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第6回「運転をしたがる子どもたち」の巻 串間努


 新聞に寄りますと!

新聞見出し

 フクちゃん顔まけのいたずらッ子……14日夕方5時すぎ東京都交通局浅草新谷町営業所内の古バス長屋に住む、都バス運転手Wさんの長男でS小学校2年H(6つ)と洋服商Tさんの長男K小学校2年生M(6つ)が裏庭に置いてある電気バスに乗って遊ぶうちH君がお父ちゃん気どりでスイッチを入れて、レバーを引いたら車がのろのろ後退しはじめたので、あわてて前に切りかえたところ今度はトップにはいったので車はスピードを出して前進、板べいを突き破り街路樹を押し倒して表通りへ、焼跡のコンクリート塀に車体をすりつけながら走るので、危しと見たH君は車から飛びおり雅昭君だけがなかでウロウロするうち車はへいから離れてS町1の96バラック建の畳屋Oさん(46)方の裏口から突入、同家を2メートルも押し出し止ったが主人のHさんが突然ガラガラと来たので地震予知の的中とばかり表へ飛び出したが、後から自動車がヌッと顔をつき出したので2度びっくり、妻のKさん(40)は丁度用便中だったのが、驚いて立ち上った拍子に鴨居に頭をぶっつけ脳震とうを起して倒れたので医者がかけつけて注射するなど大騒ぎ…子供2人はかすり傷1つも負わなかった。
 浅草署では子供のこととて留置もならず、ただお目玉だけ、親父さん達「いやはやえらい科学する少年達で……」と畳屋さんに平あやまり。
(毎日新聞/1948年7月16日/朝刊)

◆男の子はなぜ車が好きなのか

 この記事に句読点の句点がまったくないのは、原文通りで、こんな文章が新聞でまかり通っていたのに驚いた。

電気バス
電気バス(昭和24年)

 さて、事件は被害者には申し訳ないが漫画チックである。小学2年生がバラックとはいえ、バスで家を壊してしまったという。現代建築では考えられない「2メートルも家を押し出した」というのもすごいが、奥さんが便所に入っていて驚いて鴨居に頭をぶつけて脳震とうというおまけがくっついた。しゃがんでいる状態から女性が立ち上がっただけでぶつける鴨居って、いったいこの家の便所のドアは何メートルなのか。

バス
※写真と本文は関係ありません。

 加害者児童のお父さんが「科学する少年たち」といういいわけも昭和23年という時代ならではなのかなと、微笑ましい。それにしてもこのころの都の住宅難は深刻で都バスの運転手さんはバスを改造した長屋に住んでいる状態だったのだな。

 子どもが勝手に駐車中の車を運転して暴走させる事件は結構多い。車というメカを運転したいという根源的な欲望はどこから湧いてくるのだろう。

 子どものうちでも少年は家庭の躾や教育の現場などいかなる場においても、「元気な子」、「泣かない子」など男性であることを条件に「強さ」を求められる場合が多い。人間の人格形成は発達や環境が大きく関与してくるため、男の子にとって「強くなること」は周囲から認められ、自信を得ることにつながっていく。少年時代、子どもの自我は著しく発達し、見るもの、聞くもの全てに影響を受ける。そして、周囲から認められたいと強く願うようになる。「自分はこんなにも強くて、すごいんだ」と周囲に自分の成長をみせびらかしたい。しかし、子どもは精神的にも肉体的にもとても不完全で、頼りない。自分の力や成長を周囲に誇示したい時期だからこそ、その自分の不完全さをあらゆる場面で感じることが多いのだろう。だからこそ、少年は幼少時に、自分が切望する「強さ」を持つものに強く憧れる。

 では、少年にとって、「強いもの」とはどんなものであろうか。漫画の中の「無敵のヒーロー」であったり、全てを破壊してしまう「怪獣」であったりする。少年の「強いもの」の規準はめちゃくちゃである。自分の目で見て強ければいいのである。だからこそ、「車」も「強いもの」の中に含まれる。少年が「車」に興味を抱き、好感を持つのはそんな理由からではないだろうか。「車」は機械ゆえに速さや頑丈さなど自分にはないあらゆる「強さ」をもつ。加えて、「かっこいい」。

車

 また、子どもの「強さ」への欲求は、「車を運転したい」という気持につながっていく。おそらく「車」を運転し、操作することにより、その「車」の「速さ」や「強さ」が自分のものなるような錯覚を起すからではないだろうか。そして、身近な大人が運転している様子を日ごろから見ているため、「車を運転する」=「大人」という構図が少年の頭の中で作られている。早く大人になりたいと願う多くの少年にとって、車を運転することは「大人」に一歩近づくような気持ちがするのである。

 では、なぜ、「車」と同様に「速さ」や「頑丈さ」を持ち、加えて、「飛行」能力をもかね備えている「飛行機」や「宇宙ロケット」よりも、「車」が好きな少年の方が多いのか。これは少年の生活近辺に車があるからだ。子どもは自分と、あまりにも違いが大きい人物や境遇をもつ人間などには、興味を抱かない。自分をその人物に投影しにくく、親近感を覚えにくいからである。少年の身近にあり、いつでも目にすることができ、親近感を覚える乗り物といえば、やはり「宇宙ロケット」や「飛行機」などよりも、「車」になる。同様のことが「電車」にもはてはまる。

 子どもは「未知」なものが好きである。子どもは大人よりも「知りたい」という欲求が強く、自分が見たことも聞いたこともない物や経験したことがない事柄に強く興味をひかれる。そういった意味で「車」は少年にとって、手ごろにたくさんの謎を提供してくれる格好の産物なのだ

●かきおろし


2003年3月26日更新
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