トランポリン・松岡
第八回『大阪スチャラカ物と言えば、てなもんや三度笠で決まり。』
最近、割合気をつけてよくみる好きな番組の一つが、NHKアーカイブス。懐かしく新鮮で面白く、痴呆症ではないが家内が置いて行ったコーヒーを飲むのも忘れてみ入ってしまったことがある。
僕は、テレビが全く無い時代から村に一、二台白黒テレビの時代、そして白黒テレビ普及時代からカラーテレビ時代を過ごしてきた初期テレビッ子であるが、ここ数年、テレビとは少し疎遠気味に過ごしている。デスクワーク人間の僕は、側にCDラジカセがあるので仕事をしながら音楽を聴くことは多いが、手を止るテレビとなると昔と違って絶対コレと言う程面白い赤枠付け番組がなかなかない最近は、子供の頃に祖父などによく言われた「テレビの守りをする」程みることはなく、限られた番組以外は余りみないという所が僕のテレビ生活現況である。
そんな初期テレビッ子の僕の場合、白黒テレビがかなり普及した頃でも、最近のインターネット漬け生活のように一日中テレビがかかっていた記憶はなく、あの頃の行き当たりバッタリのような戦後ノンビリ生活の中での他の家庭事情は知らないが、子供時代の僕は、夕方から夜だけ家庭でテレビをみていた記憶が残っている。
中学生になってからも、勿論、テレビは白黒画面。年齢と共に僕も朝と夜にテレビをみる生活に変わったがテレビに接する時間はまだまだ少なく、そんなノンビリテレビ生活の頃でも民放には面白い番組があって、日曜日に限り記憶しているのが、大阪テンヤワンヤモノである。
僕の田舎は関西圏なので笑いを文化の波としてためらいなくストレートに受け入れたのか、あの頃、子供時代のテレビには、強く記憶に残る大阪モノが凄く多かった。
例えば、スチャラカ社員、てなもんや三度笠、やりくりアパート、番頭はんと丁稚どん、とんま天狗といった所などがすぐ浮かぶ。
当時、超売れっ子だったと思う藤田まこと、大村昆、白木みのる、佐々十郎、茶川一郎、中田ダイマル・ラケット、芦屋雁之助・小雁、といったような人気者がテレビの中にはギューギュー詰くらい大勢いて、日本式オペレッタ風漫才芝居のような連続モノをするのだが、日曜日の昼ご飯時、家族で大笑いしながら見た記憶がある。
あの頃、昭和三十年後半の超人気大阪コメディー番組と言えば、てなもんや三度笠やスチャラカ社員等多くは映画やドラマとは違い舞台中継方式の感じで放送されていた。
現在は東京にも大進出、人気を得てテレビ放送されている舞台でバタバタ繰り広げられる吉本劇場のアレ調である。
あの頃の大阪モノの中でも特に有名なのが、中田ダイマル・ラケット主演で、後年、緋牡丹博徒・お竜役で画面に出た瞬間に館内大拍手の超大々ブレークする藤純子が、キレイで優しい番組アイドル的女子社員を演じている「スチャラカ社員」と、その一年遅れぐらいの昭和三十七年から始まったバリバリ大阪喜劇の「てなもんや三度笠」。
耳の穴から手ぇ入れて奥歯ガタガタ言わしたろかや、スコーンとドタマかち割ってストローで血吸うたろかーッ、の無茶苦茶なハイな乗りの威嚇セリフはてなもんや三度笠で言われ、当時、大流行した。
必殺シリーズで人気の藤田まことがあんかけの時次郎、現在は女子大生マンションか何かを持っていてノンビリ悠々自適の生活を送っているらしい白木みのる演じる珍念の二人旅といった設定がストーリー。
花菱アチャコや歌手のザ・ピーナッツ、由利徹やハヤシもあるでヨーで有名な南利明等芸達者なゲストが二人に絡んで面白可笑しく繰り広げられるドタバタコメディーが大人気で、また、藤田も白木も歌が抜群にうまい。
それこそ歌う旅股シリーズではないが、茶屋や社のセットが組まれたその左横の木陰から舞台床を踏む音をさせながら歌いながら出てくる場面から芝居が始まったりで、当時は五十%を越える高視聴率を記録。東京・名古屋でも物凄く人気だったらしい。
あの頃の次から次に出てくる大阪モノは、異物混入されてもわからないくらい的にどうも僕の記憶がこんがらがっていて、番組の年代順とか言われると困るのであるが、僕の好きなそんな目粉しい放送の大阪モノの一つ、「やりくりアパート」では、佐々十郎と出ていた黒ぶちメガネを鼻から大げさにずらしたオロナミンCの看板でも有名な大村昆が、三輪の小型自動車・ダイハツミゼットの宣伝をするのだが、ミゼット、ミゼット、ミゼットとポーズを変えながら連呼するテレビコマーシャルは大当たり。現在でもテレビコマーシャルとして凄く有名である。
あの頃の僕のテレビ生活と言えば、食事をしながら親がみる番組を偶々僕も一緒にみていたという感じであるから、どうも日曜日の昼御飯の記憶がついて回る人気コメディー大阪モノであるが、あの頃の電気製品としてテレビは貴重娯楽品。各家庭で見る番組もテレビの活用度も全然違い、現在の子供のように、翌日、学校で「昨夜のテレビみた」とはならなかった。
従って、学校の行き帰りなどで基本的にアレソレエーッと興奮話になるのは漫画本話。
懐かしい話に必ず出るが、正月号などは付録を漫画本以外の細かいモノまで合わせると十八大付録となったりする少年やぼくら、冒険王といった当時九十円くらいで売っていた月間漫画本の話が普通で、勿論、月光仮面や怪傑ハリマオ、シャガーの眼等子供向け冒険活劇番組について学校で騒がなかったわけではないが、大人がみている番組を一緒にみている感覚の大阪モノに関しては、番組をみていなければ仲間はずれと騒ぐことは全然なかったのである。
現在でも大阪コメディー物がテレビで大人気であるが、その笑いは流行を一番気にして蹴る殴る等たわいのないドタバタギャグが多く、あの昭和三十年代の超人気大阪コメディーをみて過ごした僕などは物足りなく、どうも手放しでは笑えない。
スチャラカ社員やてなもんや三度笠のような単純でギュッと重く軽く、ガサツで口ベタ、豊満な胸で包み込むように温かく人間味溢れる元祖大阪スチャラカ物がなくなり寂しく思うのは、偶々良い時代に父の側で大笑いしながらみていた僕一人くらいかも知れないが、画面に映っただけでホンワリと笑いを感じさせる芸人も、最近では少なくなった。
人混みの中、秋風に吹かれながら記憶の中に点在するあの頃の大阪スチャラカ物を懐かしく思う時、どこかで忘れ物をしているような寂しさを覚える僕である。
2002年10月9日更新
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