでとう、当たりました」というほど信頼がおけるものはないだろう。「ホントに当たっているヒトいるの」という疑惑が氷解だ。現在であれば、大メーカがいちいちそんな細かい仕事をするのか? と疑われてしまうだろうが、昭和39年くらいならば、すれていない消費者は手放しに喜んでしまうだろう。冷静になって考えれば「フィルム2個の代金」がなぜ必要なのかという疑いが出るが、当選の喜びに舞い上がる心には、「カメラ屋で引き渡す」「はんこを持ってきて」というビジネスライクに見える引渡方法が一層の信頼を与え、単純な疑心の芽はついばまれてしまうのである。
 実に人間心理を巧みについた小市民的詐欺であった。

おまけのせっかちくんおまけのアマゾンの緑ガメ

●懸賞ブームに沸く昭和30年代
 昭和30年代に入ってから、子ども商品世界は懸賞ブームであった。戦後の貧しい時期は紙芝居屋が行うクイズに回答して、水飴一個ぽっちを貰うのが精々であった。ところが昭和20年代中盤から紅梅キャラメルで当たる野球道具や、カバヤキャラメルで当たるカバヤ文庫などが人気になると、各製菓メーカもこぞって景品や懸賞賞品を付けはじめた。世の中の景気がよくなって収入が増えると同時に、みんなが貧しかった時代から、貧富の差が分かれる時代となり、「欲しくても買ってもらえない」モノが出まわりだしたのが昭和30年代であった。
 誰も持っていないのならあきらめもつくが、隣のT君は買って貰っているのに自分にはないという状態が一番残念だ。家に購買力がないなら、懸賞で貰いたいという発想になる。
 江崎グリコは昭和7年以来、商品に封入されている引換券を集めて賞品をプレゼントする消費者キャンペーンを打っていた。戦前の賞品は明治天皇御製集(天皇陛下の和歌をまとめたもの)、組み立て飛行機、紙芝居だった。昭和12年には時計も賞品にしている。
 昭和20年代には紅梅やカバヤのキャラメルに水を開けられていたが、30年代にはいると、新聞広告など媒体も利用した本格的な消費者キャンペーンで国民的ブームを呼んだ。
おまけの切手と袋 「1956年(昭和31年)には、あたり券で本物の小鳥をプレゼントする「幸福の小鳥さがし」で人々を驚かせ、ついで草花の種を製品の箱に入れた「花のあるくらしをあなたの手で」キャンペーンでは、花いっぱい運動を展開。さらに小磯良平、林武、安井曽太郎などの本物の名画がもらえる「名画キャンペーン」などに続き、世界の切手をあなたに、をキャッチフレーズにした「切手キャンペーン」、「世界のワッペンをつけよう」のキャンペーンを行い、切手ブーム、ワッペンブームを引き起こしました。1966年(昭和41年)からは、ひもを引っぱると10通りの言葉のどれかをおしゃべりする「おしゃべり九官鳥」、ラジコンやリモコンで動く「おつかいブル公」、「せっかちくん・オトボケくん」などのプレゼントキャンペーンで、話題は沸騰しました」(グリコのホームページより)
 第一回目の小鳥を賞品にしたというのは生き物を賞品にした始めだ。森永製菓が昭和40年代初頭に「森永スキップ」と「チョコボール」の景品で『アマゾンのミドリガメ』(実際にはコロンビアクジャクガメ。アマゾン川にミドリカメは住まない)を石鹸箱に入れて発送したのは第二弾だろう。
 昭和32年のアーモンドグリコ発売記念の切手キャンペーン(1箱に使用済みの世界切手1枚入り)では子ども世界に第二次切手ブームを巻き起こす一因となった(写真参照)。切手ブームにワッペンブーム。グリコ懸賞は昭和30年代、子ども世界をコントロールする勢いがあった。

●書きおろし


2002年8月30日更新
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第2回「元祖! 飽食時代の本末転倒」の巻
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