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第6回「コビトのチューブチョコは
パチンコ景品のリサイクル」の巻
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串間努
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子どものころ(昭和43年ころ)、歯磨き粉のチューブに入ったチョコレートがあった。絞り出しては、出てくるソフトチョコレートを宇宙食のように舐めるのだ。これを発売していたメーカーが「コビト」。黒人が豆を頭に載せた、横顔のマークが印象的だ。
なんでコビトって名前なんだろう、なんで黒人の横顔なんだろう、なんでチョコをチューブに入れたんだろう? 小学校にあがるかどうかの年齢だから、ボクはそんな素朴なギモンをもっていた(いまだったら「なんでダロ〜」と歌うところだ)。しかし誰も答えてはくれず、とうとう大人になってもわからない。そこで調査を始めることにした。途中でわかったのは、コビトは、おそ松くんチョコレートや赤影ミルクチョコなど、こども向けのチョコレート菓子を中心に販売していたこと。東京渡辺製菓がコビトであることなどだ。これはきっと渡辺製菓と関係あるのだろう。
しかし決定的なものはない。ところがある日、天ぷら粉でおなじみの昭和産業にコビトが吸収されたという記述を本に見つけ、早速昭和産業に問い合わせて見た。その結果、次のような返事が来た。
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コビト「玉チョコ」
※串間努「ザ・おかし」
(扶桑社)より
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(株)コビトの前身は、会社整理となった渡辺製菓の東京工場の土地建物設備を、東京渡辺製菓(株)として昭和産業が全株式の75%を出資し、昭和31年11月に設立、菓子の製造・販売を開始したのがはじめだった。昭和40年10月には(株)コビトに社名を変更し、昭和46年2月 昭和産業の100%子会社となった。昭和50年代に入り、消費者の甘味離れと販売競争の激化から経営不振に陥り、昭和55年3月、菓子製造を廃業することにした。
当時の菓子業界は、オイルショックによる原材料高騰と消費者の甘さ離れにより、森永製菓の赤字・人員整理に代表されるような深刻な不況下にあった。
菓子製造販売廃業後の(株)コビトは、遊休建物及び土地の一部を賃貸するなどで、不動産賃貸業を行っていた。
昭和産業は、(株)コビト所有の不動産の有効活用を積極的に推進し、経営の安定と将来に飛躍する基盤の確立を目指して、昭和62年7月合併契約を締結、所定の手続きを経て昭和63年6月吸収合併した。
コビトの事業内容の詳細については、全く記録が残っていないが、設立当初から主力商品はガム、チョコレート、飴菓子だった。子ども向けの定額品が多く、その他はハイティーン向けの高級ガム、チョコレート、家庭用のバラ売り製品を製造販売していた。焼菓子、粉末ジュースなども手掛けたこともある。社名の『コビト』ももともとはブランドとして使用していたものである。チューブチョコレートも子ども向け商品としてあったとの話だが、資料がなく確認できない。
……そうか、粉末ジュースで有名な渡辺製菓が一時不振に陥った時、名古屋工場はつぶれ、東京工場は残り、それが昭和産業に合併されてコビトとなったわけか……。しかし肝心の製品のことについては書いていない。やはり無くなった会社の調査は困難なのか。
ある日。1本の電話がボクのところに掛かってきた。扶桑社から出した、お菓子やジュースの本を見たという香料会社の方で、なんとなく世間話をしていると、「コビトのことならくわしい人を知っていますよ」というではないか!
「ぜひ、紹介して下さい」
「なにしろチューブチョコつくったり、ボトルチョコをてがけた人なんですよ」とまでいう。ここまで聞かされてはたまらないではないか。
◆パチンコ景品の廃物利用であった!
ということで会いにいってきたのだ。
──コビトでは小さな玩菓もつくられていましたよね。
「おそ松くんの板チョコから始まったんですよ。そこから玩具菓子に入りまして、昆虫の容器に粒ガムやマーブルのチョコをつけたんです。鉄道模型のおまけも多分新幹線が走ったころに作ったんでしょうね。みんな当時は内職ですよ」
──ええ? 主婦が手作りですか。
「そうです。ウチから仲買人というか、内職をまとめる人がいて、段ボール箱に部品や菓子を入れてトラックで運びます。それを主婦たちに配って、シールを貼って、部品のプラ模型を組み立て、中に入れる菓子をハカリで秤って、製品にまとめるんです」
──じゃ、コビトさんの玩菓のラインは内職だったんですね。
「ええ。普通の家庭に頼んでいるものだから、たまに抜き取り検査をすると、ヘンなものが入っていたりするんですよ。パンティが入ってた時にはみんなで笑いましたねえ。ほかにもいろいろあったけどあれは傑作だった……」
──チューブチョコはどのような経緯で始めたのですか。
「チョコは水分が1%、糖度が40%と腐りにくくしてありますが、扱い方が悪いと水に濡れてカビが生えたりします。そういうのが返品されますから、それを『再利用できないか』というのがはじまりです」
──今でいうリサイクルですね。
「昔のパチンコの換金用の景品って板チョコだったって知ってますか? 当然食べないでお金と交換しますよね。何回も循環しますから、チョコは痛んだり水に濡れます。これをヤクザ屋さんがメーカーに返品するんですよ。しかたないから再生可能なものは水と合わせて加熱して、水飴にチョコの味をつけただけのソフトチョコを開発したのです。できたものはドロドロですからチューブに入れるしかない。パイプチョコもやりましたよ」
──チューブチョコ誕生の裏にそんな秘話があったとは……。洋酒のボトルチョコを手掛けられたのもあなたと聞きましたが。
「欧州に出張してチョコを視察しにいった時に発見しました。あれは驚きました。まず、立体成形であること、中に液体が入っていたことなどです。これはウチでやろうということでイタリアから機械を購入しました。中身は糖蜜と焼酎と香料と本物の洋酒です。これらの配合のバランスがまた、難しかった」
──ええっ、ボトルチョコには焼酎が? 洋酒だと思っていたのに……。
「と、いっても10%くらいですよ。合同酒精のものです。まあ酒税法の関係やらで大変でした。最初は砂糖を煮詰めた糖蜜でしたが、あとで代えました。というのは、時間が経つと水とアルコールが逃げちゃいますから、砂糖が再結晶してしまうんです。だから開けたら何にもなくて砂糖だけだったということもありましたから、再結晶化しない砂糖に原料を代えました。ブランデーとかオレンジキュラソーなどの5種類を昭和42、3年ころ発売しました。包装? もちろん機械です。ですが、ある程度折るだけで、仕上げは手でブラシでこするんですよ。そうするとアルミ箔が密着します」
内職といい、ブラシでこするといい、どうもわびしさがつきまとうなあ。
ところで、コビトの人気商品だった洋酒入りの「ボトルチョコレート」は、昭和55年7月に明治製菓が、株式会社ロンドを設立、10月に権利を買い取った「ボトルチョコレート」を発売している。
●「GON!」不明号を改稿
2003年4月1日更新
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