串間努
第5回「家の中には家電リモコンがいっぱい」の巻
●日本リモコン史
この間、テレビのチャンネルを代えようとして、リモコンを持ち、ボタンを押したところ、全然変わらんのである。
おかしいな? と思ったらCDラジカセのを握っていた。テレビ、ビデオ、エアコンとこんなにリモコンが家庭内に増えたのは一体いつからなんだろう。
松下電器産業の歴史館に尋ねてみると、やはり最初はのリモコンはテレビから始まったという。
「昭和30年代なかばにはあったようです。当時は超音波を飛ばしてロータリー式のチャンネルを回すものです」(同社歴史館の話)
テレビにも回るチャンネルがついていてそれが遠隔操作でグルグル回転したらしい。まるで奇術だ。だが、時計周りに13468と、一方通行でしか変えられず、4から1へと逆に飛ぶことはできなかった。最近、明和電機がチャンネルの形をしたリモコンを開発したが、なんと最初は物理的に丸いチャンネルを廻していたなんて……。
とにかく離れたところでテレビを視聴していて、いちいちチャンネルを回すのはメンドウだ。リモコンが普及したいまはザッピングといって、次から次ぎへとチャンネルを視聴者が変えるようになり、テレビ局も視聴率をとるのに大変らしい。確かに昔はあまりチャンネルを次々に変えたりしなかったものなあ。
昭和40年代になると、チャンネルはロータリー式ではなくプッシュボタン式になり、これを超音波を飛ばすリモコンで押すようになった。しかし、超音波だと、電話のベルや皿が触れあう音でも誤って切り変わってしまうことが多かったという。リモコン電波が届く距離も短い。
超音波はボタンを押し続けなくてはなかなか切り替わらなかったが、ICで制御することですぐにチャンネルが替わるリモコンテレビも発売された。そして昭和47年に松下電器産業が、赤外線を使ったリモコンテレビを発売してこれらの問題を解決する。
昭和50年代になると、チャンネルだけでなく電源オンオフや音量もリモコン一つで制御できるようになり、テレビの前面のコントロールパネルは簡素化していく。
「冬、コタツから出て代えるのは面倒という、誰もが持つものぐささが産んだアイデアなんでしょう」
この赤外線方式が生まれたあと、テレビ以外の家電にもリモコンが普及していくのである。
まずエアコンだ。昭和53年、三洋電機は超音波リモコンの「ズバコン式エアコン」を発売した。韻を踏んだネーミングだな。当時、普及型と高級型の二極に分かれ始めており、高級化路線に対応したものだ。高齢者や体の不自由な人も離れた場所から操作できる。翌年には松下が、ほとんどすべての機能をリモコンでできるステレオ「ザ・スペース」を発売してオーディオへの応用を行う。おなじく松下は昭和61年に、ラジカセ初のワイヤレスリモコンを発売、カセットテープサイズなので、使わない時はデッキの中へしまえるというのがアイデアだ。
平成2年には、風の強弱や首ふりなどを制御できる、リモコン式扇風機まで登場。すでに昭和57年にはあったものだが、当初は壁かけ式扇風機のスイッチが押しづらいため生まれたようで、平成になってから卓上型扇風機に波及する。
当初のリモコンは各電化製品専用だったが、平成5年になると、家庭内に平均6台もあるリモコンを一つにまとめようと、国内12社のテレビやビデオを一つのリモコンで操作できるという、学習型リモコンが発売された。家中に転がっているリモコンの中から探すのが手間で、探している間に手で代えた方が早いという笑い話も生まれる中での需要だ。
「お年寄りの中にはどれがどれやらわからなくなる人もいますし」
中にはピストルの形をしていて、引き金を引く発射音が各メーカーごとに異なるという、遊びこころを持ったものもあったという。
さて、今度はどんな家電にリモコンがつくのか楽しみだ。個人的には冬の夜にヒモを引っ張って消灯するのがメンドウなので、照明リモコンの手元スイッチが欲しい!
●「報知新聞」を改稿
※ 写真のリモコンはすべて現在のものです。
2003年3月11日更新
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