歓楽温泉街として賑わった熱海も、平成に入ると寂れっぷりばかりが話題となった。栄枯盛衰とでも言えばよいか。団体客頼みの大型ホテルは相次いで廃業し、やがて安価な宿泊料金をうたうホテルチェーンへと姿を変え、あるいはその跡地にリゾートマンションが建設された。「安近短」が定着し、「古豪復活」の兆しを見せているのは最近のこと。とくに夏場はサンビーチでの海水浴、ほぼ毎週末の花火大会は抜群の人気を誇る。
そんな熱海において、時代の趨勢などどこ吹く風とばかりに、ひときわ個性を放つのが福島屋旅館だ。「昭和レトロ」とはつくづく便利な言葉だと思うが、この宿は昭和30年代でしっかりと時を止めている。「新婚旅行のメッカ」としてアベックの憧れをさらった時代だが、その世代の客にとっては懐かしさを感じるはず。昔ながらの温泉宿の風情をあえて残しているのか、それとも取り残されているのか。
何度か訪ねているが、とある日は帳場でおばちゃんが昼食の真っ最中。貴重品を預かってくれるというが、袋に入れたりするわけではなく、そのままどこかに仕舞い入れるだけ。建物はとにかく年季が入っているので、歩くたびに床がみしみしと鳴る。すぐ突き当たりが浴室なので館内を見渡す暇もないが、わずかばかりのロビーで四方山話に花を咲かせているのは常連さんか。皆それなりに年季を重ねている。
脱衣所は裸電球1つの、まさにセピア色の空間。流しの鏡は曇りすぎて用をなさず、「水をとめて下さい」とマジックで直に注意書きがなされている。使い込まれたベンチや扇風機、「男子浴室」の札がいい味を醸し出している。
浴室には大小2つの湯船があるものの、お湯を張っているのは大きい方だけ。意外と深めで、身を沈めると贅沢にあふれていく。常連さんは「本物の温泉だ」「泉質がいちばんいい」と我が物のようにべた褒めする。ホテルの大浴場のように源泉に手を加えることをせず、泉質そのままを堪能できる点は熱海で希少か。洗い場にシャワーは無く、たらいにお湯を溜め、手桶ですくって流すのが福島屋の流儀だ。昭和の頃から変わらぬやり方なのだろう。あぐらをかいて背中を流す老人の姿に古き熱海の幻影を見た。
インターネットの口コミで評判を呼んでいたが、遂に公式ホームページが公開となった。ハイテク化でさらなる客を呼び込むつもりだろうか。驚くべきは、百余年の歴史を持つ老舗だということ。そんな風格は微塵にも感じさせないが、いつの時代も変わらず庶民派であることに敬意を表したい。
福島屋旅館
源泉/熱海温泉(ナトリウム・カルシウム-塩化物泉)
住所/熱海市銀座町14-24
電話/0557-81-2105
交通/JR東海道本線熱海駅より徒歩11分
料金/大人400円、小学生200円、幼児100円
時間/11:00~19:00、無休