きょうは、ゾウさんこと、西岡恭蔵さんの64歳のお誕生日。
1969年8月15日の終戦記念日、大阪の難波元町、国道26号線沿いに小さな喫茶店、「ディラン」が生まれる。
大塚まさじさんがそこの初代マスターになって、フォーク仲間や演劇人や運動家、若い人たちが集まり、小さな空間の中で、いつしか自然に誰かしらが歌っているような、そんなコミュニティに育っていった。
そこには元々のお店のママのような人がいて、ゾウさんのファーストアルバム「ディランにて」の2曲目で、その人とお店のことが歌われている。
ニューヨークのコーヒーハウスで、ボブ・ディランたちが歌っていた憧れの風景と自分たちのいる「ディラン」を、若き歌い手たちは重ね合わせていた。
そこで行われていたミニコンサートが、福岡風太プロデュースの春一番コンサートへと昇華する。
このお店で生まれたバンドがザ・ディランだったけれど、ゾウさんは1971年に脱退、バンドはザ・ディランⅡと名を変え、ゾウさんはソロになった。
大阪のダウンタウンの風に吹かれていたゾウさんは、時を経て、作詞家のKUROさんと出会い、2人で南国の風を浴び始める。
寂しげで朴訥とした世界観から、異国に思いを馳せるエキゾチックな夢の情景まで、どれも西岡恭蔵の世界なんだ。
そしていま、ゾウさんもKUROさんも、生身のカラダをもって現世にはいない。
目に見えぬ天使の姿をして、歌そのものとなって、この世界を見守っている。
どんな生まれ方をした人も、どんな死に方をした人も、その人生には歌がある。たとえば、耳が不自由な人にも歌はある。
「プカプカ」は、多くの人に歌い継がれ、あまりに有名だ。
後年は、矢沢永吉の曲の作詞をいくつも担当したから、いわゆるフォーク・ファン以外にも知っている人はいると思う。
大阪のダウンタウンのはずれの小さな店から、カリブの海岸へと旅を続けた西岡恭蔵は、天国経由で、ちゃんといまもみんなのそばにいる。
64歳だ。
ひとりの人間が、64年間、生きたのだ。歌ったのだ。
それだけで、ものすごい奇跡なんだ。
生きることも死ぬことも悲しいことだ。でも、私たちの傍らには、いつも歌がある。
社会はより複雑化し、インターネットの発展とは反比例するように世知辛くなり、鬱病や神経症を患う人は増え続けている。
ゾウさん、どうか、守っていてください。
あなたの声は、とても優しい。
ところで関西人は納豆が嫌いな人が多いみたいだけど、ゾウさんはどうだったんだろう。
ディランのママの別れた下駄づくりの旦那さんのように、好きだったのかなぁ。
それとも・・・ま、いいか、そんなこと・・。
丸眼鏡にかわいいキャップの、髭のおじさん、西岡恭蔵。
別名、象狂象。
ハッピーバースデー、ゾウさん!
下町を教えてやろうか 六番街から西行きの
バスに乗って終点まで 行ってごらん そこが下町さ
ガードをくぐってちっちゃなタバコ屋を 右に曲がって五分ほど
歩いてごらん 楽しいたまり場 下町のディランがあるからよ
おおディラン おおディラン
おおディラン おおディラン
下町のディラン
ディランのママは化粧が上手 とても四十には見えやしない
下駄づくりの亭主を捨てて いまじゃ下町の女親分
下駄づくりの亭主の言うことにゃ あいつはおいらに惚れていた
家をおん出るそのときにゃ おいらの大好物の納豆が
ひとりで寝る夜は寒いからと 手紙に添えてつくってあった
おおディラン おおディラン
おおディラン おおディラン
下町のディラン
おおディラン おおディラン
おおディラン おおディラン
下町のディラン
「下町のディラン」詞・曲:象狂象
西岡恭蔵「ディランにて」
1. サーカスにはピエロが 2. 下町のディラン 3. 谷間を下って 4. 君住む街に 5. 風を待つ船 6. 丘の上の英雄さん 7. 君の窓から 8. 僕の女王様 9. プカプカ 10. 街の君 11. 終りの来る前に 12. サーカスの終り
Released on July, 1972