鴻池綱孝
〈第十夜〉 怪塔、現る(part1)
今夜は「怪獣の季節」から少し先を歩いてみましょう。その先には一体何があるのでしょう。人によってその想いはまちまちでしょうが、僕にとっては1968年の「ウルトラセブン」の終了が「季節の節目」となりました。
怪獣ブームは、「ゲゲゲの鬼太郎」や「妖怪人間ベム」に代表される『妖怪ブーム』にバトンを渡し、続いて、それは「巨人の星」を頂点とする『スポ根ブーム』へと引き継がれていった。怖いのはもちろん苦手だし、怪獣=内遊び系の自分にはスポーツ物もいまいちだった。僕の願いはただひとつ、「帰って来て!ウルトラマン!」
しかし、いつの時代でもヒーローは突然やってくる。ウルトラマンの時も、セブンの時だってそうだった様に。
今度のヒーローは実在した。両手を大きく拡げ、大屋根を突き破り、身の丈70mで屹立していた。岡本太郎作『太陽の塔』の出現だった。
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塔集合: 様々な種類と大きさの塔が作られた。材質も塩ビ、合金から陶磁器にいたるまで多種多様だ。ムギ球により目が光るものや、鉛筆削り器になっているものまである。これだけあっても、残念ながらプラモデルは存在しない。
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それは唐突に現れはしたが、反面、太古からそこにあった巨大遺跡を掘り出し、大屋根で保存しているかの様にも映った。白地に赤の動的な稲妻ラインのカラーリングは初めて目にした時の「ウルトラマン」(第二夜参照)を彷彿させた。ウルトラマンの40m、怪獣の5〜60mに対しての『塔』の全高70m、はその数字だけでも、「大きい=カッチョイイ」という男の子の単純な価値観にピッタリと、はまった。
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万博怪獣エキスポラ: 少年マガジン昭和45年3月8日号の表紙で,絵/手塚治虫とあり、目次ページで解説もしている。20個のパビリオンが隠されているので探してみよう!
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有機的か、無機的なのか判然としないそのスタイルの印象を、串間氏は「死んだエレキング」と表現した。新聞(白黒)で見たのだろうか。詩人である。
岡本太郎氏が万博のテーマ・プロデューサーを引き受けたのが'67年の初夏。依頼された当初より「ベラボーなものを創る!」と宣言したという。「日本人一般のただ二つの価値観である、西欧的近代主義とその裏返しの伝統主義、それの両方を蹴飛ばした!」
その結果、完成したのが別名「タロータワー」とか「ベラボータワー」とも呼ばれた『太陽の塔』なのである。このベラボーなる塔は当時多くの文化人、美術関係者からの反感を買ったが、おおむね一般人には好評だったし、特に怪獣ブームの洗礼を受けた子供達にとっては、ニューヒーローの登場のごとく迎い入れられた。
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カフス: 最小サイズがこのカフス。2cm程の大きさだが、非常に雰囲気をとらえている。銀製。
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賛否両論あったにせよ、太郎芸術の大爆発は否応なく全国民を被爆させ、この奇妙キテレツなる塔に注目させてしまうパワーがあった。万博来場者数約6400万人。日本の人口の過半数をその足元に引き寄せてしまったこの怪塔こそが、昭和という時代が生んだ、ほんものの怪獣なのだ!
Part2につづく・・・
※私が管理している『EXPO』のホームページで、長谷川 明氏制作による、超精緻な万博パビリオンのCGがお楽しみになれます。
以下のアドレスにアクセスしてください。
http://www.konoike.org/3d/index.html
※また、引き続き「怪獣の思い出」を募集します。当時(昭和41〜48年位まで)の怪獣にまつわる、エピソード(GET苦労話、遊び方、泣いた話、泣ける話、トラウマ等)を300字程度にまとめ(expo@konoike.org)まで、メールしてください。こちらで選考、編集させて頂き、採用分には当時物の粗品を進呈させていただきますので、ふるってご応募くださいませ。
2002年11月12日更新
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