串間努
第4回「デパートその2 『お子さまランチ』」の巻
『お子さまランチ』というのは微妙なメニューだ。有名なのに、子どもの頃に食べた記憶、懐かしい思い出があるアイテムというには今一歩なのだ。たいていは年齢制限があるので、お子さまであるうちでしか注文できない。
第一、高度成長時代に、デパートに行って大食堂に入るというのはかなり特別な行事だから、お子さまランチ食べたことないというひとも多いのである。
注文シーンとしても、玩是ない子どもの機嫌をとるために、とりあえずお子さまランチでも頼むか……という消極的理由でお母さんが頼む。子どもにとっても、何を食べたいのか明確な意思がないころだから、食べているのに食べた記憶がないことになる。「あれを食べたい」という、メニューを特定できるほど成長していれば、まあ、お子さまランチを頼まないで、ハンバーグとか寿司とかを頼むに違いない。少なくても6歳の私は「お子さまランチを頼むなんて……」という子どもながらの美学がありました。
お子さまランチというメニューの元祖は、昭和5年に日本橋三越が「御子様定食(洋食という説あり)」の名で出したのが最初といわれている。チキンライスの型で抜いたグリンピースをのせた2色ごはん、スパゲティ、コロッケ、ボンボン菓子、三角サンドイッチ二切れで構成され、旗は丸に「越」のマークがついていた。値段は30銭。当時の人気少年雑誌「少年倶楽部」が50銭で、ビンボーな家庭にはなかなか購入できなかったというから、30銭は『出せないこともないが、ちょっとゼイタク』なくらいの価格だろう。いまだったら、1500円くらいか? 当初はこどもよりお年寄りに受けていたそうだ。
開発のきっかけは、三越の食堂部主任の安藤太郎氏が、恐慌にあえいでいた不景気な世の中だが、せめて子ども達には夢を与えようとして考案したものだという。これが公式見解。その他に、「ヒントは食器商が可愛い皿を持ってきたので、これを利用して子ども向きの楽しいメニューはできないかと考えた。頂上に日の丸を立てたら喜ぶと思った」という記録もある。私としては皿ありきのほうが具体的で腑に落ちる。
翌年には上野の松坂屋が「お子さまランチ」と名付けてメニュー化しており、この名前が普通名詞となったといわれている。松坂屋の内容はコロッケとオムレツとポテトサラダがあったことしか判明していない。
お子さまランチといえば、型押しライスの上に立っている紙製の小旗がシンボルだが、この旗は内職で作っているそうで、平成三年のテレビ番組のルポによれば大阪の河内長野市の老人夫婦2人が、1日千本生産して、五百円だそうだ(1991/10/18金19時日本TV「追跡」で放映した内容の記憶より)。
女性には多くの種類を安く食べられるお子さまランチは魅力的らしく、注文したいと望む声が高いらしい。デパート側としては「値段が安いのは子どもへのサービス」という姿勢のため、年令制限を設けているところもある。三越では昭和5年当時のレシピで数年前に復刻したが、ボンボン菓子の再現が難しかったという。
注文するのは恥ずかしいが、私も郷愁の味として、もう一度食べてみたい気もする。
※その2では「デパートの屋上」を書く予定でしたが、お子さまランチを書いてしまいました。その3で屋上のゲームを回顧します。
●書きおろし
2002年9月13日更新
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