トランポリン・松岡
第九回『二十一歳の冬、僕とフォークと喪失と。』
何を隠そう、髭モジャ面の僕はこう見えて夜もけっこうフェミニストではあるが、青春時代はノンビリ系豪放磊落な生活が災いして女性とナニする機会にも恵まれず、実は、最後の選択・強制喪失の経験者。
十四・十五で恋いこがれてソウなる現代でなくても、二十一歳で喪失と言うには遅過ぎる感のあるソレだが、暢気な僕を見かねた優しい友人二人に強引にタクシーに連れ込まれてそのままプロの中年女性のお世話でアッサリ童貞喪失した僕なのである。
運命の一夜、金を使い果たした競馬の話ではないが、コトが終わった後は三人で近くの国鉄飛田駅まで夜道を歩きそこから電車に乗った。お決まりのどうだったを訊かれ良かったと僕が言うと、一生に一度の記念日はパーッとどこかで祝い酒でも飲もうと煩い二人の勢いを必死でかわした僕ではあるが、余りにも突然の経験に体中興奮し過ぎていて本当は祝い酒どころではなかったのだ。
その夜、足を止めて見上げた夜空はどこまでも遠く深く美しく見えた。足取りは軽く、嬉しいような寂しいような言葉ではうまく表現できない凄く幸せな気分で歩く僕の側を、酔ったサラリーマン数人がその時流行っていた吉田拓郎の結婚しようよを少し怒鳴るような感じで歌いながら、賑やかに通り過ぎていった。
部屋に戻ると、慌てて出たので消し忘れていたらしく三畳の部屋に合わせた家庭用より小さいサイズの電気炬燵は暖かく、体を押し込み静かにすると、隣の部屋から炬燵板を裏返してマージャンをしているガラゴロと牌をかき混ぜる音と笑い声が聞こえてきた。アパートと言っても、僕の所は全員地方から出て来た大学生だったのである。
さて、初めて経験したこんな夜の男はどう過ごすんだろうと思いながら、必要だろうと父が買ってくれたナショナルの小さな電気ポットで湯を沸かし、ネスカフェのインスタントコーヒーを飲んだがそれでも胸が一杯。
流行りの不倫であればホテルのシャワーを浴びて帰るのだろうが、勿論、行為が終われば泊まりでない限り簡単にテッシュで拭ってそのまま帰る場所。一時間前の生々しい行為の感触が残る股間を手でさぐると、冬なのにどこかネットリと生暖かく、僕は誰にも声をかけず一人で遅い銭湯に出かけた。
梅乃湯の淡い水色の四角いロッカーに次々投げ入れると普段通りタオルを腰にチラッと巻いて、ロッカーを閉め白いゴムがついた鉛色の薄いロッカーキーを腕にはめ込み、洗い席のあいている所に座った。抑えても抑えてもグーッと湧き上がってくる幸せ感が吹き飛ぶくらいドバーッとソコに湯をかけ、萎み切っているソレをまず揉み洗いした僕である。
実は、僕も全然ナニをするチャンスがなかったわけではない。あの頃は、ピンクレディ、森昌子、桜田淳子、山口百恵等を世に送り出したスターの登竜門「スター誕生」がTVで高視聴率をあげ、派手な人気アイドルに大声援が送られる一方でフォークが大流行。
メッセージ臭をプンプンさせながらどこか厭世的な気怠い感じの五つの赤い風船の遠い空の彼方にやザ・ブロード・サイド・フォーの歌う若者たち、杉田二郎の戦争を知らない子どもたちを練習曲にギターを持って狭い部屋に集合。F、G7はこう、Eマイナの指はとか言いながら騒いでいた時代で、明るいグループ交際的に短大生も遊びに来たりで紹介されたこともある。が、アソコがモッコリと特に立派というわけでもなく、流行りのギターも弾けない松本清張ジュニア顔では無理だったのである。
と言って、官能小説によくあるボート小屋でのワイルドな熱い初体験や星空が広がる草原のホテルでの激しい接吻から始まるものでもないにしても、皆、人並みに感動の性体験を夢見ていたのは確かであったが、同じアパートに住む同期の原ちゃんや東君もプロの女性に世話になった組で、時期が早い遅いはあっても地方出身者のアパート住民から恋人が初体験といった話は聞いた覚えがなく、大体、結局はプロによる喪失劇が多かったらしい。
そんな暢気に見えて、週一セックスを実践している幸せな友達を羨ましがりどこかヤンワリ悶々として過ごす日々に、あの冬、突然幸せが団子になって来たような夢の一夜。短くて長い初めてのセックスは今でも忘れられないが、隠れ家のように狭い路地の奥に入口があり旅館のように入るとまたすぐ狭い階段、記憶は曖昧である。
少しうす明るい灯り、狭い部屋の中央には白く薄い布団が一枚敷かれていて、僕は、ズボンとパンツを脱ぎ下半身を露出した格好で脚を軽く曲げて座ったまま、浴衣の下は全裸の彼女と向き合う。
濁ったような茶色の天井に裸電球が部屋全体を淡い粘土色に染めて僕の喪失感を盛り上げる中、図解が頭にあっても実際にはソノ位置もわからずアウアウの僕が初めてなのはバレバレ。その気になって彼女の愛撫を受けても鼻息だけ荒く肝心のモノがピンとしない僕の耳元で「気を楽にして」と小さく言って、彼女は膨らみ始めたペニスをうっすらと黒い陰の下に見える唇色の肉襞に押し入れて、僕に見せた。
多分、体位は、ラストタンゴ・イン・パリのマーロン・ブランドの様なセックス。初めて経験する衝撃的な性行為の連続に、興奮は僕の体中に沸き上がっていった。
裸体の間、肉襞に触れるペニスは粘膜の刺激で急激に膨らみ、僕がいつもの硬直感を感じた瞬間、肉襞にスルッと深く潜り込んだ。
息をのむ僕を抱きしめるとゆっくりと腰を動かす彼女が肉襞を深く重ねる度に、僕のソレは窮屈な滑りの強く蕩けるような感触の溝に埋まり、しだいに快感で動けない程の快楽の頂点に追い込まれてゆく。
鼻から息が抜けて体から吹き上がる気配が押し上がっている僕を上にして終わらせようと彼女がそのまま体を反転させかけた瞬間、僕は三秒待てずに漏らした。
差し出されたティシュ箱からティシュを抜き取りペニスを自分で拭って、僕の三十分八千円の魔法はとけたのである。
その後、暫く経ってその話をした時に、ソレって微妙に失敗だとか散々悪く言われた僕の喪失話だが、例え失敗だったとしても、セックス大好きのまま初夜には性交。ヤンワリ悶々と過ごしていたノンビリ系豪放磊落の僕には最高の喪失だったと今でも思う。
駅から道をどうなんて忘れた曖昧な記憶の飛田の一夜。それは昭和三十三年以前の話ではなく札幌オリンピックが開催され上野動物園でパンダが初公開された昭和四十七年、三十年近い昔の一生忘れることのない僕の冬の夜の出来事。
記憶の波は、人生折り返し地点に立つ僕の中で、いつも静かにうねっている。
冬、夜の街に出て雑踏を歩く時の路地裏から聞こえる小さなざわめきに、二度と来ない遠いあの青春の夢の一夜を懐かしく思い出す僕の記憶は、思い出す度に線香花火のように緩やかにスパーク、ゆっくりと冬の冷たいアスファルトの道路に吸い込まれて行く。
2002年10月31日更新
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