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「プラモ線の旅」タイトル

今柊二

「スーパーカーブームがやってきた・その2」


 さて、前回から続けて今回もスーパーカーブームの話。もともとのスーパーカーブームの発祥は、「週刊少年ジャンプ」にあったらしい。1975年当時、プラモメーカーの「日東科学」が1/24の自動車シリーズを出したところ、『ロータス・ヨーロッパ』の売上だけが急増していた。調べてみると、「ジャンプ」に連載していた「サーキットの狼」というマンガの影響だと判明した。そこで、「日東科学」は交渉を重ねて、『サーキットの狼』シリーズの車をプラモデル化することに成功した。

スーパーカー さらに翌年になると、ヨーロッパ製自動車の人気が高まり、低年齢層にも浸透していった。ミニカーの分野でも76年夏頃から、すでに品不足となっていた。米沢玩具系の「(株)サクラ」が「スーパーカー」というブランド名を9月に登録申請をし、10月には「(株)永大」の1/28ダイキャストミニカー「グリップテクニカ」シリーズが大きく話題となった。さらにブロマイド、ミニカード、メンコ、消しゴムなど、様々なスーパーカー商品が市場に流れ、「スーパーカーブーム」がやってきた。

 首都圏や大都市圏にある外車ディーラーの前には、「スーパーカー」を写真に撮ろうとする少年達が殺到し、ディーラーがいない地方都市では、「スーパーカー」を屋上に配置し、客寄せに利用したりした。私の四国の今治でも、スーパーカーブームはやってきて、市内のデパートの屋上になんと「ランボルギーニ・カウンタックLP400」がやってきたのだった。私もなぜか熱に浮かされるようにして、「ショッパーズ」というデパートの屋上に母に連れていってもらい、青色のカウンタックに乗って、インスタントカメラで写真を撮ってもらった。確か300円だった。車に乗っている瞬間なんてたかだか10秒くらいだったので、これは良い商売だなあと後で考えたものだった。蛇足だが、このショッパーズ(ダイエー系だったと思う)の屋上にはいろんな催しがきて、ジャンボ・マックスとも握手をした覚えがある(笑)。

 ところで、ランボルギーニのカウンタックには、LP400の上にLP500Sというのがあり、これは更に400より偉い車で、確かランボルギーニには他にも「ミウラ」と「イオタ」というのがあって、特に「イオタ」というのは、最高速度とかは不明で、謎の魅力をもっていた。クラスのなかでは、やはりこのランボルギーニ派とポルシェ派、そしてフェラーリ派に分けられた。大体にして、ランボルギーニ派はイタリアぽくミーハー、ポルシェ派は、質実剛健、そしてフェラーリ派はスカしているといったかんしだった。あっ、あと、ごく少数のランチャ・ストラトス派というのもいたな(笑)。今振り返って考えて見れば、後に「ガンダム」でザクの形式番号(MS−06R)とかガンダムの形式番号(RX−78)とかに対して、まったく抵抗なく入ることができたのは、このスーパーカーブームが大きく起因しているのではないだろうか。

 …あっ、スーパーカーの話は簡単に終わるつもりだったのだが、意外に語ることが多くなってしまった。次回は、前回話したように、空想派模型ファンがスーパーカーブームにのめり込んでしまった理由と、スーパーカーブームの生み出した様々な文化について触れていくことにしよう。

(続く)


2003年2月17日更新
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